お金の働き

このところ連続して三冊面白い小説に当たった。

一つは、貫井徳郎「天使の屍」である。これは中学生連続自殺のミステリーである。

詳しくは書けないが、「木は森に隠せ」が真相を示す。14歳、大人の顔をした子供。なるほどこんなこともありかもと思わせられた。面白かった。

 

「みおつくし料理帖」特別編・花だよりと銀二貫を読んだ。 いずれもyonnbabaさんがブログで紹介していたもの。

前者は、みおつくしシリーズの後日談の短編4つである。「花だより」では、江戸に住んでた頃の澪の仲間たちの様子が描かれる。ユーモラスなタッチで楽しい。「涼風あり」は、澪のかつての恋人小松原夫妻の愛のあり方が描かれる。よくわからなかった。「秋燕」は、澪の親友野江の話。「月の舟を漕ぐ」は、澪夫妻の苦闘の物語。大坂に行っても澪は、「雲外蒼天」を心に試練を乗り越える。雲外蒼天、いいねえ。

 

この短編集の中で一番心に残ったのは、「秋燕」である。幼いころから花魁になるまで野江を支えた又次の愛が光る。又次は大火の中、野江を助けて死ぬ。人は愛され過ぎるとその愛に縛られる。ましてや愛してくれた人が死ねばなおさらである。しかし野江は大坂で、新しい愛に巡り合う。今度は、庇護される愛ではなく、お互い支え合う愛である

 

みおつくしシリーズには、さらに後日談がありそうである。

 

「銀二貫」は、この三冊の中で一番感銘を受けたものである。

この小説では、お金=「二貫の銀貨」が、実にいい働きをしている

そのお金は、仇討ちで父を殺された身寄りのない主人公の命を助け、主人公の生きる原動力ともなる。主人公は必死で働く。そしてやがて練り羊羹という画期的製品を生み出す。仇討ちを果たした武士も、その銀二貫を荒廃した村の復興に使う。お金はいい働きをする。

 

しかし考えてみれば、お金が良い働きをするのではなく、そのお金を作り出した人の思いが、ほかの人を動かしているのである。主人公がなぜ必死で働くのか。彼を助けた銀二両が、親方や番頭やのちに大親友となる丁稚の、まっとうな努力の結晶と知っているからである。そのお金は、彼らが篤く信仰する天満宮への寄進のお金だったのである。

 

お金の顔が見えれば、お金を稼ぎだした人のまっとうな苦労がわかれば、人は自分もまっとうに生きようと思うのではないか。そんなことを思った。世情を騒がす詐欺をする人は、お金の顔を見てないのだろうな。そんなことも思った。

 

私もかつて株式売買で儲けた時、儲けた金は「あぶく銭」という感覚であった。働いて得た金とは違った。まあその金を無駄に使ったとは思わないけど。

 

お金は、人を助けたり力づけたりする一方、堕落させもする。面白い存在である。

 

この小説には、大坂の街を襲う大火が何回も描かれる。主人公の想い人真帆も火事で家族と自分の顔半分を失う。この二人の愛の成就も感動的である。人は美醜ではない

 

この小説で「オペラ座の怪人」を思いだし、山本周五郎の名作「柳橋物語」「昔も今も」を連想した。うーん、山本周五郎しばらく読んでない。読みたい。