検査の結果/今生の別れと思った

この数日腰痛のため農作業ができない。昨日今日は、雨と雪なので、年一回の、脳の検査と胃の検査に行った。

胃のできものは大きくなっておらず、切る必要はない。但し食道と胃のつなぎ目が緩んでおり、胃液が逆流しているとのことで、服薬指示があった。

脳のMRIでは、頸動脈と脳の割と太い血管に形状の異常があった。これは動脈硬化の疑いがあり、かつての喫煙のせいではないかとのこと。脳の萎縮も見られるとのことだ。ただ医者は「昨年と同じなので、まあ心配ないでしょう」という。

30年間の、日に30本の喫煙の影響が出ているわけだ。自業自得。それよりの怖いのは、脳の萎縮である。認知症の母の脳のMRIを見ているから、怖さが迫る。認知症の怖さである。父のように脳梗塞で死ぬか、母のように認知症で死ぬか、どちらかの可能性がかなり高い。私の終末が見えてきたようである。

6年前の月15日朝時、チャイムが鳴って玄関に出てみると、じいちゃん即ち南相馬の義父が立っていた。特攻「振洋」の生き残りである。

「お前たちは逃げないのか」勿論、原発事故からである。
「ばあちゃんがいるから逃げない」
「んだが(そうか)、俺たち、国道115を通って柏に行く」

この日の日記はこう書いている「原発からの情報は最悪。午前400m㏜。700mで100%死亡という。ただしこれは原子炉付近のこと。原子炉から20キロ〜30キロは屋内退避命令。」

今生のお別れと思った。

前日の日記「○○が午後3時来た。生きていた。津波の時父親と二人で沖へ出ていたという。母と祖父母は残り、祖父母は津波で死亡、母親は大けがとのこと。舟を残してすべてを失ったのだそうだ。よく生きていた。よく来てくれた。お昼亘理の●●さんが来た。夕方××が来て、会津に逃げるかどうか迷っているとのこと」

次の早朝、義父が来たのである。ほんとにこれでお別れだと思った。義父はその後だいぶ体調を崩したが、回復し、この三月卒寿の祝いをした。