満州暴走 隠された構造(安冨歩著)についての感想

満州国がどのようにしてでき、暴走したかを述べた著作である。しかし、現代の安倍政権まで照射する鋭い指摘もあり、極めて面白く読めた。脱線も、深いところでテーマにつながっており面白い。
(1)満州国の成立と暴走の原因を、a.大豆の国際商品化、b.総力戦への対応、c.立場主義の暴走という3つの視点から、説明する。私が理解でき、なるほどと思った点をあげておく。

a.満州は「一つの県城⇔数村」という単層構造で、華北以南の中国本土は、「県城⇔複数の定期市町⇔複数の村」という複合構造。満州では、県城を抑えれば、満州全土を支配できる。しかし華北以南では、県城を支配しても、支配できない。この地では、中国人は複雑なネットワークの中に生きているからである。「日本軍が満州を支配できたこと」とその後の「日中戦争でゲリラに勝てなかったこと」の説明に納得した。複雑なネットワークに生きている農村社会では、正規軍はゲリラに負けるというのが面白い。

b.第一次世界大戦を見て、今後の戦争は「総力戦」となると知った当時の日本軍部のエリートは、その対応を考える。石原莞爾は、日米最終戦争の総力戦を遂行する基礎として満州支配を考えた。永田鉄山は、軍のみならず政治経済社会システムを統制して総力戦に備えると考え、小畑敏四郎は、日本は総力戦は無理なので短期決戦をすべきと考えた。石原は満州を直轄にすることを考えたが、反対が強く満州国建国となった。石原は満州国建国に反対し暴走を止めようとしたができなかった。誰もこの暴走を止められなかった。→満州支配・統制経済・短期決戦という戦前の日本の行動の特徴が、総力戦対応ということからうまく説明されていると思った。あるシステムが「つながりを持って動き出すと暴走する」という筆者の考えは、魅力的である。アベノミクスは政権・官僚・日銀・輸出巨大企業・資産を持つ人・既得権層のつながりが成立し、暴走中と言えないか。

c.「日本人の行動の基準が、「古代:氏中心→室町から江戸時代:家中心→明治以降:立場中心」と変わったのではないか」という仮説は面白い。立場主義が、明治維新以降現在までを貫く特徴だと彼女は言う。→「自分の立場を考えると・・・」「そんなことになると、立場がない」「あの人の立場をなくすわけにはいかない」等確かに立場主義があると思う。彼女は立場をきちんと定義してはいないように見えるが、魅力的な提言である。

このごろの公文書改ざん事件がなぜ起きたか、ある人がある人の立場を慮ってという面があるだろう。セクハラ事件でも、財務省はトップの立場を慮って行動したという面もある。典型的なのは柳瀬氏の行動である。親分=首相という立場を慮っての行動が明瞭である。

近現代の日本人の行動基準は立場主義」という仮説、いいと思うので、彼女には、もっと充実させてもらいたいと思う。

(2)「世界では、王は民族・部族・国家・国民を守るものだが、明治中期以降の天皇守られる王に変身した。」→確かに中国でも西欧でもインドでも、王は、あるものを「守る」からこそ王として尊敬を受け、王であり得た。敗戦時の天皇は、「国体護持」のためポツダム宣言受諾が遅延したように国民に守られる天皇であった。どうしてこうなったのだろう。実に面白い。安倍首相は守る王か守られる王か

(3)「日米安保条約は、1932年の日満議定書満州国の植民地化)のコピーである。酷似している。現在の日本は米国の半植民地である。日本人は魂が植民地化している。私たちは今満州国に住んでいるのである」→なるほど、まったく同感である。

(4)安冨さんは面白い人である。恋人が女性でかつて男装をしていたとか、広い視野の学問を真理を追求するため広い範囲の学問を動員するとか、面白い。こんな若い学者がいるというのは、日本もまんざら捨てたものではない。東大の学者でありながら東大の批判をしているのも面白い。本文に「東大話法」という本も紹介している。これも機会があれば読んでみようと思っている。

昨日は5月15日。1932年犬養首相が軍部若手将校によって殺害された日である。その処罰が甘かったのがのちの2・26事件の誘因になったといわれている。軍人の最高刑は禁固15年である。中心人物とされた橘孝三郎という民間右翼が一番重くて無期懲役である。犬養殺害のみならず、権力中枢の各所を襲ってこの処分は軽すぎる。

さてこれで連想するのが先日の自衛隊幹部による国会議員への暴言への処分である。議員と自衛官では「国民の敵」という発言の有無で認識が違っている。しかし自衛官は「あなたのような人は国益に反する」という発言や「馬鹿、気持ち悪い」という発言は認めている。この議員は、安保法制に強硬に反対した人だそうだ。自衛官は、自衛官と自分の身分を明かして暴言を吐いている。つまりはこの暴言は、自衛官という身分を使っての、安保法制という日本の政治についての政治的発言である。戦前の反省から、自衛官の政治的中立性は厳しく求められている。自衛官として政治的発言は出来ない。それに違反しているのである。国会議員への圧力とも考えられる。文民統制に重大な違反をしている。それなのに防衛省の処分は、減給にもならない訓戒である。甘すぎる

勿論民間右翼と連携した海陸軍人30名の5・15事件とは背景も目的も規模も違う。しかし、甘い処分はこのような行為は大したことじゃないと思わせる効果を持つ。
安冨さんの言葉「あるシステムがつながりを持って動き出すと暴走する。それはだれにも止められない」を肝に銘ずるべきである。防衛省あるいは総理大臣(文官)のこの自衛官への厳しい処分がつながりを断つのである。軽く考えるな。誰にも止められなくなるぞ