雨の中のスタンデイング 青春の純粋さ・無鉄砲さ・虚しさ

地元のスタンデイングに行ってきた。

寒い。風があり冷たい雨も降りかかる。今年一番の寒いスタンデングという感じ。ほんとは、暖かさに体が慣れたためだろう.。真冬とは違うはず。濡れてしまった。

 

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いつもの5人

今日は小学生も中学生も高校生も一般の人も通りかからなかった。車からの反応もなし。孤軍奮闘という感じかな。

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 今日の私のプラカード。

 沖縄県民の意思が明確に示されたのに、政権は相変わらず、普天間の危険除去には辺野古移転が唯一の解決策」を言い続けている。

そりゃ大嘘だろう

普天間基地をなくせばいいだけだろう。普天間海兵隊がいなくなったって大して抑止力は減らぬ。嘉手納基地は残るし、侵略軍と戦うのは、自衛隊と米国海陸空軍なんだから。

 

あるいは、普天間基地を日本国内や米国に移せばいいだろう。海兵隊はどこにいたって即応できる。この機動力が海兵隊の特徴なんだから。

 

共産・社民は、目標(安保条約廃棄)実現の第一歩として、嘉手納や国内の米軍基地を認めて、「最低でも県外」の旗を打ち立ててほしい。

 

民主党の流れをくむ政党は、鳩山の「辺野古は抑止力維持のため必要」を否定して、国民に謝って、最低でも県外」の旗を立ててほしい。

 

同じことばっかり言ってもうあきた。しかし政権が辺野古をあきらめない以上、私も言い続けねばならぬ。

 

さて、

昨晩から今朝にかけて、島田荘司夏、19歳の肖像」という小説を読んだ。このところ小説三冊を途中で抛り出していた。なので,読了は久しぶりである。俺の感性も落ちたなあ、とがっかりしてた。しかし、面白い小説なら読めるんだと、少し安心した。ただし、先週末眼科医で検査したところ、両目とも、一段階視力が低下しているとのこと。こちらは冷徹な事実。白内障手術も近いだろう。

 

19歳の「私」は、暴力団に奪われた恋人理津子を取り戻しに、「私」はオートバイに乗って単身暴力団の本拠に乗り込む。

 

「・・・このまま尻尾を巻き、私を痛めつけ、理津子を連れ去った男たちの前から、永久に退散してしまうのでは話にならない。かなわないことはわかりきっていた・・・・だが私は、熱海に向かわずにはいられない。・・・理津子も少しは私を愛してくれたと思う。その私を頼ろうとしたのだ。私はそれにこたえられなかった。・・・その力がなかったのだ。・・・勝たなくともよいのだ。・・・」

 

「一青年が暴力団本拠に女を取り返すためバイクで突入」なんて、ありえないことなのに、『やっても不思議はない」と思わされた。『死んでもいい。馬鹿でいいじゃないか。金も権力も地位も何も持ってない。そんな自分に訪れた愛。愛に殉じるのは当然』、そんな風に思わせられた小説だった。

 

何せ19歳。これこそが青春!と思わせられた。(勿論この小説は、こればかりじゃない。夢と現実の絶望的落差、挫折ーこれもまた青春だ)

 

青春は、いろいろだね。

ウエルテル(「若きウエルテルの悩み」)は、自殺するし、青山半蔵(「夜明け前」)は、狂人となる。

 

立身出世まっしぐらの青春もあるなあ。東大→公務員トップクラス合格→中央有力官庁就職→高級官僚→天下り

 

青春は個人によりさまざまだろう。しかし、青春は生きた時代を色濃く反映する。幕末の志士、昭和の特攻隊。

 

19歳の私は何をしてただろう。愛も恋もなかった。偉くもなりたくなかった。金も生活できる程度で良いと思っていた。一浪で入った大学は、都会の大学紛争の余波で、9月から1月までストライキ。やるべきことがわからなくて、やることがなくて、「虚しい」と感じてた。「今の俺には何があるのか」で始まる串田アキラの「空っぽの青春」に共感していた。

 

 

こんな中で、権力を嫌う、権威を疑う、自分をも疑う、自分の納得したことしか信じない、という私の傾向がつくられたのだろう。これは人の言うことを聞かないということでもある。故に出世は出来ない。主流は外れる。・・・氷雨の中のスタンデイングなんてやはり普通じゃない(笑)。そういや、私の人生は、友人の少ない人生でもあった。