永観堂と小説「活動寫真の女」

京都・奈良・長崎を訪れる旅行に行ってきた。京都でまず初めに訪れたのは、銀閣寺である。銀閣寺は、紅葉が既に終わっていた。人も随分多かったが、抹茶を飲んだ時は、茶席には我ら以外に人がいなく、良い雰囲気であった。

銀閣を出た後、哲学の道を歩いて永観堂に詣でた。永観堂は、初めてである。この6日間の旅行で私が一番訪れたかったところである。
それは、私の好きな「活動寫真の女」(浅田次郎著)の最後のシーンが、この永観堂だからである。

「活動寫真の女」は、京大生男二人と女一人の恋愛青春小説である。昭和44年の話である。三人の恋愛と言うと、三角関係を想像するが、違う。三谷薫(主人公=語り手)は、同じ下宿の結城早苗と恋愛に陥る。三谷の友人清家忠昭は、古い映画に出演した女優伏見夕霞という絶世の美女と恋愛関係に陥る。

古い映画とは、昭和11年の溝口健二祇園の姉妹」である。20歳の清家が昭和-44年、17歳の女優と恋愛関係に陥るのである。伏見夕霞は、40歳代ではない。17歳の夕霞である。・・・

そう、伏見夕霞は、幽霊なのである。だからこの小説は、怪談話である。そして語り口は、ミステリー風である。また、この小説では、日本映画の揺籃期から全盛期・衰退期も語っている。京都の春から秋も美しく語られている。そう言う意味では、サービス満点の小説である。

昭和44年は、大学受験史上特異な年である。その春、東大と東京教育大(現筑波大)が大学紛争のため、入試中止となった。私も一浪して、この年某大学に入学した。私にとっても、苦しい受験が終わったその春は、本格的な青春の始まりの春であった。この小説に描かれた、京都の春から秋の描写は、いい。私は、ミステリー小説が好きである。さらに浅田の甘く抒情的な幽霊話は、大好物である。だから、この小説は、私にとっては、美味し過ぎる小説なのである。私は知らなかったが、この小説は、NHKBSのドラマともなったようである。

しかし私は思う。この小説の魅力は、失ってしまった青春への哀惜でないかと。幽霊の夕霞も含めて、登場する4人は、恋愛に、映画への情熱に、自分の人生に、純粋な情熱を持って生きている。・・・二十歳のころ、我らも皆、純であったに違いない。しかし、我らは、純粋さをいつかどこかで棄てて、生きてきたのだろう。そうでなければ、生きてこれなかったのじゃないかと思う。

>僕の青春、そして喪われた親友と、永遠に愛する初恋の人へー<

このセンチメンタルな文章とともに始まる小説の終わりの舞台が、紅葉の永観堂なのである。

私たちが訪れた2016年11月28日の永観堂は、紅葉を求めて多くの観光客が訪れており、ごった返していた。故に、小説「活動写真の女」の三谷薫と結城早苗の、「愛しながらも別れるシーン」を想像するにはほど遠い状況であった。

小説の感動的シーンは、小説にしかないと再認識した。