気になる言葉のあれこれ

朝鮮半島は(ということは日本も)、今日一日はどうやら特別なこともなく過ごせそうです。
良かった。一応安定したら、安保体制やめることを考えましょうよ。米軍撤退しても、それでも、軍事力世界8位の「他国は侵略しないという誇りと、他国に使われない誇りと、自国を侵略された場合のみ戦う専守防衛という誇りを持つ」自衛隊があります。

桜がちらちらと散り始めました。昭和の特攻隊員は、これが最後と思ってみたのでしょう。

トランプと金の出方でこれが最後となる日本国民が出る可能性もあります。私たちは、このように、他国の行動に財産や命を左右されてよいのでしょうか。

このところ気になる言葉について、思うところを書いておきます。

「behind]初の日米首脳会談語の共同記者会見で,トランプ大統領が語った言葉です。behind Japanといいました。

OleX 英和辞典を見ますと
中心義→・・・の後ろに、場所、人、事柄・物事の進み具合すべてに使われる
(1)・・・の後ろに
(2)・・・の背後に
(3)・・・を支持して、支援して・・・に関係して、we are behind you all wayという例文があります
(4)・・・の後ろに
(5)・・・に遅れて

(3)の意味ならばいいのですけど、(1)や(2)や(4)や(5)ですと、ちと心配だなあ。朝鮮で戦争が起こった場合、一番被害を受けるのが韓国で次が日本なのは明白です。日韓が前線基地/補給基地になります。米国には、そういう感覚もあるのかなあ。米空母・潜水艦群と一緒に戦うのが、在日韓米軍と日韓軍となりそうだ。どう思います?米本土から見れば、日韓の後ろで、隠れて、背後で、遅れて、なんて感覚はありませんかねえ。

「挑発」
北朝鮮の核実験やミサイル発射実験や「ソウルを火の海に」とか「在日米軍基地にミサイルを」とかに対して、「挑発」と政府やマスコミや評論家や国民が使います。

明鏡国語辞典を見ますと
「挑発」
(1)刺激して事件が起きるよう仕掛けること
(2)色情をそそり立てること
とあります。
(1)の事件とは何でしょうか。北朝鮮は、核実験やミサイル発射をやって、事件が起きるよう仕掛けているのでしょうか。事件を戦争と考えてみます。北朝鮮にとっても、北朝鮮の敗戦・壊滅は、自明でしょうから、戦争が起きるように仕掛けているとは思えません。むしろ崩壊の恐怖にさいなまされて、やったらやり返すぞ、という強がり、孤独な(ご主人様=中国に見放された)犬の遠吠に近いのでは、と思います。

もし事件を、北朝鮮が「自分の存在を抹殺しない保障=休戦協定を平和条約に=二つの朝鮮民族の存在と相互不可侵・相互協力を求めている」と解釈するなら、それをおおいに進めるべきと私は、思います。このような平和条約締結要求を、事件とは言いにくいので、「挑発」という言葉は、あわないと思います。

日本では、北朝鮮の核実験やミサイル発射とだけ言えばいいんじゃないんかな。挑発というある価値の入った言葉を使うべきでないと思います。

私は、挑発という言葉は、朝鮮戦争が休戦状態であるという米国の考えの反映なんじゃないかなと思います。確かに米国から見れば、北の「ミサイル」「核」は、「おい貴様、今休んでいるのに、やるのか」という挑発に見えるでしょう。「俺は、今は戦争したくないのにする気か」、と見えると思います。
しかし、日本は、朝鮮戦争時(1950年〜53年)、戦争当事者ではありません。北朝鮮と戦ってはいません。自衛隊は、朝鮮戦争後、1954年にできました。

挑発という言葉を安易に使う日本政府・マスコミ・国民は、米国の戦略にまんまと乗せられていると思います。いや違いますね。日本が米国側に立っているということですね。それは米国と価値観を共有するということだと思います。米国は、米ロ中英仏の核ミサイルは、持って当然と思う国です。ある場合武力威嚇も当然、戦争も当然という国ですよ。日本がこんな国と安全保障面で価値観を共有していいのでしょうか。

日本は、元々戦争ができない国でした。その後自国領土が攻撃されたときだけ戦争をする国になりました。(1960年安保体制)1999年の周辺事態法で、米国の後方支援をする国になりました。2015年の安保法制で、「ある状態」と政府が判断すれば、日本領域が攻撃されてなくとも、米国と一緒に戦う国になりました。

この朝鮮半島の危機を政府が「存立危機事態」と判断すれば、日本は、参戦します。その場合北朝鮮が日本を攻撃するのは、当然です。日本は、その時点で、第二次朝鮮戦争の当事者になります。

普通の国になりたい」人は、この状態を、当然と思うでしょう。普通の国って、何か得があるのかな。誇りがあるのかな。米英ロ仏中なんて、違法の核を持つ国ですよ。自分の言い分を通す最後の手段は、戦争だという国ですよ。勿論武力による威嚇は当然と思っている国ですよ。

私は嫌だなあ。戦争のできない国、専守防衛しかできない国でいたいなあ。安保法制が安保条約の条件なら(そんなことないんです。安保法制は2015年にできましたから)、安保条約をやめてしまいませんか。


「忖度(そんたく)」私の持っている広辞苑第二版(昭和44年)によりますと、「他人の心をおしはかること 推察」とあります。

悪い意味はなさそうです。

新しい国語辞典ではどうか。明鏡「国語辞典第二版 2010年」によりますと、他人の気持ちをおしはかる」とあります。今のところ変わってないようです。悪い意味はなさそうです。 

「他人の心をおしはかる」ー日本的な優しさも感じる言葉です。例えば、お役人が、物言えない庶民の心を忖度する、とか、住民が、原発避難民の心を忖度するとか、孤立している人とか
社会的弱者の心を忖度するとか、そういうことなら、素晴らしい言葉じゃありませんか。相対的に強い立場の人が、相対的に弱い人の心を忖度すべきなのです。

忖度のベクトルが問題なんですね

近頃は、安倍政権や政治家という権力者の心を推し量って、官僚が国民に不利益なことをしたことから、どうも悪い感じを受ける言葉となりました。今後は、「おもねり」「ゴマすり」なんて意味も「忖度」につくようになるかもしれません。「権力者への特別な配慮」なんて意味も持つようになるかもしれません。日本語を汚すなよな。

日本語を汚すのって愛国者なんですかね(皮肉)オット、忖度される側が、自称「愛国者」だったですね。忖度する側の官僚は、愛国者なんて言ってないな。自己保身・出世欲の固まった、上目使いのゴマすり「忖度機」でしたね。国民の共有財産を大安売りするんですから、愛国者なんて言えませんね。そのぐらいの自覚はあるのかな(皮肉)

「特別な配慮」で思い出しますのは、昭和20年沖縄戦の最後に当たって太田実海軍少将が本土政府に送った長文の電文です。沖縄県民の、戦争への献身的協力を詳細に描写し、「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別なご高配を賜らんことを」と結びます。

軍が県民を巻き込んだ罪は別にして、この電文を見ると私は、いつもいつも涙が出ます。怒りがわきます。後世の政府と国民は、沖縄県民に配慮しているでしょうか。いじめてませんか。逆じゃないか

政権は、沖縄県民の心を忖度して行動すべきです。こんなにいじめられても、独立しない県民の心を忖度すべきですよ。独立運動が高まったら、沖縄は、ほんとに中国にとられるかもね。