「生業訴訟」第二次応援に行きました

私たちの「生業訴訟」=「原発事故から生業を返せ、故郷を返せ」訴訟は、すでに終わりましたが、第二陣が同じ内容で、国東電をあいてに訴訟を起こしています。その応援に福島に行きました。
いつも通り、福島法律事務所前で集会、そのあと福島地方裁判所へデモです。

集会であいさつした福島大学生です。福島の原発事故を卒論に選んだのだそうです。自治体職員の合格したのだそうですが、もっと研究を続けたくて、就職を辞退し、大学院で研究を続けているのだそうです。

裁判所へ向かうデモ隊です。今回は少なく感じました

裁判を傍聴しました。初めに二人の原告が意見陳述をしました。どちらも女性でした。

江田さんは、事故後娘が生まれてどこに住むかで夫と対立し離婚したこと、娘の養育に気を遣う苦しみ、大熊で生まれ浪江で育ったそのどちらの故郷にも帰れない苦しみを涙ながらに訴えていました。「浪江ってお金貰っているんでしょと言われて悔しい。お金じゃないんです。故郷を昔のまま返してください」という言葉が印象に残りました。
富田和子さんも、市役所に勤めながら米を作っている夫とのいさかい、子供を外出させない苦しみ、水を安心して飲めない苦しみ、被爆の恐れなどを、涙ながらに訴えました。
自然の中で穏やかに過ごしたい」という言葉が心に残りました。

その後は二人の弁護士から、国と東電の責任を追及する弁論がありました。前橋裁判の結果に言及し、国東電の責任を認めたことを評価しつつも、賠償が不徹底なことを論述していました。おかしなことに、国東電は、発言求められても、「文書で提出した通り」ということで反論しませんでした原告団長に聞くと「言葉で言うと、なんだあんなこと言っているのか」と多くの人に知られることになり、それよりは、おとなしくやり過ごしたいという作戦なのだそうです。なるほどねえ。ひどい主張なんだろうね。

裁判は1時間もかからず閉廷しました。その後は別会場でのシンポジウムに合流しました。30年以上前の福島原発差し止め訴訟の経験者たちのシンポジウムでした。
その裁判に携わった安田純治弁護士の「裁判は、次世代へのメッセージ。言わなければならないことは言わなければならない。」という言葉が印象的でした。

この集会でもらった資料で気になるものがありました。安全神話の成立に関することです。多額の費用を使い、いろんな場面で、原発は安全ということを宣伝したことです。
かつて「アトムふくしま」というパンフがありました。相馬市の場合、隣組を使って全戸に配布していました。その一つの例がありました。2004年3月号です。事故7年前のものです。この号は、原発立地周辺自治体の中学生の作文特集です。いずれも、原発は安全、原発は安上がり、原発は環境問題を解決するという論調です。

このパンフに載っている富岡二中の二年生の作文の冒頭をあげてみます。
原子力発電と聞いて思い浮かぶのは危険という言葉でした。原子力についてまったく知識がなかったのです。しかし先日、中学校で安全教室として原子力発電についてお話をいただき、それが私の誤解だったということに気づきました。その時は、原子力発電所の安全対策と万が一事故が起きてしまった時はどうすればいいかをしえてもらいました。とても勉強になりました。・・・以下略」
なんという嘘つきの、よく言っても、間違った知識を中学生に教えていたことでしょうか。罪深いことです。

そのほか中学生の作文の一部をあげてみます。
原子力発電は現在開発されているエネルギーの中で、最もクリーンな、百年後も使えるエネルギーです」「原子力発電は、二酸化炭素が排出されないので地球温暖化防止に大きく貢献できます」(浪江中2年)
「日本は資源に乏しい国なので、ウランは日本にとって純国産資源といえるものです。それに発電にかかるコストは、1キロワット当たり9円ととても安価に発電できる、安定した価格で電力を供給できます」「環境に良い発電、それが原子力発電です」(広野中3年)

この中学生たちを馬鹿にできません。日本国民の殆どは、この中学生たちと同じ考えだったと思います。いや、多くの国民は、この中学生たちよりも知識がなく、無関心だったと思います。二度とこんな失敗をしないよう心がけましょう