懐かしい未来

私たちは、近所のガキ大将の命令のもと、橋の下の「にごし」に挑戦した。「にごし」とは、標準語では「かいほり」だろうか。水の流入を止め、バケツで水を掻き出し、魚を一網打尽にする豪快な遊びである。田んぼの小川ではよくやっていたが、この城跡の外堀でやるのは初めてだ。

下流の池の[[にごし]]のため、水は抜いてある。しかし流れを止めるのは難しかった。石と板と肥料袋で堰き止めた。しかし不完全である。チョロチョロの流れはやむなし。一生懸命水を掻き出した。どんどん水はなくなっていった。魚の背中が見え始めた。フナやウグイである。網にかかってきた。もっと干すとナマズが獲れた。そして最後にが。それも何匹も、である。がんけ(石垣の穴、この辺の方言だろう)の中に潜んでいたのだ。ヤスで突いた。何本獲ったろうか。少なくとも本はいたと思う。


これが、「にごし」の現場です。幅2メートル弱、長さ4メートルというところか。これは奥の方は、石垣が積んであります。

ウナギは、ガキ大将が独占した。私がもらったのは、大きな[[20]]センチを優に超えるフナ10匹弱である。母が料理して、焼いて食べた。いっぱいいたドジョウは、ほとんど獲ることができなかった。
大小7つの池とそれをつなぐ流路には、鯉・フナ・ナマズ・ドジョウ・ウナギ・鮠・もろこ・カニ類・エビ類・貝類・カメ類がいた。かつては鮎もいたそうだ。このように豊かな自然があった。

このにごしは、私が小学校3・4年くらいのことであるから、もう60年近く前のことである。その後この池は、ドジョウ→アメリカザリガニの大発生→雷魚の闊歩と天下を支配するものが変遷し、魚類では、最後がブラックバスの覇権で終わった。そのほかで残った魚類は鯉のみである。そして陸地化が始まり、現在の葦の天下となり、もう池の面が見えなくなって5年以上たつ。

この池は、江戸初期お城の築城の際の外堀として誕生した。以後400年維持されてきたが現在は、ほぼ陸地化している。維持してきたのは、私の知る限りでは、下流の水田地帯の農民である。灌漑用水維持のためである。江戸時代には町の人の労働奉仕もあったかもしれない。しかし、彼らの労働力もさることながら、この自然を守ってきたのは、7つの池を流れる宇多川からの分流水である。今は流れていない。どうして流れなくなったか、それは相馬市のもっとも考えるべき問題の一つと思う。


昔は池でした。、今は葦の原です。ここにアメリカザリガニが生き残っていたのです。

相馬には、松川浦という潟湖がある。それは太平洋とつながっている。詳しくは言わないが、私の感じでは、川も浦も海も、昔の方がはるかに豊かだった。間違いないと思う。

近頃私は、NHK取材班「里海資本論」を再読した。畠山重篤「森は海の恋人」を初めて読んだ。「森は海の恋人」には、感銘を受けた。海のカキは、森の落葉広葉樹の腐葉土層の栄養をもらって育つ、という自然の不思議に感動した。町の生活も、多く山に依存していたということも再認識した。

あの外国人が驚嘆した「楽園」、渡辺京二逝きし世の面影」に描かれた江戸時代・明治初期の日本は、山・川・海の自然と、里山人・町人(まちびと)・海人の有機的結びつきが基盤であったのだ。深い深い結びつき。

明治以降の日本は、資本の論理で発展してきた。資本の利潤追求を第一としてきた。それは、自然との共生などは眼中にはなかった。戦後も同様である。社会主義的生き方が失敗に終わり、資本主義の論理は、グローバル化した。世界中に金融資本の跋扈をもたらした。それは、先進国と途上国の格差をもたらした。またそれぞれの国内での格差・差別・非人間的競争・人格崩壊をもたらした。国家間・民族間の対立ももたらした。勿論、自然の破壊も。また、自然と人間の共生を分断した。

私は、資本主義のもたらした技術的・物質的豊かさを肯定する。資本主義以前の、原始・古代・中世・封建時代の非人間的慣習を否定する。しかしまた、資本主義以前の自然と人間の共生を渇望する。「逝きし世の面影」に描かれた来日外国人と同じまなざしで。

懐かしい未来」という言葉が「里海資本論にある。「里山資本主義」には、バイプレーヤーとしての自然と人間の共生が描かれていた。

私たちは、「資本主義のバイプレーヤー」として、資本主義以前の自然と人間の共生を復活させるべきではないのか。人口減少期に入った日本では、人口の少なかった資本主義以前の生活が手本となるのではないか。

田舎では、自然と人間の共生は、おぼろげながら想像ができる。都会ではどうか。例えば東京ではどうか。考えてみれば都会の消費生活、衣食住すべてにわたって、世界のどこかの田舎の原材料やエネルギーに依拠している。それは、少し想像すればわかる。

逝きし世の面影」の外国人が驚いた江戸・東京の自然の豊かさ、それは21世紀にもかなり残されているのではないか。東京に行くたびに思う。皇居、新宿御苑明治神宮の杜、多くの都市公園の緑の濃さを。数年前に見たお台場の美しい海もきれいだった。まだ見たことはないけど、デパート屋上の庭園。それらは、田舎の町の、手入れ不全の自然より いいのじゃないか。江戸は、省エネ型循環社会だったということを読んだことがある。その時代の良い点を、現代の優れた科学技術や世界中の知見で生かすことができないか?

資本主義の原則を認めながらも、その解毒剤あるいはバイプレーヤとして、自然と人間、人間間の共生・共存を、それぞれの地域で再構築すべきではないか。そんなことを近頃思っている。

私は現役時代、自分の家の前の池の変化にさえ気づかず(目には見えていたのに)生きてきた。仕事に、生活にいっぱいいっぱいだったのだと思う。これを反省して、少しでも自然が回復できるよう考えていこうと思っている。

まずは、宇多川上流の玉野の、広大な森林破壊(メガソーラー基地建設)を何とか阻止したい。巨大な資本が「儲けが出るぞ、それ始めろ」となれば、どうしようもないと思うけどね。