「生業裁判第二陣」傍聴

昨日(1月29日)「生業裁判第二陣」を傍聴に行ってきました。「生業裁判」は、昨年10月10日、国・東電の責任を認める原告側勝利の判決でした。この裁判の結審前から、同じ訴えの裁判が準備されていて、昨年提訴されました。それが生業裁判第二陣です。

昨日は、第二陣の2回目か3回目の期日でした。内容は、原告一人の弁論「被害の実態と訴え」と、原告側弁護士の、「原発事故は予見できた」という証明の一部でした。どちらについても、国・東電側は、反論をせず、20分ほどで終わったしまい、肩透かし、「なんじゃらほい」という感じでした。原告側弁護人も被告側弁護人も10名以上いたわけですが、しゃべったのは、原告側の一人だけでした。無駄のような気がしましたが、裁判とは、そういうものなのでしょう。

傍聴希望者は、51名でして、48名しか傍聴できず、抽選でした。当選発表?の時は、ドキドキしました(笑)

私のすぐの前の傍聴席は、「記者席」でして、どこのマスコミか聞きましたら、時事通信という答えでした。若い女性でした。記者席には11名ほどいまして、すべてが20代の若い人たちでした(そのように見えました)。大した審議もないとわかってて、若い記者を派遣したのかもしれません。多分、どこも記事にはしないでしょう。

原告の弁論の際には、裁判長が「よろしくお願いします」といい、原告も裁判長も、お互い頭を下げて弁論が始まりした。改めて、へえー、と思いました。

裁判官の応対は、非常に丁寧でやわらかいと思いました。それでも、国家の司法権という一権力の強力な発現です。その判決は、国・東電の責任を断罪し、賠償命令を出したり、逆に原告の訴えを間違っていると決定します。

この強力な司法権は、絶対、他の権力(立法・行政権)や他の何か(お金・裁判官の出世欲・個人的事情・マスコミ・脅し・忖度等)に影響されてはなりません。

余計なこと、当たり前のことを申しました。

裁判官の丁寧な応対に「へえー」と思ったのには、わけがあります。
一昨日私は、NHKアーカイブスで「新・事件」という古い古いテレビドラマを再見しました。このドラマでは、裁判長が実にいばっている、という感じでした。いばっていると言っては悪いか?よく言えば権威があると言ったらいいか。昨日の裁判とは大違いでした。それは、民事と刑事の違いなんでしょうか?それとも40年弱の違いなのでしょうか、個人差か、私にはわかりません。

私は、裁判長のあり方について言いたいわけではありません。この37年前のドラマについて、書いてみたいのです。別な項目にして、見た思いを書きたいと思います。