日本国は50歳/雨の中の二人/久しぶりの海外小説

朝日新聞・「日曜に思う」で、大野博人編集委員が書いた文章に、なるほどと思った。

あと5年で日本国の中位数年齢が、50歳だという。中位数年齢とは、「人口が、その前後でちょうど半分ずつになる年齢」とのことだ。

戦争中や高度成長のころは、中位数年齢は、20歳代だという。大野氏は、次のように言う。日本は、この年齢故改憲派のいう「普通の国」や「戦争をする国」は、無理だと。


なるほどねえ。今はかつてに比べて、年齢よりも若いと言ったって、50歳の人に20歳代の働きは、無理だろう。つまりは、戦争も軍拡も高度成長もむりだなあ。高度成長どころか、経済成長そのものが無理なのかもねえ。アベノミクスも、基本は経済成長を目指すもの。そのための無理をさんざんしている。それでもはかばかしい成長はない。日本国を20代の青年にはできないよ。50台にふさわしいあり方を考えねばならないと思う。

今日のスタンデイングは、「雨の中の二人」。

写真の人と私だけ。妻は友人とお食事会。しかも昨日の晴天と打って変わって、雨。まあ、しかたないか。60代後半の二人、「雨の中の二人」としゃれこむか。そういえば、橋幸夫のロマンチックな名曲「雨の中の二人」は、若いカップルの歌であったなあ。1960年代後半日本の高度成長期の歌であった。日本も私も若かった。

今日も不出来。ほんとは、「森友疑惑、終わりにするな」とするはずだったのが、突然気が変わって「はっきりさせよ」へ。ところが、スペースが足りなくなって、「はっきりせよ」、となってしまった。
朝日新聞の報道では、昨年国会議員に出した森友関係文書は、改ざんされている疑いがあるとのことだ。政権や関係者の指示か、官僚の忖度か、ありそうな改ざんである。珍しく気になって国会中継を見ていたが、政権と官僚は、元の文書があるかないかさえも答えない。捜査に影響があるからという理由だ。どんな影響があるのか?逃げ口上にしか思えない。朝日も政権の標的になっているから、性根を据えて報道に踏み切ったのだろう。改ざんはほんとなんだろうと想像する。どえらいことだ。まともに扱えば、内閣が吹っ飛ぶ話だ。
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カズオイシグロの「私たちが孤児だったころ」を読んだ。実に久しぶりの外国人作家の小説である。いつ以来か思いだせないくらい昔。備忘のため感想を残す。
(1)ほぼ全編が主人公の思い出として語られるが、日本人作家にありがちな情緒的なところがないと思う。
(2)世の中は、「どうしようもない」ことでできていると感じさせられた。主人公が少年期に孤児になった事情。父母の行動。友人アキラの運命。恋人との恋愛。・・・多分そうなのだ。世の中は、どうしようもないことでできている。
(3)物語は、初めのんびりとしているが、クライマックスは、劇的である。うまいと思う。
(4)母を慕い求める子と母の子への愛の話といえると思った。主人公は、数十年後母にあい、ずっと自分を愛してくれていたと認識する。今は認知症の母の永遠の愛。
(5)戦前のイギリス(社交界)や上海の様子(租界・中国人街)が分かって面白い。