水の泡にぞ似たりける

お彼岸の期間、親せきのお墓参りに行きました。まずは、宮城県伊具郡丸森町にあった母の実家のお墓です。

昨年おじさん(母の弟)が亡くなり、仙台のいとこは、墓じまいをしました。今回言ってみますと、その墓地は、更地になっていました。


もう、二度とここに来ることはないんだなあと思いながら、後にしました。


そこから数キロ離れたおばさん(母の妹)のお墓に詣でました。おばさんの息子二人は、とっくになくなり、娘3人は遠くに嫁いでいます。彼女たちが来ることは、数年に一度あるかないかでしょう。お墓は、荒れておりました。


近年は、軽トラで私一人でお墓参りしてますが、10年前までは、母と母の妹夫婦と合計4人で墓参りし、おじさんの家で昔話に花を咲かせたものでした。今回帰りがけに、そのおじさんの家を見ると、取り壊し中でした。慣れ親しんだ人と家はなくなってしまいました。


「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住処とまたかくのごとし」

方丈記の冒頭を思い出しました。


カズオ・イシグロの小説「私を離さないで」の主人公たちは、何も残さないと、私は言いましたが、ほとんどの人は、何も残さないのではないでしょうか。残すとしたら、一生懸命生きた、誠実に生きた誇りだけなのだと思います。「私を離さないで」の主人公たちは、臓器提供という使命を果たした誇りはあったと思います。


今日、佐川前国税庁長官の証人喚問がありました。刑事訴追を理由に肝心なことには、まったく答えませんでした。官僚が、自分の判断だけで、森友学園に有利な売却をするわけがありません。忖度も含め、政治的圧力があったのは明々白々でしょう。彼が何も言わない以上、総理夫人その他関係者の証人喚問がぜひ必要です。それが実現しても政治的圧力がはっきりすることはないと思います。それが権力の闇というものでしょう。国民の怒りの声がさらに盛り上がって、自民党内の反安倍の勢いが増すことを期待しています。そしてこの腐り切った安倍政権が倒れることを期待します。

それにしても佐川さんは、この世に何を残すつもりなのでしょうか。何を誇りに生きて、消えていくのでしょうか。「政権を守ったということを生涯の誇り」に、水の泡と消えていくのでしょうか。その政権が誇れる政権ならば、それも、大きな意義があると思いますけれど。

カズオ・イシグロの小説「日の名残り」の英国貴族の執事は、ご主人様にまったく忠実で誠意を尽くします。

しかし、佐川氏とは、大きくどこか違います。ご主人様の評価に関係なくです。どちらのご主人様も世の評価はひどく下がります。

この二人、どこが違うんでしょうか。思いついた言葉で言えば品格ですかね。それでも説明にはなりませんね。「誇り」の有無ですかね。