人間、誠実に生きたいものだなあ

ブログ知人のyonnbabaさんとepomさんとの交流で、突然小説を読みたくなった。ずっと読んでない。

本日は、曇りと小雨(晴れも少々)という典型的な梅雨模様である。しかも気温もそう高くない。26℃〜30℃くらいと思う、本読みには適している。まあ、湿気が多いけれど。

選んだのは、山本周五郎である。近頃BSジャパンで、山本周五郎原作のドラマをやっているのが影響しているのか。ドラマそのものは、いまいちと思っている。

自分がかつて読んでよかったなあと覚えているものを探して読むのである。今日読んだもののうち、少々を紹介したい。(以下少々ネタバレ注意

(1)まじめに前向きに楽天的に生きようじゃないか
「ひやめし物語」

武家の4男坊は、分家もできず、兄の厄介者で、冷や飯を食っている。しかし底抜けに明るく楽天的。その彼が恋をした。勿論嫁にもらうことは出来るわけがない。ところがその娘も彼を恋しているという。娘は、婿取りは出来ないみぶんである。相思相愛の男女の恋の成就は、絶望的。
皮肉なことに、人生初めての豪遊で、5000石の中老に見初められ、娘の婿にと望まれる。時を同じくして、藩から彼の古書収集の趣味が認められ一家を建てることができることになり、愛する二人は結ばれる。

ユーモラスな幸せ物語である。大逆転劇で、痛快である。いいねえ。同じような痛快ユーモラス話に「末っ子」がある。こちらは、冷や飯食いが、骨とう品への造詣で、恋を成就した話である。ほかにもいろいろあったなあ、ユーモラスな幸せ物語。つらい境遇でも、明るく前向きに生きていればよいこともある、そんな気にさせてくれる。

(2)上に立つ者の努力

若き日の摂津の守」
藩を私有物とする家老などの権力者に、バカを装いながら対抗し、藩政改革に乗り出す殿様の話。賢い兄が、この家老たちに危険視されて排除された、そのあとを継いだ弟である。バカを装うのは、乳母の養育によるが、元々能力も高くない。その彼の涙ぐましい努力と愛の成就が実にいいなあ。いい。

(3)誠実な生き方はさわやかである。

これはもう、武家もの・町人ものを含めて山本周五郎の小説に色濃く存在するメインテーマである。今日読んだもの、二つをあげる。

「水戸梅譜」

水戸光圀を慕う浪人親子2代の誠意の物語。光圀もこの誠意にこたえる。封建時代の主従関係の物語であるが、身分的主従関係のない現代だって、(職業上)上に立つものも下でささえるものも、誠意がなけりゃー、ダメだろう。少なくとも相互の信頼関係は成立しない。そんな組織は、いい仕事は絶対できない。あれ、「水戸梅譜」、前に自分のブログに書いたかもね。

青竹

私が「柳橋物語・昔も今も」(中編)と並んで最も好きな周五郎の短編小説である。

時は戦国末期〜江戸初め。主人公は、功名・出世・保身・わが命をも含めて一切を顧みず、ひたすら藩のために戦う人間である。自分の手柄さえも名乗り出ない。誠実である。無私なのである。さわやかなのである、すがすがしい

その彼は、生涯妻をめとらない。若いときただ一人愛した女性を、そして彼女を妻にする障害が全くないにもかかわらず、「おのれの増上慢」(原文通り)から断った。その彼女は2年後に死んだ。「わたくしの妻はその人、ほかに、余呉家の嫁はございません」(原文通り)

現実には、こんな人は、昔も今もいないだろう。いたとしても少ないだろう。前田文科省事務次官でさえも、在職中は、不正を許さぬという意味では、誠実ではなかった。在職中誠実であろうとすることは、困難である。彼は、現在、誠実に生きていると思う。

安倍・菅・稲田・その他政権と政権につながる我利我利亡者どもは、誠意とまったく無縁の存在である。見苦しい。たまには自分ことばかり考えず、正しいこととか、国民に役立つこととか考えたら。

確かに誠実に生きることは難しい。俺もできない。できなかった。でも誠実に生きるというはわかるんだなあ。自分が十分にはできなくとも。安倍さんたちは、こんな心は分からないんじゃないのか、と思ってしまう。