森を守ろうー環境影響評価について、都と地方

2月8日相馬市玉野に計画中のメガソーラーに関する意見書を会社に郵送しました。会社の作った環境影響評価準備書への意見書です。同時に相馬市役所生活環境課にも提出しました。

 

相馬市玉野は、阿武隈山中の典型的な中山間地で少子高齢化が進んでいた所です。そこに原発事故が重なり、さらに過疎化が進みました。

 

玉野は、バブルの頃ゴルフ場開発目的で業者が山林を買い占め、バブル崩壊後その計画は中止となりました。その後転売を重ね、現在のzenホールディングス(東京都千代田区九段)の所有となったものです。

 

同社は、初め230haの山林・畑をメガソーラー基地にする予定でしたが、一部地元の反対と計画の不備で130haに計画を縮小し、昨12月27日、環境影響評価準備書を提出してきました。

 

縮小したとはいえ、広大な面積の森林を伐採することに変わりはありません。その森林は、水源・水害保安林・景観・動植物の住処・CO2吸収・酸素供給・気温変化の緩和・湖・海への栄養補給等に役立っています。

 

私は、太陽光発電には賛成ですが、自然を破壊する大規模なメガソーラーには反対です。森林を失うのは大きな損失です。

 

このひと月、相馬市役所生活環境課にたびたび行って、会社側の環境影響評価準備書を読み(600頁近くあります。・・俺も暇だなあ)、会社の環境影響評価の不十分さを指摘し、A4版4ページにまとめました。「開発の断念を」という意見を届けました。

 

この行動の中で、環境保護に関していろいろな問題を感じました。

(1)環境影響評価の項目に、洪水対策・上水道源・海を養うという重要な項目がない

事。これは、環境への影響という場合、設置地区への影響という狭い視点のみで、「森→川→町→海」という広い自然の生態系(その中に人間も住まわせてもらっている)という視点がない、からだと思いました。この発想は、「立地自治体の同意のみで再稼働OK」という原発と似てると思いました。

(2)相馬市水道水源保護条例という、規制するのにドンピシャの条例があるのですが

、これが使えません。ゴルフ場・廃棄物処理場は対象になっていますが、太陽光発電はその対象になってないのです。このことでは、法令での対応の遅れと森は水源という考えの弱さを感じました。

(3)政治家や市役所職員の消極的反応

相馬市議会議員数名に玉野の森林を守るためメガソーラーに反対してほしいという働きかけをしましたが、議員には今のところ反応がありません。票にならないからでしょうか?市役所職員も、中立(玉野には賛成派もいる)を気にしてでしょう、積極的ではありません。上の相馬市水道水源保護条例という存在も市職員や水道事業団職員から教えてもらったのではありません。自分で見つけました。彼らが教えてくれても良かったはずです。

 

彼らが法令を遵守するのは当然ですが、私同様、一市民として環境保護に熱心になってほしいものです。全市民の100年単位の問題です。もともと、上流部分の森林は公共財なわけでして、その視点で、市の所有とかナショナルトラストで保護すべきだったのだと思います。

(4)市民も消極的

意見書を出してほしいと友人・知人・親戚・かつて洪水被害にあった人等に頼みました。説明をすると、「森林を伐採してのソーラー発電はおかしい」とわかってくれますが、意見書を出すことには消極的な人が多かったように思います。「自分のことと考える」とか「誰かがやってくれると思わない、自分から」とか「自分の意見を言うこと」がいかに難しいか、を改めて思いました。

 

再エネ固定価格買い取り制度により、この東京千代田区九段の会社には、20年で600億の収入が保障されます。会社は簡単にはあきらめないと思います。何せ3000万で手に入れた土地です。会社は20年で営業を停止しますが、相馬市民には100年単位で損失とリスクが生じます。会社は20年でここを捨てるのでは、と思っています。

 

そのことを市民や市役所・県行政にわかってもらって、この開発を何とか阻止しようと思ってます。

  

東京には惹かれます。隔年ぐらいで上京します。外交・内政・経済・文化・世俗で日本を動かしているからです。一方で東京は、権力・経済力で地方を支配し収奪する存在に見えます。玉野のメガソーラーも都市による支配と収奪の一例です原発も全国チェーン店資本も、地方の鉱工業部品サプライ基地化もエネルギー資本・観光資本の進出も、都市が地方を支配・収奪する面があります。

 

明日香の石舞台を見たときも、藤原京跡・復元された平城宮を見たときも、相馬からこんな遠くの権力が、1000年以上昔、相馬も含めた地方を支配・収奪していたと、感慨深く思いました。

 

東京同様、大和、京都、鎌倉というかつての中央権力の所在地に憧れます。その残した文化財を素晴らしく思います。新幹線で京都駅に着くと、かつての高校生だったころ同様、軽い興奮を覚えます。同時に中央権力に支配・収奪されたつづけた地方をいとおしく大切に思います。

 

権力・経済力での中央(権力・資本)による地方の支配は、横の支配です。同時に縦の支配(下請け系列支配・従業員支配等)もあります。

 

その構造は昔も今も、横でも縦でも支配される側の生活を、豊かにしている面より貧しいものにしている面が多いと思います。

 

 

今どきの権力と資本による縦横の支配と収奪の強化(格差拡大に象徴的)は、1980年代から跋扈する新自由主義(自己責任論もここから派生)のなせる業でしょう。これに対抗して人権尊重を核に、福祉国家思想の再構築が必要と思っています。