アン王女の美しさ

NHKBSアナザーストーリーズ「オードリーとローマの休日…」を見た。正確にいうと、妻が録画していたものを見つけたのである。

今年14日の拙ブログに、SPYBOY様からコメントをいただいて、この映画は、「単なる娯楽映画でなく、またオードリーの美しさだけの映画でもない。戦後の米国での赤狩りという社会現象の中で、作られた映画だ」と聞いていたので、この番組を興味深く見た。

この番組で分かった。この映画は、赤狩りに批判的な人たちがハリウッドから逃れてローマで作ったのだということを。脚本家ダルトン=トランボ、監督ウイリアム=ワイラー、主演男優グレゴリー=ペック、助演男優エデイ=アルバートは皆、赤狩りということだ。いわば、アメリカの良心たちである。


この番組に触発されて、またまた「ローマの休日」を見た。前回は、ペック演ずる米国新聞記者とその友人の写真家に、アメリカの「フェアーさ」を感じて感動した。今回は、アン王女の美しさに感動した。

アン王女とは、映画「ローマの休日」で、オードリーヘップバーンが演じる、架空の王女である。

この映画には、オードリーのかわいらしさ、美しさがあふれている。この世に出現した妖精のようだ。


その中でも、一番美しいのは、最後の場面のオードリーであろう。しかし、この場面では、あえて「アン王女」の美しさと、私は言いたい。


この映画は、アン王女の謁見の場面から始まり、謁見の場面で終わる。この間わずか二日である。

しかし、アン王女は、この二日で劇的に変わった。実質的には一日で。

「いやいやながら王女の仕事を果たす女性」から「自分の意思で、王女の人生を生きようと決心した女性」への変身である。それは、普通の人間の享受できるすべての楽しみを捨て、米国青年の愛も捨てた姿である。米国青年(グレゴリーペック演ずる新聞記者)は、金銭欲・名誉欲。出世欲を超えてアンを愛する。至上の愛である。アン王女は、その純愛をも断ち切ったのである。

何が彼女をそうさせたか。それは自分に与えられた使命の遂行のためである。最後の場面でのアン王女の美しさは、自分の意思で困難な人生を、また自分に与えられた使命を生きようとする人間の凛々しさである

その美しさは、崇高といっていい。オードリーヘップバーンは、それを演じきった。

赤狩り」とは、思想良心の自由の屠殺である。踏み絵をふませることである。それを喜んで行ったものも、保身のため意に反しそれに屈したものもいただろう。いずれも人間の尊厳を棄損するものだ。

古今東西、自分の権力・地位・富・欲望を守るために汲々とする人々が多い中で、「ローマの休日」に集った映画人は自己の欲望を超えた崇高な使命・正義・公平に生きる人々を描いたのである。そしてオードリーは、それを見事にスクリーンに刻み込んだ。

政治家・官僚・経営者・中間管理職・一般人の、そして私自身も含めての、自己保身には嫌けがさす。。だからこそ私は、映画「ローマの休日」の王女・記者・写真家に惹かれるのである。