元旦各新聞紙の印象に残った文章

元旦の読売・朝日・毎日・日経・福島民報を読んで思ったこと。

一番に思ったことは、新聞というメデイアの劣化です。その端的な例をあげます。元旦の新聞は、別刷りがいっぱいあります。今年は、この別刷り、どの社もテレビ番組・スポーツ・芸能・広告が圧倒的に多かったことです。

 

かつては、どの社も環境問題・エネルギー問題・人口爆発・民族問題・貧困問題・戦争など人類や日本の課題をまともに取り上げていました。

 

新聞の購読数の激減と相まって新聞の劣化は、国民の劣化を反映しているのだと思います。その背景には国民に、「問題を直視して考える」姿勢がなくなりつつあるのだと思います。

(1)各紙社説から

朝日・・「この(自民党憲法)草案にせよ、現政権の振る舞い方にせよ、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることは紛れもない。(普遍とは、同紙で、人権、人間の尊厳法の支配、民主主義・・・)

 

読売・・「多くの国々がうらやむ日本の総合的、相対的な「豊かさ」を正当に評価し、これまでの発展と政治や社会の対応力に自信を持つことである」

 

毎日・・「(安倍首相の野党の異論を敵視することで)強固な支持基盤を確立する手法は、ポピュリズムの潮流にそう」

 

日経・・(会社)経営陣が改革を進めるためには、年功賃金の見直しや多様な雇用形態の実現などが必要だ

 

(2)各紙の印象に残った言葉

 

「日本はまさに敗戦に匹敵する危機に直面している」(朝日)

岩波書店の宣伝「読むことから始めよう」という宣伝の中の一文です。私も日本の現状をこのような危機と思いますが、大学生だって本を読むことが少なくなった現在、実効がある言葉でしょうか。この宣伝は、毎日・読売・日経・福島民報にはありません。朝日にのみあります。岩波は、朝日の読者くらいしか教養本を読まないと思っているのでしょう。

 

「一つの種の中に多様性が存在することも、その種が生き延びるために不可欠なんです」(福岡伸一)(朝日)

朝日新聞ブレイディみかことの対談での言葉です。「アリは2割程度、忙しい振りをしてさぼる個体がいる。この2割を除くと残りの勤勉な2割がさぼりだす」といいます。

社会も会社もこんなアソビを認める余裕があるといいがなあ。釣りバカの浜ちゃんや寅次郎を思い出します。

 

この対話での福岡氏の言葉。

生物においては「個体」は「種」の保存に奉仕する道具でしかない。しかし人間だけは

「個体」に価値があると考えた方がより豊かな社会を構築できると気づき、それを人類共通の価値にしようと約束した。それが基本的人権の起源だと思うんです。

 

なるほど、「滅私奉公」「お国のために」「天皇陛下万歳」「ハイルヒットラー」「一つの民族・一つの国家」なんてのは、人間を生物に堕した思想です。「役立つ人間」「生産性」なんてのも強調されるとまずいです。

 

 

「生きているだけでまるもうけ」「泣いて一日、悩んで一日、怒って一日、どうせ同じ一日なら笑って過ごしたいものです(飯館村長 菅野典雄

 

他の市町村長が、皆自分の市町村の現状と課題に触れているのに、菅野村長の言葉にはまったくない。面白い。これも一つの見識と思いました。

 

米主要企業の経営者団体は、19年、約4半世紀にわたって掲げてきた「株主第一主義」の旗を降ろし、従業員や地域社会にも配慮した経営に取り組むと宣言した(日経一面)

 

「さびつく成長の公式」と題する文章の一文です。

現在の歴史的低金利(日欧はマイナス金利)を指摘しているのは、水野和夫氏の資本主義の危機認識と軌を一にしていると思いました。

また統制経済の中国のダイナミズムは、確かに成長の公式(自由主義こそ成長の基本)から外れます。

 

私も資本主義はどうあるべきかが、現在一番重要な考えるべきことと思います。この文章が指摘しているように、富のかたよりが成長のネックとなっているのは間違いないと思います。また米国の経営者団体の、上の文のような、経営方針の転換も大事と思います。と同時に、国家による再分配への強力な後押しが必要と私は思います。

 

「未来は私たちの手の中にある」(毎日・余録)

これは、学徒出陣壮行会と東京オリンピックの対比についての杉本苑子さんの文章を引用した、毎日新聞コラム「余録」の結語です。

確かに未来はまだ来てない故、まだ手の中にあるように思えます。しかし、本当にあるのでしょうか。私達とは誰でしょうか。学徒出陣壮行会に参加した学生の中には、上原良司のように日本の全体主義に懐疑的な青年もいたでしょう。そんな青年は、未来を手にしてたでしょうか。悩みつつやむなく特攻に志願した学生の手に、未来はあったでしょうか。

民主主義の現在でも、私はひどい無力感を感じます。しかし、未来は現在の行動の総体によってつくられるのは間違いないので、「未来は私たちの手にある」と信じて行動するほかありません。