香港の自由の行方がひどく心配だ/東大情けなやー大学の自治危うし

権力には、やはりかなわないのか

香港を見てつくづくそう思います。香港の混乱は、香港人中国共産党独裁政治による自由を失う恐怖から起きたことでした。自由は人権の基本です。とても大事なことです。自由には、政治に対する意見表明も含みます。できれば、中国本土でも、政治上でも自由であってほしいと思ってました。中国本土には経済活動の自由はあれども政治上の自由はありません。香港にはある程度あります。それがなくなりそうです。「香港頑張れ」と、心でずっと応援してたのですが、現段階の情勢では、ほんとに自由を奪われそうです。

 

今日のNHKニュースでは、香港の大学に警察が突入して学生多数が逮捕されたとのことです。まずいです。1960年代末から1970年代初頭の日本の大学闘争(政権側では大学紛争という)を連想しました。学生間で、理想もその実現手段も大きな違いがありましたが、権力の言いなりにはならないという意識では一致していたと思います。大学の自治という点でも一致した認識があったと思います。

 

われらの学生運動は分裂し、一部過激化し、世論の支持を失い、権力に敗れました。香港では現状、一部過激化して警察の実力行使の段階です。まずいです。われらができることはなかなかありません。世界中のマスコミ・視線が香港から目を離さないように願ってます。

 

日本共産党が中国大使館に厳しく申し入れしたとのことですが、他の政党も日本政府も中国に厳しく申し入れしてほしいものです。

(引用はじめ)

 香港での弾圧の即時中止を求める

2019年11月14日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫

English(英文)→

一、香港で政府への抗議行動に対する香港警察による弾圧が強まっている。11日には警官が至近距離からデモ参加者に実弾発砲し、一人が腹部を撃たれて重体となった。丸腰のデモ参加者への実弾発砲は、言語道断の野蛮な暴挙である。大学構内への警察による突入で、多数の負傷者と逮捕者が出た。警察は、香港立法会(議会)の「民主派」議員7人を逮捕した。香港警察とデモ参加者との衝突のなかで、デモ参加者から犠牲者が出ており、その真相解明が厳しく求められている。

 わが党は、デモ参加者が暴力を厳しく自制し、平和的方法で意見を表明することが重要だと考える。しかし、殺傷性の高い銃器を使用して、抗議活動への弾圧を行うことは、絶対に容認できるものではない。

一、重大なことは、香港当局の弾圧強化が、中国の最高指導部の承認と指導のもとに行われていることである。・・・中略・・・

今日の香港における弾圧の根本的責任は、中国政府とその政権党にあることは、明らかである。その対応と行動は、民主主義と人権を何よりも尊重すべき社会主義とは全く無縁のものといわなければならない。

 今日の世界において人権問題は国際問題であり、中国政府は、人権を擁護する国際的責任を負っている。

 日本共産党は、中国指導部が、香港の抗議行動に対する弾圧を即時中止することを強く求める。「一国二制度」のもと、事態を平和的に解決する責任を果たすことを厳しく要求するものである。

香港での弾圧の即時中止を求める

(引用終わり)

 

関連して、本日のNHKニュースで極めて残念なことがありました。例の大学入試への民間試験導入に関してです。

下村元文科相が、文科省役人を通じて、東大に民間試験導入をせよという圧力をかけたとのことです。同ニュースによると、それまで東大は民間試験を使わないという態度であったのが、使うことになったとのことです。

 

ニュースがほんとなら、情けなや、東京大学大学の自治はどこへ行きましたか。大学の自治を失うということは、学問の自由ひいては思想良心の自由を失うことになります。情けないです。

 

東大ばかりではありません。導入を決めた大学すべてが情けないです。民間試験が萩生田文科大臣の言うように「身の丈」の差があるのは、誰が見ても明白です。つまり民間試験導入ということは、大学が受験生の入試での不平等を認めるということです。情けないでしょう。

 

もし、英語の書く、話すという能力を見たいというなら、それぞれの大学で入試の時調べたらどうですか。もしそれが量的に多すぎてでできないというなら、入学後に単位の中に入れて、学生を訓練したらどうですか。大学が自分でできないというなら、単位として民間試験を受けさせて、合格の場合その受験料を学生にくれるというのはどうですか。

 

 

ほんとに英語の書く力、話す力って必要なんですか。少なくとも全員に必要とはいえないでしょう。国文・国史の学生や法学部の学生に必要と思えません。大学の学問には日本語だけで充分でしょう。他の学部だって、英語の書く、話すという能力は必要ですかねえ。ほとんど日本語で十分でしょう。書くのは、発表のため研究者には必要かもしれませんが、発表は、専門分野ですので決まりきった書き方で充分なんじゃないですか。大卒後社会人として話すことが必要になるかもしれません。それはその時各人が必要に応じてやればよいと思います。総じて大学時代は、もっとほかのやるべきことがあるんじゃないですか。

 

受験生の不平等を認めてまで、入試で英語の書く・話す能力を見るのは、本末転倒、実におかしいです。