西鶴とは、こんな人だったのだろう

朝井まかて「阿蘭陀西鶴」を読んだ。備忘のため、感想を書いておく
(1)この小説は、井原西鶴の娘おあいの目から見た井原西鶴の作家生活を描いたものである。日本文芸史上に残る傑作「好色一代男」「好色五人女」「日本永代蔵」「世間胸算用」がどのようにして生み出されたかが生き生きと描かれていた。多分こんな風にして生まれたのだろうなと思わせる、作者の力量に感心した。

(2)印象に残ったのは、盲目の娘に対する、西鶴の愛である。おあいは、初め父を嫌っていたが、成長するにつれ、役者辰禰、西鶴の友人、弟などの話で、自分が父に愛されていたことに気づく。心が盲目であったことを知るのである。それにしても、西鶴の盲目の娘を生かそうとする愛が印象に残った。いや、小説の時点では死んでいる母親の愛の方が、すごいかな。盲目の娘を、自分の死後も生きていけるようにしようとする母親の愛。

(3)近松門左衛門井原西鶴の対話も二人の特徴を明確に示していて良かった。史実ではなかろうけど。
西鶴「・・・わしはどないな悲恋でもそのまま書くことはない。どこかに人の滑稽さを見てしまうからや。けど、近松はん、あんたの目ぇはそれを美しいとらえるのやな。深みにはまって自ら滅びに向かう性(さが)をあんたは泣きながら美しいと思う。・・・それが響くかどうかは、客が決めることや」

(4)西鶴芭蕉の比較も面白い。
芭蕉「見当はずれのことを言い散らして、句の良し悪しをちゃんと判じておらぬ。西鶴俳諧をまるでわかっておらぬ。阿蘭陀西鶴、浅ましく下れり」
西鶴「この阿蘭陀西鶴、名乗りを上げたその日から、さもしゅうて下劣な輩と自ら触れてあるいてるわい。せっかく町人の、俗の楽しみになったもんをわざと難しゅして、皆が手ぇの届かん排風に祀りあげてんのは己やないかい。・・・」

(5)西鶴は、俳諧や物語を「所詮作りごとにすぎへん。けど、何もかもが嘘といえば、それも違う。巧みな嘘の中にこそ、真実(まこと)があるのや」という。なるほど。この定義に従えば、この朝井まかての「阿蘭陀西鶴」も、物語として成功していると思われる。

(6)朝井まかては、「恋歌」に続いて2冊目である。「恋歌」は、幕末の水戸藩の激しい政争を描いて、大傑作と思った。しかし私は、感想は残さなかったので、ほとんど忘れた。その反省もあり、この感想を書いた。