昨日、私が初めて車を買った時(1977年、27歳)からお世話になっていた自動車整備会社が、店を閉じました。挨拶状によると、昭和10年創業とか。自転車屋から始めて、自動車販売・整備会社として発達し、地元の老舗でした。近頃家族経営でやってましたが、行き詰りました。コロナの影響があったかどうかは分かりません。栄枯盛衰は普通のことと思いますが、何か寂しく感じました。
孫のあかりは、先週火曜日に入院し、金曜日に退院しました。今週になって元気に保育園に通っています。声も今日にはしゃがれ声が抜けたようです。心配くださった皆様ありがとうございました。
29日は、10時から原町で、1時30分からは相馬で、スタンデングに参加しました。
上の写真が原町で、9名参加でした。下が相馬で、7名参加でした。
原町では、「一人でスタンデイングしたんだって?悪かったなあ。コロナで休んでた。
連絡する方法がなかったので」と言われました。誰かが私が一人で立っているところを見たのかな。
「コロナ補償継続を」
その通りと思います。ところが、政府は、これ以上はあまりしたくないように見えます。まあ、財源の問題もありますからねえ。税収60兆の今年、新規借金が60兆弱ですからねえ。前からの借金返済のための借金もあり、合計90兆の借金です。コロナ補償をしなければ困る人がいるのは、容易に想像できます。かといって借金を増やすことも困ります。どうなってしまうのでしょう。心配です。
一方では、現在1000兆円の預貯金、300~400兆の保険、200~300兆の株式等合計で1800兆の金融資産があります。お金はあるのです。どこかおかしいのです。
例えば、
1000兆の預貯金の利子が昔みたいに年5%であれば、年50兆円の利子が付きます。その20%が税金ですので、年10兆円の税収があるはずです。低金利政策って、正しいのでしょうか?借金ばかり増やしているので、金融・財政政策がうまくいってないのは、明らかだと思うのですが。
「憲法変異」→「強毒化」
ウイルスに仮託して、憲法改正について、うまい事言ってます。
9条改変は、「安保法制」の合憲化(おいおいやり方が逆だろ。改憲後に「安保法制」をつくるべきだろ)のみならず、集団的自衛権の拡大解釈を可能にし、ますます米国と一緒に戦う日本になります。
緊急事態条項新設は、3権分立を否定し、行政=政権の優越を生みます。人権抑止が進みます。
自民党による憲法改変は、基本的人権・国民主権・平和主義の原則を絞め殺す強毒になります。
香港では、自由・人権が圧殺されようとしています。中国共産党という既成勢力のおのれの利益追求が、香港人の人権を圧殺しているように見えます。
・・・・
さて表題についてです。
磯田道史「日本史の内幕」を読みました。磯田氏得意の古文書の読破で分かった、新しい知見の紹介です。内容は、戦国時代・秀吉・家康・幕末のエピソード紹介という趣があります。
それはそれなりに面白かったのですが、私が一番興味をひかれたのは、古文書から離れた「全人類の中で」という一文です。他者の研究成果で、日本の最盛期について述べています。一つは、人口の面です。全人類の中で日本人は何パーセントを占めるかということの歴史的変遷です。
卑弥呼の時代・・・0.3%
元禄時代・・・5%
現在・・・2%
22世紀初頭・・・0.75%
GDPの面からも言及しています。
江戸時代後期・・・米国の1.75倍
1850年・・・米国の50%弱
2050年・・・米国・中国の8分の1、インド・EUの5分の1(世界銀行推計)
磯田氏はこの本の最後で、(日本の全盛期は)「人口では1700年、軍事では、日露(戦争)から満州事変、経済では、1970~2000年で、もう(ピークは)過ぎた。この国は、もはや大国と軍事対決できる経済実力はない。経済の世界シェア=量が低下するならば、質を高めるしかなかろう。小国化しても良質の「価値」を保つ国のあり方を研究しなくてはなるまい」と言っています。
そうなんだと思います。
それにしても江戸時代が人口のピークというのには驚きました。1970~2000年が経済のピークというのは全く同感です。それは私が20歳から50歳の時で(私は1950年生まれ)私自身の体力・知力・気力の全盛期と重なるように思います。
全盛期・老衰期がある個人同様、日本も、己が衰退する老大国であるということを前提に、今後を考えていくべきでしょう。少なくとも、高度成長は無理、軍事国家的発想は無理、ということは明白でしょう。