竹の侵略、原町スタンディング、映画「大地を受け継ぐ」

昨日、久しぶりに畑へ行った。この数年、気になっていることがあった。畑がどんどん狭くなっていることだ。

中国が侵略するのではない。他家が侵略するのでもない。竹がどんどん畑を侵略する。この畑は、もともと山林である。周りは今も木と笹竹である。こやつらが、わが畑を侵略する。もう畑を造成して8年になる。8年で畑は約メートル狭くなった。

意を決して、スコップで笹竹の根と木の根を除去し始めた。やった人はわかると思うが、これがきつい。

実は1週間ほど前、この除去作業をやった。腰が痛くなった。そればかりでない。汗をかいて風邪気味になり、中止していた。しかし春が近い。ジャガイモ植えが待っている。頑張らねばと再開したのである。

ところで、侵略をしているのは、果たして竹か?自然から言わせれば、俺が無慈悲な侵略者である。うーん。人間は、自然への侵略者である。早く消えた方がいいなあ。

今日、久しぶりに原町のスタンディングに参加した。わが自家用車は後輪駆動の軽トラなので、雪や道路の凍結には、極端に弱い。それでビビッて、原町にはいかなかったのである。
ところが、久しぶりの原町なのに、なんと雪が降ってきた。ギョ。まあ道路に積もるほどの雪ではない。

私も含めて8名である。ひょっとすると俺が一番若いかな?という年寄り部隊である。

見えるだろうか。「節分。福は内、アベは外」と。そういえば安倍さんは、今夕外遊に出るそうだ。米国トランプ大統領に会いに行くそうだ。この前、トランプが大統領に当選したとき、表敬訪問したでしょう?あれだけで十分だろ。見苦しいよ。新しいご主人様のご機嫌取りに、何度も何度も尻尾ふってる犬みたいだよ。やめなよ。見苦しいよ。どうしても様子探りたいなら、外務大臣あたり派遣しろよ。あんたは、日本の親分なんだぜ。へこへこするなよ。

そんなことを、降る雪とそっとお話しした。雪は、ふわふわと静かに聞いていた。

昨晩、DVDでドギュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」を見た。監督は、井上淳一である。私たちの「生業原発訴訟」の時、いつも応援に来てくれる映画監督である。

福島県須賀川市専業農家樽川和也へのインタビューが殆どを占める映画である。聞くのは、高校生や大学生である。樽川和也の父親は、2011年3月24日、自宅のキャベツ畑で首をつって自殺した。無農薬有機農業で作ったキャベツやブロッコリーの、出荷停止の通知が来た翌朝である。勿論、出荷停止は、放射能のせいである。

農薬だって体に悪い、食いたくない、人に食わせたくないと思う農民が、放射能で土まで汚染された時の絶望は、どれほどの真っ暗闇だったろう。

父を失った樽川和也の印象に残った言葉を上げておく。

「自分で作った作物を自分だって食いたくない。放射能があるからだ。それでも出荷した国の基準以下で、出荷できるからだ。出荷しなければ収入はない。作物を作らなければ補償はない。・・・罪深さを感じるんだ

「父は、土を大切にしてた。枯葉を腐葉土にしてた。それが6000ベクレルもあるんだ」

福島県人は、12万の精神的被害への補償金をもらった。そんな金どころでない話だろ」

「東電社員が、親父に線香をあげるとき、東電としてではなく、私個人であげるといった。俺は、正直焼香してもらいたくなった。紛争解決センターが、父の死に東電の責任を認めた後、東電は、『大変ご心配とご迷惑をおかけしました』とはじまる定型の文書をよこした。それって人の死についての文書じゃないだろう。・・・今もって、東電としての、親父にお詫びの焼香はないんだ」

高市早苗が『原発で死んだ人はいない』といった。バカヤロー。あとで取り消したが、あんたの口から出た言葉だろう」

「何み(見)で、原発再稼働なんてでぎんだろう。俺は、わからない」

「自殺は、残された家族に言うに言われぬ傷を残す。自殺はだめだ。人は病院のベットか家の畳で死ぬのが普通なんだ」

「父は、私に農業を託したのだと思う。放射能で、私の代で農業を終えてしまうわけにはいかない。私は絶望してはいられない

「同情で食う人がいても、どこに日本国民の中で、喜んで福島県の野菜を食う人がいる、風評被害ではない。実際汚染されている。風評とは根も葉もないことだ。放射能汚染は、根も葉もあることだ」
「父の死の姿は、毎日俺の頭に浮かぶ。首つった木は、切ってもらった。いつも畑に行くとき見てしまうから」

彼の言葉をいくら書いても、彼の気持ちは伝えにくい。
いい色に焼けた顔、土に汚れた手。朴訥と話す姿。まさに農民だ。農民の日常を奪った、それどころか、彼の父を奪った原発は、許せない

この映画は、各地で上映されたそうだが、監督の話によると、入りは悪かったそうだ。沖縄では、(見たのは避難者たちだろう)ブーイングが起きたそうだこの真っ暗な深い断絶国・東電こそこの断絶の張本人だ。
この映画は、もう原発事故を過去のことと思っている日本の人々にぜひ見てもらいたい映画である。特に原発を持っている地方の人々には見てもらいたい映画である。