明治神宮の杜で思う/ 旅の 最後に涙が出た。

昨日のくたびれか、目覚めるのが遅く、出発は、9時を過ぎていました。
品物にも関心なく、人込みが嫌いなので、いろいろ迷った末、明治神宮へ行きました。地図で見ますととてつもなく広いです。

(多分)南参道入口の鳥居です。(原宿側です)

参道です。参道の周りは、うっそうとした広大な森です。人工的に作った森だそうですが、もう自然林そのままです。原宿駅を降りたときは暑かったのですが、明治神宮に入りますと数度気温が下がったような気がします。木陰は涼しい。冷房のなかった時代、受験生は、この森の中で勉強したかもしれませんね。明治の人は、いい遺産を残してくれました
途中で、明治神宮御苑があり、中に入ってみました。明治天皇と奥様に愛でられた園庭です。明治のころは、一般人は入れたのでしょうか。


花菖蒲園です。花菖蒲とあやめとカキツバタの異同、ずっと前、潮来のアヤメを見に行った時や近頃ではどなたかのブログで見ていたのですが、すっぽり頭から抜け落ちています。

すべてに名前の表示があります。この花も名前まで撮ったつもりですが、撮れていませんでした。150種類あるのだそうです。その名前が優雅で、とても興味が惹かれます。名前ばかりを見てきた感じがします。ところがさっぱり思い出せません。夕霧とか朝霞とかあったかな。川の名前もありました。中国の故事から来たのかなあ、なんて名前もありました。伊達道具というのはあったな。面白い名前なので憶えています。花好きの人は、名前と花を見比べたらとても楽しいと思います。
この花菖蒲園では、明治神宮崇敬会という団体が見学していました。ものすごい数です。昨日の反原発集会をはるかに超えているように思いました。

明治天皇は、昭和の大戦争の惨禍をどう思うのでしょうか。明治とはどんな時代か?アジア諸国が植民地化される中、独立を保持したうえ、近代化に成功し、「5大国」の一つ言われる基礎を作った輝かしい時代か?昭和の悲惨をもたらした悪しき時代であったか?いろいろな思いがよぎります。

あの大戦の惨禍を思えば、少なくとも天皇を神とし、日本を神国とした思想は、日本を守らなかったといえます天皇は神ではない、という戦後思想の方が優れていたのは、間違いありません。だからこそ、私は、天皇を公務員と考える恒久的制度を作るべきだと考えます。退位は定年制を原則とすべきと思います。

天皇が神でなくとも、「神」を感じることがあるかもしれません。この杜を渡る風、木漏れ日、そして、海、川、山、荒ぶる自然の脅威とその恵み、人知を超えた何かを感じることはあります。それを神と呼んでもいいのかもしれません。人知、人力を超えるものがあるのは、間違いありません。それを神や仏の何かの力と感じてもいいでしょう。

しかし私は、あくまでも人知、人力の範囲内で、何とかしようとおもいます。他人が神や仏を使って、私を動かそうとすることには、同意できません。そんなことを、この杜の中で考えました。

明治神宮崇敬会の人々は、明治天皇を今も神と考えるのでしょうか。明治代をどう考えるのでしょうか。それともこの杜に神秘を感じるのでしょうか。自然を崇敬するのでしょうか。杜を作った先人の行為を崇敬するのでしょうか。
家康を神とまつる、天皇を神とまつる、戦争で死んだ兵士を神と祀る、それって、現世の人が現世の人を動かすための思想なんじゃないか?そんなことも考えました。

くたびれ果てて(大きなリュックを背負って歩きまわりました)、代々木口の方で休んでますと、なんとそばにこんな建物がありました。

神社本廰です。現政権を牛耳っているという「日本会議への資金提供団体」と、(多分)青木理氏の本で読みました。にわかに、神とかけ離れた世俗的においがしてきました。私の感じる神仏と正反対の匂いです。

午後、国会前の、辺野古新基地建設反対・共謀罪反対集会に出ました。

昨日の二つの集会に比べてはるかに多くの参加者がいたと思います。コールは昨日の夜に比べると勢いがなかったな。言うことが多すぎます。海渡弁護士の話は、なるほどと思いました。辺野古基地反対と共謀罪をうまく結んで説明したと思います。稲嶺名護市長の話は、いまいち迫力がありませんでした。

これが私のプラカードです。「テロ対策と嘘つくな」から連想したものです。何べんも言いますが、辺野古が唯一というのは、明らかな嘘です海兵隊なんぞどこにいたって良い。辺野古がなくとも、軍事抑止力が無くなるわけじゃない。軍事抑止力は、戦争を抑止するかどうか、証明不能。米軍基地即ち日米の軍事同盟が戦争を抑止するか、戦争を招くか不明。戦争防止の別な手立てがあるのは事実。どちらが有効かは不明。

私の前を沖縄の人たちのデモ行進が通りました。踊りながらです。元気です。明るいです。国会を包囲している4方面をデモ行進するのでしょう。島の名前を書いたプラカードを持ってました。私も、丸の内鍛冶橋駐車場へ行くため、プラカードをしまい、あるきだしました。信号機を渡って少し行ったところで、エイサー踊りをしている人たちと、私の前を通ったデモ行進が遭遇した場面にあいました。双方、お互いに頑張りましょうというエール交換を、体全体で表しているように見えました。どちらも遠く沖縄から大変なお金をかけ、国会という権力の中枢に、平等、自治、平和を訴えにやってきました。


私は、この写真を撮りながら涙がにじみました

太平洋戦争時、本土の捨て石にされた沖縄、米軍占領下、軍事力をバックに土地を収奪された沖縄、本土復帰しても、本土並みにまったくほど遠い沖縄、政府によってずっと虐げられてきた沖縄。明治以来、いや薩摩の支配下にはいって以来虐げられてきた沖縄、そして今、安倍政権によってなお差別を受け、しいたげられ、意思を踏みにじられている沖縄。そしてそれよりも、何よりも何よりも、同じ日本国民なのに、沖縄差別を考えようともしない多くの日本国民。そんな中で明るく元気に、新基地反対を訴え続けるこの人たち。私は、うれしくて、悔しくて、そして悲しくて、涙が出ました。こうして私の東京デモ旅行は終わりました。

今日は、「生業原発訴訟」第二次陣応援のため福島に行きます。