記録は大事ーNスペを見て

この夏は、なかなかに忙しく(脳の劣化もあり)、本もテレビもまともに見ることができなかった。そこで今頃になって、見てなかったNスペ録画を見ている。

「激闘ガダルカナル・悲劇の指揮官」「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る」

昭和天皇は何を語ったか~初公開・秘録「拝謁記」である。

その感想を、備忘のため記しておく。

 

ガダルカナル

〇戦争には補給線(兵站)が大事で、日本軍はそれを軽視していた。

〇海軍は、極言すればミッドウエー海戦の復讐のため、陸軍を利用しようとしていて、ガ島攻略は二の次であった。そのため陸軍一木支隊を見殺しにした。海軍は自分の組織を優先し、極めて近視眼的であった。

〇米軍の機械力・戦略・戦術が格段に上だった。合理的であった。

〇一木大佐への風当たりの強さ・・・日本軍中枢(特に海軍)の戦略の誤りが、餓島(餓死者が多くこう呼ばれた)の根本原因なのにね。責任を現場に転嫁している→真実は権力側にごまかされる一例である。

 である。

二・二六事件

海軍が事前にこのクーデター計画を知っていたことにはびっくり。これは憲兵隊からの情報ゆえ、陸軍でも知ってた可能性大と思った。勿論軍の警察組織は知っていた。それでも阻止されていないので、クーデターを容認する空気が広範にあったと思われる。

一部東京市民が決起部隊に明らかに同調してたこと。それは、ぼんやりとしてはいるが、国民の空気であったと想像する。

天皇が初めから断固とした態度(鎮圧)ではなかったこと。この事件で、弱かった天皇の権威が高まったこと。それを軍部が利用したこと

〇初期段階で決起部隊に同調した陸軍大臣や真崎甚三郎退役陸軍中枢が処罰をまぬかれていて、民間右翼が重罰に処せられたのはいかにも変だ。組織防衛(軍部)のため、事実を伏せている事実は明瞭。海軍もこの事件の海軍機密資料を秘匿したことで同罪。

〇最後のシーンが印象的。現在の永田町と事件当時の永田町の同じ場所を対比させながら、「不都合な事実を隠し、戦争へも道を走った」とのナレーションは、意味深であった。私には、現政権の不都合な真実隠しが日本の将来に災厄をもたらすというメッセージと聞こえた。

 

「拝謁記」

〇やはりと思った昭和天皇は、戦争責任を感じ退位したいと思っていたことを再確認した。もしそれが実現していればよかったのに、すごく残念である。

天皇の反省の表明と退位が実現していれば、戦後日本も違っていたと思う。国民も責任一般についての態度も違っていたろう。国民も。も少し真剣に戦争責任に向き合ったに違いない。岸などの戦犯容疑者や戦争遂行勢力の復活もなかったかもしれない。

〇退位を押しとどめたのが、GHQとは知っていたが、吉田茂もそうだったとは知らなかった。残念なことである。サンフランシスコ講和条約の時、天皇が本当に入れたかった「反省」という言葉を入れさせなかったのは、彼の浅はかさである。もっと大きく日本国を見てほしかった。残念なことである。

南京虐殺のことを当時の天皇がうすうす知っていたことは、南京虐殺の存在を示す。

〇1950年段階で、「再軍備のためには9条改正が必要」という天皇の考えは正しい。「それは政治的発言故不可」という田島の意見も正しい。再軍備のため、9条改正を国民投票に懸けたら面白かった。改正の成否にかかわらず、立憲主義はもっと確立していたはずだ。

 

その他

〇「ガダルカナル」と「二・二六事件」両方に登場する富岡定俊という海軍軍人に興味をひかれた。「ガダルカナル」当時は、軍令部作戦課長として、(悪く言えば)陸軍を利用した人物である。彼は、降伏時には、軍令部長として登場する。その彼が、詳細な「二・二六事件」の海軍側資料を残してくれていたことは、興味深い。

 

〇Nスペ番組「ガダルカナル」も「二・二六事件」も「拝謁記」も、真実に迫るためには当時の資料がきちんと残されていることが大事であることを明確に示す

文書隠ぺい・改竄や答申書受け取り拒否の現安倍政権のなんと無責任なことか、犯罪的存在であることか。記録にできるだけ残さない姿勢の見える安倍政権には、早く退場してもらいたい。