世界は世界大戦を忘れはじめてる

久しぶりに山里を歩く。冬の散歩はこのコースが多い。約7か月ぶりである。このところこのコースを歩かなかったのは、勿論蛇が出る可能性が高いからだ。


ー特に悪いことをしないのになぜ人は嫌うのだろう。姿かたちを気持ち悪いと思うのはなぜか。人類の先祖が小さなネズミのような生き物だった時、蛇は天敵であった。その記憶が残っているという話を聞いたが、本当だろうか。


このコースは結構な上り坂である。標高差は50メートルくらいか、もっとあるかな。人家が点在する。廃屋がある。窯跡がある。原発事故後廃業した牛飼いの生活の跡がある。古い信仰の跡がある。人の営みがある。

お地蔵さまと何かを祀る社と庚申塔など
窯跡なんですが行ったことありません

牛舎跡です。この近辺牧草地が結構あります。

原発事故ー東電の経営トップ3人は謝罪?しながら罪は認めない。彼等の感覚は多分こうなんじゃないかな。「東電全体が失敗し皆に迷惑かけたけど、俺が悪いんじゃない」。これって変だろう。責任者は君たちだろ。前の戦争の時、戦争指導者はおのれの罪を認めなかったそうだが、それと似ているか。丸山眞男であったか、戦前日本を「無責任の体系」とよんだのは。戦後も無責任体系の組織運営が続く。

最後の人家を横に見てさらに登っていくと、上水道の水タンクがある。ここを通る時思うのは、この上水道源に毒でも入れられたらひとたまりもないということだ。テロやゲリラに完全な防御策はない。そうして私は「邪宗門」(高橋和巳の小説)の一場面を思い出す。戦後の混乱期、武力蜂起した「ひのもと救霊会」は追い詰められて、水源ダムへの毒物投入で脅し、権力に対峙しようとする。この宗教団体が名実ともに邪宗となった瞬間である。

立ち入るな。水道法で罰せられるとあります

「ひのもと救霊会」−農村共同体と土俗的宗教を基礎に、真の自由・平等・自治を目指した人々。戦前には天皇制国家と衝突し崩壊し、戦後にはGHQと衝突して壊滅し、犯罪者集団となる。この宗教に集う人々が勤勉・質朴・自治・平等・博愛の精神を持つ人々であったので、私の思いは尽きない。真の自由・自治・平等を求めると権力と衝突することになるのか。真の自由・自治は息苦しい、てなことを誰かがどこかで言ってたが、はて誰であったか。

途中ガードレールで斜め腕立てとスクワットを少々して、このコース最も高い所に着く。海が見える。

撮影者の能力かカメラの能力か、写真では海が見えません。ガードレールの下は高速道路が走ってます。立ち入り禁止とありますがここも立ち入りは容易です。


別な道を下る。こちらはほんとに里村の面影が残る。平和なたたずまいである。様々な思いが想起する。

世界は世界大戦を忘れ始めてる
英のEU離脱、米中保護関税戦争、米国のパリ協定離脱、TPP離脱、国連軽視、WTO離脱意向。
プーチン習近平安倍晋三、トランプ、ブラジル・フィリッピン・トルコの独裁政権・西欧での極右勢力の台頭。彼等を支持するそれぞれの国民。
世界は自国ファースト、自民族ファーストが奔流化しつつある。
世界各国は、自国の強大化、自国利益の極大化を目指す。そのため仲間を求める。これは二度の世界大戦前と同じでないか。
第一次大戦:独墺伊VS英仏ロ(日・米)、第二次大戦:日独伊VS米ソ英仏中。日本もそうだが、世界は70年経って、世界大戦の惨禍を忘れつつあるのではないか。その反省から作った戦後の仕組みを自国ファーストで壊しつつあるのじゃないか。
核兵器が抑止力となるか?「人類は核を使わないで上手に戦争することを覚えた」といったのは佐藤優であったか。しかし、核使用の誘惑に駆られないかーINF全廃条約を廃棄(米)

日韓関係の困難さ
近時の韓国の不誠実さ。自衛艦への差別と韓国の自己矛盾、従軍慰安婦問題での最終的不可逆的合意の軽視、日韓基本条約での徴用工合意の破棄(司法)これはしかし、1965年の処理が不完全だったのかもしれない。または、韓国の三権分立としてこれを尊重するのが正しいかとも思う。

日本国民の嫌韓感情の燃え上がりを心配する。徴用工の場合韓国の民間人が日本の民間会社を訴えたという訴訟である。冷静に。しかし嫌韓で食ってる連中が本とか売れて喜ぶなあ。
これが戦前だったら韓国征伐・暴朝膺懲(暴支膺懲から連想)なんて燃え上がったな。戦後日本は立派だ。未来の統一朝鮮は怖いな。。

今年は明治維新150年とか。明治初年、大西郷は征韓論1873年)で下野。下野させた側もほどなく韓国を下に見て強圧的外交を始める(江華島事件不平等条約押し付け、1876年)。そこから日韓併合(1910年)まで30余年。そこから韓国併合35年。征韓論から都合70余年、朝鮮人は日本国と日本国民に虐げられた。そう考えると、この現在の韓国の態度は仕方ないか。
俺は、領土・貿易紛争等は国際司法制度で解決するというのが良いと思っている。日本は世界に向かって、国家間紛争は国際司法にゆだねると再宣言したうえでのことだけどね。勿論外交交渉と並行してだけれど)
やってくれたぜ、明治維新の元勲たち。日本の独立保持はお手柄。しかし元勲とその影響下の指導者・国民の朝鮮・アジア蔑視と侵略、その結果の敗戦。その結果生じた対米従属とアジア諸国との戦後処理。困難な課題だ。

いや、いかなる人間にも時代や個人の制約はある。いろいろ言うのは後知恵か。すべては、それぞれの時代を生きる個々人の行動にかかっている。その総体が歴史を創る。しかし、個々人にいかほどの力があるのか。個々人を超えた世界の動き(例えば自国ファースト)が必然なのか。必然だとすると再び大国間の戦争や世界戦争もあるのか?

山茶花?がきれいでした。何年か前、この右の小さな池で翡翠を見ました。

降りてきて、この散歩コースで初めてほかの人に出会った。畑のそばである。50くらいの女性が70半ば位の女性に何か言っている。母子だろうか。何か小さな諍いがあるようだ。私は「おはようございます」と言って通り過ぎた。


日常の生活は、世界がどうあろうと営まれていく。(戦争中でもか?例えば「この世界の片隅に」戦争は日常を破壊しないか?)作物作り、食事作り、掃除、洗濯、仕事、育児、遊び、協力し合ったり諍いあったりしながら。


わが家の近くの池(お城の内堀)には白鳥が来ている。もうすぐ冬だ。

白鳥5羽が寄ってきました。ごめんね。何も食べ物持ってないんだ。


個々人の力は微弱でも、己の意思は表明しておかねばならない。本日午後地元スタンデイングに参加する予定。