あきらめないぞ!辺野古新基地反対も安保法制廃棄も

名護市長選、残念ながら新基地阻止の現職稲嶺さんが敗退した。残念なことである。

自分の町に米軍基地がほしいかどうかで聞けば、名護市民も反対が多いだろうと思う。沖縄タイムスが昨日出口調査と同時に行った基地の賛否では、60%以上が反対という。また同紙によれば、自民党系候補は、「地位協定見直し」「基地を県外へ」という政策協定を公明党と結んだという。公明票を取り入れるための姑息な手段である。また、選挙戦では、この候補は、辺野古基地のことにまったく触れなかったという。これまた姑息な手段と思う。

しかしながら、3000票という差は、こればかりではないだろう。なぜ稲嶺氏は敗れたか?それは、名護市民のあきらめからくると思う。
新基地阻止を訴えても、現実に目の前で基地ができ始めていれば、これは反対してもどうしようもないなと思うのは、当然である。それよりは、何か経済発展を目指した方が得だと思うのは、当たり前である。批判なんぞで決してできない。稲嶺氏の公約は、実現不能とみられたのである。

同様に秋の知事選では、新基地阻止の翁長知事側の苦戦が想像される。

稲嶺敗れ、翁長敗れ、このまま辺野古基地が作られて、それで解決か。それで万々歳か。決してそうではない。

基地建設は、地域の民意を無視したものであったということは残る。翁長・稲嶺時代に始めたのだから。このまま基地が建設されれば、日本国は、地域の民意を無視する国家であるということが残る。地方自治という民主主義の根幹に大きな傷を残す。

辺野古基地建設は、沖縄県内の移設ということで、沖縄県民差別の存続である。1%に満たない面積のところに、有益(私は決してそう思ってない)かもしれないが、迷惑な施設(米軍基地)を70%も引き受けてもらっているという、不平等の温存である。平等であるなら、沖縄県以外の、日本国内に海兵隊基地を作るべきである。海兵隊は機動力が持ち味である。どこにいたって良いのである。辺野古新基地を認めれば、差別・不平等はこのまま続く。

地方自治という民主主義や平等という大原則をぶち壊して、辺野古に新基地を作ってよいわけはない。

これは、もちろん沖縄の問題では、まったくない。日本国民全体の問題である。地方自治をあざ笑い、平等を実現しようとしない=差別を容認する現自公政府を認めるかどうか、の問題なのである。

私は、あるいは、あなたは、自分に役立つが自分には迷惑なものを、おのれの負担分の十倍以上も他に押し付けて、それでよいと思うのか、という問題である。これは差別である。差別をそのままにしていいのか、という問題なのである。

このままあきらめては、地方自治無視(民主主義の重要な要素)・差別を認めることになる。も一度、野党が「新基地は、最低でも県外」の旗を立てよ。それを国民は応援すべきである。

わが愛車軽トラの意思表示カードに「差別反対」「あきらめない」を入れた。



「抑止力として沖縄でなければ」というのは、大嘘である。機動力がある海兵隊はどこにいてもよい。戦争は、すぐには始まらぬ。

米軍は、軍事抑止力として日本に存在する。しかし、海兵隊が沖縄にいなくとも、軍事抑止力はほとんど減らない。侵略された場合戦うのは、自衛隊である。それを応援するのは、米空軍・海軍・陸軍だからである。米海兵隊ではない。海兵隊は、敵の中枢への殴り込み部隊である。SLBMICBM等がある現在、抑止力としては海兵隊は、ごく小さいと判断する。


百歩譲って米海兵隊の軍事抑止力が大きいとする。そして海兵隊が沖縄や日本にいないとする。その時、軍事抑止力は、低下する。その場合、低下した軍事抑止力を、別な抑止力で補うと考えるのが当たり前なのだ。それを工夫すべきなのだ。民主主義破壊や差別は、やっちゃいけないことだ。やっちゃいけないことは、やっちゃいけないんだ。


「軍事抑止力の減少」と「同じ国民への差別・住民意思の圧殺」、どちらが大切なんだ、それを問われている。差別や圧殺は、補うことは不可能だ。軍事抑止力は補うのは、可能である。

そんなことを思いながら地元のスタンディングに参加してきた。すさまじく寒い風が吹く。一昨年の春に始まったわが相馬のスタンデイングである。もうすぐ、まる二年になる。安保法案の成立阻止の声をあげたのが始まりである。

安保法制は、現在法律として生きている。この法律は言うまでもなく、日本を戦争に巻き込む可能性を高める法律である。政府に参戦のフリーハンドを与える法律である。立憲主義をあざ笑って、自公政権が成立させた法律である。何より憲法違反で無効の法律である。この法律も施行からもうすぐまる2年になる。慣れてはダメだ。廃止をあきらめてダメだ。

3万5千の市民の中の、たった6名である。それでも、社会を、「ごく少数でも声をあげる人がいる」社会に、ごくいくらかはする。

尚特筆すべきことがある。眼前に辺野古基地が作られ始めているのに、まだあきらめず、稲嶺氏側に投票した人々の存在である。決して少ない数じゃない。あきらめることは出来ない。

さらにもっと、特筆大書しておくべきことがある。

名護市民の中には、辺野古新基地には反対だけれども、町中の普天間基地よりは良いだろうと判断して、やむなく稲嶺氏に投票しなかった人がいたのじゃないかということである。小学校に窓枠が落ちた。小学生にけがさせるよりは、その危険の少ない名護市辺野古で引き受けようという人である。もしそんな人がいるなら(いると確信する)、・・・なんと情けない日本国家か日本国民か、一構成員の俺も含めて、情けない。なぜそんなに沖縄を苦しめるのか。えーい、安保条約なんぞ、やめてしまえ。