69歳2日目

朝5時42分自宅出発。

 

昨日に続きH君の墓に詣でる。いっぱいの花が飾ってある。昨日私が詣でた後、奥様がお参りしたようである。新しい卒塔婆がある。見ると奥様がH君の母親の1周忌で建立したのである。そうか、一周忌を兼ねて日曜日に家族でお参りしたのか。私の「花泉」も上がっており、私が火をつけなかった線香も灰となっていた。ありがとう。

 

よかったなあ、H。家族がお参りに来てくれて。・・・良かったなあ、H。・・・あとで来た母親に怒られたか?自殺なんぞして。あるいは優しく抱かれたか。君は父親を小学校で失い苦労したからなあ。

 

・・・ 

昨日と同じ川土手に登る。誰もいない。斜め腕立て・スクワットをやっているうち、さらに海の方へ行ってみようと思った。約30年前幼稚園のわが娘たちとしじみ取りに行った場所である。少し下流の曲がり角である。

 

あの頃新しいコンクリートであった川岸は、枯れ草に覆われている。自然に比べ、なんと人間の営為の虚しい事か。

 

帰り道ふと見ると西の空に月がかかっている。右下半分が欠けている。

中学校で習った「ひんがしの野にかぎろいの立つ見えてかえりみすれば月かたぶきぬ」

を連想した。この短歌を壮大とか解説していたがそのころはわからなかった。なるほど

壮大ではある。

 

相馬市を貫流するもひとつの川、小泉川の土手を歩く。ここの桜は全盛期を迎えると見事である。しかし今は蕾はまだ固い。ピンク色も見えぬ。あと10日くらいかなあ。震災直後の春、この川岸には鯉と鯛が並んで死んでいた。津波が押し寄せてきたのである。

 

川岸に並んで眠る鯉と鯛に春爛漫の桜花微笑む (その当時作った駄歌)

 

川岸から遠くを見ると阿武隈山地が見える。メガソーラー建設計画中の玉野もその一部である。先週反対派の中心Kさんと市役所に行った。・・・玉野のメガソーラー、自然を破壊する自然エネルギー、まったくの愚策である。今がよければの典型である。金さえ入ればの馬鹿さである。

 

会社はすでに環境アセスメントに対して返答をしてきており、市も県に対して答申を出したとのことである。厳しい意見を出したんだろうなあ。あとは、県の環境審議会がどう判定するか、さらに会社の森林開発申請に対して県行政がどう判断するかにかかる。

 

私達は、市役所、県の出張所、水道事業団、市議・県議に働きかけてきた。私としては渾身の意見書を書いた。NPO にも働きかけてきた。もう打つ手はないという気がしている。果たしてどうなるか。しかしやることはやったという気がする。

 

 

小泉川中流域に戻ってきた。花桃の里が気になったので。しかし花桃もまだつぼみが小さい。

 

傾く月影はますます朧になってくる。空の白っぽい色に溶け込みそうだ。7時35分。まだ月は見えるがもはや消えるであろう。

 

月が見えなくなっても月はそこにある。

 

7時38分。我が家も近づいた。あと数分である。妻と娘と孫、女三代の待つ家に帰ろう。今日の午後は、地元のスタンデイング。やれることはやろう。