なんと、阿修羅を独占した

この旅行では、多くの仏像を見た。どこで何を見たか、どんな仏であったか分からぬぐらいに一杯見た。

初めて見た珍しい姿の仏は、永観堂の見返りの仏像(正式名称忘れた)である。仏様が正面を見ているのでなく、振り返っている姿である。浮世絵の「見返り美人」は、女性の振り返った瞬時の美しさを表しているのだろうけど、仏さまの振り返りはどういう意味だろう。パンフレットを見ると、「おい永観、遅いぞ」と仏様が言っているのだそうな。なるほど、悟りを開くのは難しく、仏様にすがりつきたくなる。振り返って凡夫を励まし、あくまでも救おうとする優しい仏様を形に表したのだ。

どこかで見た千手観音は、多くの手で多くの人を救うと言うのだけれど、どうも不気味だ。東大寺の大仏は、国家を救うためだろう、巨大すぎる。親しみは、勿論感じない。国家運営の責任を持つ聖武天皇の不安の反映かもしれぬ。どうも大きい仏像には、威圧されてしまう。もっとも一般人は元々見ることが出来ぬ仏様である。

大きなものでもいいなあと思ったのは、東寺講堂の立体曼荼羅と呼ばれる仏像群だ。如来やら菩薩やら天やら様々の仏像が、群れをなして仏の世界を形成している。仏の世界を曼荼羅と言う。これには圧倒された。ほとんどが国宝であるのにも圧倒された。

しかし何と言っても、良かったのは、興福寺阿修羅像と中宮寺弥勒菩薩像である。

奈良の興福寺に着いたのは、お昼近くであった。五重塔を見た後、拝観券を買っているところに、修学旅行の中学生たちが、6台のバスに乗ってやってきた。切符売り場の人が、「東金堂(こんどう)参拝の後の方がいいのでは」と言うので、東金堂で時間をつぶし、中学生たちが去った後に、宝物殿(正式名称忘れた)に入った。お昼時である。なんと見学客がほとんどいない。素晴らしい仏像を数多く見た後、たどり着いた部屋には、仲間たちと一緒にあの阿修羅がいた。

阿修羅は、元々インドの神様だと言う。日本では、仏教の守護神になったと聞いた。
何度見ても、いつまで見ても見あきない仏像である。何に惹かれるのか分からない。だけど、目を離せないたたずまいである。6本の腕で空間を区切るその美しさ。不思議な美しさである。若々しい3面の顔。15ぐらいの少年か。魅力的な顔である。これを作った仏師の、ある何かへの憧れが結晶したもののように感じる。

気になったのは、長く見つめていると警備員が寄ってくることだ。つい10日くらい前、この興福寺も油被害があったので、警備を厳重にしているのだろう。興ざめであるがやむをえない。阿修羅の部屋には、何と警備員が三人いた。見学者は、私達を含めて数名!である。至福の時であった。

至福と言えば、次の日の斑鳩町中宮寺の、弥勒菩薩である。一緒に見た者は、定期観光バスの我ら20数名だけである。私はなんと、一番前で見ることが出来た。寺伝では、如意輪観世音菩薩と言う。如意輪観音菩薩と弥勒菩薩の違いなぞは、わからない。しかし、弥勒とは、釈迦入滅後56億7千万年後、この世に出現し末法の世に苦しむ人類を救う仏と言う。左足を右足に乗せ頬に指を向けてどうやって人類を救うか考えている姿(半跏思惟)には、ホントに心が惹かれる。阿修羅は、若い男性に見えたけれど、こちらは、明らかに若い女性を感じる。仏像に男女はないと言うけれど。

良いものを見た奈良の旅であった。