久しぶりに、スタンデイングの写真をブログにアップします。スタンデイングには、ずっと参加はしてたのですが、カメラを忘れたり、撮るのが面倒になったりして、撮ってませんでした。
昨日うれしいことがありました。町角で高校の先輩に会いました。特に親しいというという人ではありません。その人との会話です。
先輩「あの交差点で皆で立ってんの、あれ、何やってんだ」
私「スタンディングって言って、安保法制反対などの意思表示です」
先輩「俺は声はかけないけど、あれは、いいことだよな」
私「安倍さんの政治、嫌いです」
先輩「俺も安倍嫌いだ」
安保法制の賛否は別にして、「スタンディングで意見表明することはいいこと」と考える人がいます。まだ戦後民主主義は生きています。
原町のスタンディングです。14名参加しました。五月晴れの中涼しい風に吹かれて、思い思いのプラカードで、デモンストレーションしてきました。
今日の私のプラカードです。地元向きです。全国の人には、なかなかわかりにくいでしょう。「いい案配(あんばい)=よい処理」が、元々は適切な処理を意味したのでしょうが、こちらでは今は、いい加減(でたらめ)という意味に使います。
それがなまって「いいやんべ」となります。「にしゃ、いいやんべだな」などと使います。「お前、でたらめな奴だな」ということになります。
勿論このカードは、「この店のもりそばもかけそばも、とても味がいいという意味」でして、そのほかの意味は、決して、一切、まったく、断じて、金輪際、ありません(某官房長菅)。
(参考)私の畑です。
右側の玉ねぎは、いい案配の成長ぶりです。左側のジャガイモは、「いいやんべ」です。空いているところは、何の理由かジャガイモの種がくされて、発芽しなかったところです。安倍が効いたのでしょうか。困りましたねえ。勿論、畑の話でして、政治向きの意味は、決して、一切、断じて、まったく、ありません(某官房長菅)。
未曾有の判じ物です。
どうも判然としないのですが、憲法9条の改正についての安倍首相の発言を聞いて、私は、そう思います。
安倍氏は言います。「自衛隊は合憲である。集団的自衛権は合憲である」と。合憲であれば、改憲の必要がないわけです。一方、「自衛隊も集団的自衛権も必要だ、しかし違憲である」というならば、憲法改正をしなければなりません。憲法改正をしたいということは、結局、合憲だけれど違憲である、ということになりませんか。
安倍氏は、言います。「自衛隊は合憲である。集団的自衛権は合憲である。しかし違憲という人もいる。そういう意見が出ないように憲法に書き込みたい」と。彼が合憲という根拠は、学者がどういおうと、国民がどういおうと、国会内の多数派が言うことが正しいということです。つまりは、多数派が自ら改正する必要はないのです。結局「学者や国民が文句を言わないように憲法を改正しようということになります。どうも脳みそが混乱します。
少数派の意見封じのために、不必要な憲法改正をするということでしょうか?
少数派の意見封じのため、不必要なものを作る、というと何か思いつきませんか。
そうです。今日衆院の委員会で可決された「共謀罪」創設です。「テロ何とか」という名前を付けてますが、テロ等の対策にはすでに法令があります。一人で決行するテロには、共謀罪は効き目がありません。これがなくとも○○条約に参加可能だそうです。結局不必要なわけです。そして共謀罪の創設は、少数派の意見を封じるということになるのだろうと思います。
しかし皆さん。共謀罪が成立してもビビらなければいいわけです。憲法に表現の自由が保障してあります。憲法が守ってくれます。共謀罪の適用が、違憲で無効であるとしてくれます。
憲法は、ビビるなと国民に命令してます。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。・・・」(12条)