私は何を残すか

私は現在80坪の畑を作っています。自宅の裏と約5キロ離れたところの畑です。妻には「畑やらないか」と時々声を掛けますが、まったくやる気がありません。同居の娘夫婦も、同様だと思います。仕事に忙しくやれそうにもありません。

私が動けなくなったら、あるいは死亡したら、この土地はどうなるのでしょう。自宅の裏の畑は、妻が花畑にできるでしょう。花つくりは好きなようですので。しかし、遠くの畑は、荒れ地になります。

この遠くの畑は、元々山林でして、8年前樹木を伐採し山砂を入れて畑にしたところです。私がブロックで土留めをしたのですが、何せ素人工事です。土留めが畑より低いため、土が流れ出すのです。そこで2年に一度、スコップで土を掘っていました。やがて加齢とともにできなくなります。そこで、近頃もっと高いブロックの土留めを作りました。下の写真がそれです。


低い黒いブロックが年前に作ったものです。これを最初から3段で作れば今更作る必要がなかったのですが、そこが素人の浅はかさです。

私は、この土留めを死後に残します。残された家族は、土を掘る作業からは、解放されます。負の遺産を軽減します。ただし、この土留めは、数十年後にはダメになり撤去しなければならなくなるでしょう。そこは、家族に言っておくつもりです。また、年数回の草刈りが必要になります。それも言っておきましょう。

隣の土地は、(一番下の写真の左側)、持ち主が東京在住で、手放したがっているのですが、誰も買いません。私も「タダ同然でいいから買って」といわれましたが、邪魔になるだけですので、買いません。

このように、土地神話の時代と違い、現在では、田舎では、土地は負動産化しているようです。

田畑の荒廃はもとより、町の中でも荒地が目につきます。長く田畑であった土地にも、賃貸しアパートが大発生しています。土地の処理に困った末の不動産投資です。人口減なのに、入居する人が確保できるのでしょうか。投資は損失にならないでしょうか。

日本全国で土地の負動産化が起きているとおもいます。

土地の負動産化の問題は、相馬市玉野のメガソーラー発電基地計画の背景にもあります。この計画は、230haの規模です。
半分以上が山地を削り造成します。それに伴う土砂災害、保水力を失う結果の洪水被害、自然破壊等が心配です。山地以外は、平地の田畑に造ります。玉野は典型的な中山間地で、山地や田畑の持ち主は、自分の土地を持て余しています。ですから地権者たちは、賃貸料収入に期待して、メガソーラー発電に賛成です。

一昨日、このメガソーラーに反対する人たちの忘年会がありました。玉野から名、相馬市から1名(私です)、南相馬市から1名でした。伊達市の「花工房」というところで開催しました。11時から3時半までの忘年会で、お酒のない忘年会でした。

カメラを忘れたので、貰ったパンフを挙げます。地域の産業おこしにずいぶん努力と工夫しているなあ、と思いました。従業員の接客態度も良かったです。食べ物も2500円にしては良かったと思います。

この会合は忘年会というより研修会という感じでした。いろんな話が出まして、勉強になりました。
「玉野部落(こちらでは普通に部落という言葉を使ってます。部落と言う言葉に、差別感はありません60軒中明確に反対をしているのは、3軒だけ」だそうです。今回の参加者4名のうち最高齢の93歳のHさんの言葉が印象的でした。この人は、戦後に復員してきて玉野に開拓に入った人です。

印象に残った彼の言葉があります。
「30年前、玉野にゴルフ場建設の計画が持ち上がった時、最後まで反対してきた俺のところに建設会社がお金持ってきた。オラは言った。金なんて要らね。食って生きていけるだけの金でいいんだ、その余はいらね、と言ってやった。ゴルフ場なんて、残しちゃだめだ。今回もそうだ。ソーラーパネルや破壊された山を残しちゃだめだ」
その時買収に応じた家に支払われたお金の合計は、5億円です。彼も高額を提示されたと思います。彼は、お金を残さず豊かな自然と畑を残しました。すごい人です。彼は野性的な?人でもありす。今年畑を荒らしたハクビシンをとっ捕まえて食べたそうです。「くせがなくてうまかった」と言ってました。私はとても食えません。

何を残すか、これが考えるべき一番のことと思います。私たちは、山を崩して造ったメガソーラ基地を残してはダメだと思います。

何を私たちは残すべきでしょうか。少なくとも、自然破壊や原発核兵器や借金は残すべきではないでしょう。そう私は思います。

今日の朝日新聞世論調査から判断すると、自民党が選挙で圧倒的に強い理由の一つが自民党政権担当能力が国民にアピールしていることと思いました。

しかし私は、自民党政権担当能力ということに疑問を持っています。(私はこの場合の政権担当能力というのを、安定した政権運営と考えています。)現政権の安定の大きな要因は、マスコミ・司法・行政を含め、反対意見を封殺していることだとおもいます。それはファッシズムです。それは良くないことです。なぜなら私は、相手を尊重したうえでの意見のぶつかり合いの中から、より良いことが生まれると考えるからです。ですから現自民党のやり方は、間違う可能性がより高いと考えています。ファッシズムが間違った場合、惨害が大きくなります。それはナチスドイツや軍国日本の例が示しています。
本日の朝日には、塩野七生氏のこれと違う考えが掲載されていました。優秀な(実質的)独裁者の政治が、民主主義的衆愚政治より良いという考えです。ギリシャローマの歴史に詳しい塩野氏の言うことが正しいかもしれません。けれど私は、皆で決める方がよいと信じています

またこの世論調査からは、国民の、現政権の経済運営の高評価も、政権の安定に役立っているということがわかります。しかし、私は、現政権の経済運営は、「今さえよければ」という政策と思っています。そして、あとでひどいことになると考えていますので評価しません。

現政権の経済での良い面(輸出増・株高・会社の利益増大)は、円安の結果です。円安は、輸入品に頼る国民生活を圧迫します。円安は、輸入に頼る燃料や食糧が高くなります。

しかも円安の手段として、日銀に国債購入をさせています。国債(政府の借金)を日銀が買うことで、出回る円の量を増やしています。円が増えれば、円は安くなります。

この円安誘導政策は、国家の借金を増やします。

つまりは、国家の借金を増やして、国民の生活を圧迫する政策と思います。借金は返さねばなりません。税収の20倍の借金は、そのままでは劇的破綻をする可能性を秘めています。

アベノミクスは、よく言われる「病気の人にカンフル注射を打っている」政策なのだと思います。現政権の政策は、「あとは野となれ山となれ」「今さえよければ」「先のことはわからない」「そのうち何とかなるだろう」「キリギリス政策」だと思います。原発がそうでした

原発は、トイレのないマンションでありながら、「そのうち解決手段も出てくるだろう」として進めたのでした。

玉野のメガソーラー計画も、「今もうかればいいや」と考える会社と「今収入が入ればいいや」という住民の、「今がよければ」という考えの合作です。

余計な話をしました。
まとめていいますと、現政権の安定=政権担当能力が高い、というのは、ファッシズム(その欠点=間違った政策を進めている可能性が高いこと、それが失敗した場合の惨害は大きくなること)、国家の借金を増やし国民の生活を圧迫していること、その結果劇的破綻の可能性を高めていることだと考えています。

自民党政権運営能力の高さというのは、国民によくないことです

私は何を残すか。
昨日は相馬で、今日は南相馬で、スタンデイングをしてきました。私は、スタンデイングを「民主主義の基礎は、選挙での意思表示ばかりではないこと、いろんな方法でいろんな意見を表明することも民主主義」ということを示すという気持ちからやっています。これもまた残すことの一つと考えています。


相馬のスタンデイングです。参加者は、いつもの名でした。小学生1年生が通りかかりました。この小さい子たちも、私たちが(街頭でものサービスを売る以外の)、自分の意見を路上で発表している姿を見て、意思表明していいんだと思うでしょう。

南相馬のスタンデイングです。参加者は、11名でした。

そうです。国民が、9条の改正なんて要求してないのは、各種世論調査ではっきりしています。

改正したいのは、政権でしょう。それは、違憲である安保法制を合憲にするという政権の目論見からでしょう。

彼らもわかっているのです。国会で多数決で成立させた法律でも、違憲なら無効ということを。そして、安保法制は、違憲という疑いが濃いと自覚しているのでしょう。なぜなら、安保法制の根本である集団的自衛権をこれまで自分たちも認めてこなかったのですから。

政治の運営は憲法に違反してはならないのに、憲法違反の疑いがある安保法制を成立させたといううしろめたさがあるのでしょう。自分たちは悪いことをしているということを、自覚しているのだと思います。そしてまともに集団的自衛権行使をまた正面から議論するとまずいと思っているのでしょう。
だから「自衛隊を書き込むだけ、何も今までと変わらない」なんて嘘をつくのです

私も戦前の人になりたくないと思っています。戦後の評価にはいろいろあるでしょう。平和と繁栄は、米国の従属下でなしえたことでした。沖縄に矛盾を押し付けた平和でした。それらは解決しなければなりません。それでも平和は大事です。平和を維持しつつ、米国への従属からの脱却、沖縄の矛盾を解消し、それを後世に残さなければなりません。

米国への従属は、平和を失う可能性が高いと思います。米国が北朝鮮と戦争になったら、日本も戦争に巻き込まれます。安保法制がある以上、日本も参戦できます。

軍事力による平和=軍事抑止力は、危ないものです。別な抑止力を考え、実行すべきでしょう。そういう政党が勢力を伸ばしてほしいです。

私たちは、何を残すべきでしょうか。少なくとも、いまばかりではなく、あとのことを考えるべきでしょう。

久しぶりにブログを書いたら、随分と長文になってしまいました。今後の年賀状と大掃除と畑作業、孫迎え等を考えると、今年はもうブログは書きません。

ちと、気が早いですが、今年一年拙ブログを覗いてくれた方々、コメントをくださった方々に御礼申し上げます。来年もよろしく。良いお年をお迎えください