「イムジン河」について、いろいろ

近頃NHKの「アナザーストーリー」で「時代に翻弄された歌 イムジン河」を見ました。

 

今年二月の再放送です。

 

 

イムジン河」は、大学の寮時代(1969年~1972年)、よく歌ってました。いい歌でした。その当時は、北朝鮮の民謡と思ってました。一番は、美しいメロディーで望郷の歌と感じてました。2番には、「誰が祖国を分けてしまったの」という歌詞があり、はてな、単なる望郷の歌じゃないんだ、と思いました。でも当時、それ以上何の知識もなく感想もなく、ただ気持ち良く、みなで歌っていました。

 

 

この番組では、「イムジン河」という歌のたどる数奇な運命が紹介されます。この番組で私は、この歌は、単に美しいだけではなく、大変な歌だと思いました。

 

レコード発売開始直前に発売中止になったのです

(発売中止後も、私たちは寮で普通に歌ってました)

 

放送禁止という言われ方をしたこともありますが、禁止とは、法律とか行政命令のような感じを受けます。実態は、レコード会社の発売中止、放送局の自粛でなかったかと思います。

 

 

イムジン河」は民謡ではなく、北朝鮮に作詞・作曲者がおり、私たちが歌ってたフォーククルセダーズ(フォークル)の「イムジン河」は、松山猛が、原詩の1番を訳し(日本語の意味を教えられた、という説もあります)、2番に歌詞を追加したもので(松山は2番があることを知らなかった)、それに対して、朝鮮総連が圧力をかけ、発売直前に販売中止になったのでした。(1968年)

 

朝鮮総連、フォークルのレコードには、作詞・作曲者名がない事、原詩の2番が、全く違う歌詞に変えられていることに抗議したということでした。

忠実に訳せという要求があったという説も、そんな要求はなかったという説もあるようです。wiki参照)

 

フォークルの2番の歌詞は、

♪♪北の大地から南の空へ  飛び行く鳥よ 自由の使者よ

誰が祖国を二つに 分けてしまったの

 誰が祖国を分けてしまったの♪♪

 です。

 

原詩の2番の意味は、

河越えて葦の茂みでは鳥たちが悲しく泣き 乾いた野原では草の根振うけど

共同農場の稲 波の上で踊るよ

リムジン江の流れを遮ることは出来ない(ネットで見た日本語訳より)

だそうです。

 

 

原詩は、なんとつまらぬ歌詞でしょう松山猛の詩の大きさに比べて、原詩は広がりを持たない歌詞です。

 

共同農場とは、社会主義ソ連コルホーズとかソホーズとか、中国の人民公社の類でしょう。原詩は、悲惨な南(韓国)に比べて、北朝鮮は豊かと歌っています。

 

原詩がつくられ歌われた、1950年代から60年代、北と南の比較で、北が豊かであったかどうかは、知りません。

 

 

しかし、自国の優位さを歌うつまらぬ狭量な歌です。

 

 

フォークルの2番はどうでしょうか。

「北から南へ飛ぶ鳥を自由の使者と呼ぶ」ことを、「北朝鮮が自由で、南は不自由」と言っていると、解釈することもできます。そう解釈すると、この歌も北朝鮮賛歌となります。そうするとこれまた、狭苦しい歌に聞こえます。

 

この歌詞が北朝鮮賛歌なら、朝鮮総連北朝鮮側)がフォークルのレコード発売に圧力をかけるのは、ちとおかしいとも考えられます。尤も北朝鮮賛歌だとしても、「原作詞者・作曲者名をいれよ、そのままに訳せ」、という要求をするのも当然のことではあります。

 

一方また、この歌詞が、一番の歌詞「水鳥自由に群がり飛び交かうよ」と同様、人間に対比して、鳥は自由な行動ができるということを意識するなら、北朝鮮賛歌という面がなくなります。(世の中をうしとやさしと思えども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 

 

1960年代には、社会主義共産主義を理想とする考えもあり、この歌を北朝鮮賛歌・社会主義賛歌と考え、歌った人もいると思います。

 

一方また、単なる望郷の歌と考える人もいるでしょう。あるいは、民族の分断を嘆く歌、ひいては分断に対するプロテストの歌・統一への願いを秘めた歌と考える人もいるでしょう。

 

 

この歌がどのような歌かについては、いろいろ論争があるようですが、すべての文章・音楽・絵画作品同様、受け手の解釈にゆだねるべきものでしょう。いや、ゆだねるほかありません

 

 

早い話、つまらぬものならだれも歌いません。この歌は、実際多くの歌手がカバーしています。どうして心に響く歌なのでしょうか。

 

 

大学生の私は、望郷の歌、分断を嘆く歌と感じて歌ってました。

今現在私は、この歌を「誰が祖国を二つに分けてしまったの」「誰が祖国を分けてしまったの」と「誰が分けたのか」と2度繰り返すことで、朝鮮民族分断への嘆きだけでなく、プロテストと統一への願いの歌と感じます。

 

 

この番組には、拉致被害者菊池薫さんが出てきます。彼は、北朝鮮でこの歌を聴いて、強い望郷の念に駆られたといってました。

 

 

イムジン河」は、1960年代後半には、本国でも忘れられた歌と、この番組では言っていました。北朝鮮の国民にとっても、つまらぬ歌だったのでしょう

 

番組では、韓国人歌手キムヨンジャが「イムジン河」をとても大切にしていることや若い韓国人歌手が大切に歌っている、ということも紹介されていました。

 

 

この広がりは、北朝鮮の原詩の力ではなく、松山猛の歌詞の力だと思います。

 

 

番組で松山は、「身近に在日朝鮮人が住んでおり、彼らとぶつかることもあり、彼らの大変さもわかっていた。中学生の自分は、彼らの分断の悲しみに思いを寄せ、平和を思い、この詩をつくった」と言っていました。その松山の心が多くの人に響くのだと思います。

 

 

番組の最後は、フォークルの歌へ発売中止の圧力をかけた朝鮮総連の、その当事者が、松山猛に「日本人が朝鮮の分断に深い思いを寄せ、こんな詩を作ってくれたことに感謝する」というビデオメッセージで終わっていました。

 

 

ここで「イムジン河」という歌は、2重の分断(南北朝鮮・北朝鮮と日本)の象徴から、和解・共感・協調の歌へと変わっています。

・・・・・・ 

 

2002年新フォーククルセダーズ結成・解散記念音楽会で、フォークルの北山修は、イムジン河ー春という題で、新しい歌詞をつけて歌っています。

彼は、この歌詞に分断を乗り越えていく希望を託したといってます。特に「青き海に還る」という歌詞に託したといってます。

YouTubeイムジン河 悲しくてやりきれない   きたやまおさむ」で視聴できます)

その歌詞:

イムジン河春の日に岸辺に花香り

雪解け水を得て北と南結ぶ

ふるさとの歌声よ渡る風となれ

イムジン河とうとうと青き海に還る

 

2002年につくられた「イムジン河ー春」には、北朝鮮の原詩者、原作曲者、松山猛

北山修加藤和彦(補作曲)の名前があげられています。

 

韓国の歌手も歌うことを考えると、北朝鮮・韓国・日本の共同制作という感じで、この歌は、いがみ合うことの多い、この3国の協調ということが感じられ、実にいいなあ、と思います。

 

私は、この「イムジン河ー春」こそ、「イムジン河」という歌の、紆余曲折の末の完成した姿と思っています。

 

ところで、なぜ南北対立は解消しないのか、歌を歌うだけでは何も進みません。

 

私は、「誰が祖国を分けてしまったのか」が、やっぱり気になります。朝鮮の人たちの悲しみの根源だと思いますので。また日本人拉致被害者が帰ってこない原因だと思いますので。

・・・・ 

ここから話がそれます。歌にのみ興味のある人は、以下は直接関係ないですので、読まないで下さい。また、いつもの主張の繰り返しです。

 

誰が朝鮮半島の分断に責任があるか。それは、簡単な話ではありません。

 私は、次のように考えています。

 

分断の大背景は、米ソの冷戦=米ソの勢力争いですので、米ソ(露)にもっとも大きな責任があるのは間違いないと考えます。米ソは、朝鮮人の幸せより、自国の利益を追求したといえます。国連を構成する当時の戦勝国も、米ソほどではないにしても、責任があると思います。

朝鮮民族内の当時の有力者にも、それぞれの思惑=勢力争いがあって、米ソをそれぞれ後ろ盾にして対立した、ということもあります。だから、朝鮮の当時の指導者にも大きな責任があります。彼等は、一般朝鮮人のことを考えず、権力闘争を優先したと思います。大きい責任があります。

 

分断を固定化した過酷な戦争=朝鮮戦争を起こした、1950年当時の北朝鮮の指導者金日成も大きな責任があります。

 

間接的には、統一朝(李王朝)を植民地とした日本にも責任の一端はあるといえます。植民地化により、朝鮮政府の統一した意思というものをなくしてしまったのですから。しかし、日本の責任は間接的なものと思います。

 

朝鮮半島の分断には、多く人々の、長い間に積み重なった責任があると思います。歴史的責任があります。日本人にも責任があります。しかし、現在日本人には、できることは少ししかないと思います。

 

外交の得意な安倍晋三前首相でさえも(皮肉です)北朝鮮との関係を一歩も進められなかったのですから。そして彼は、韓国との関係は退歩させてしまいました。

 

そんな中、日本人による朝鮮人への数少ない貢献の一つが、松山猛やフォークルだと、私は思います。 

 

 

私達日本人一般庶民は、できることは殆どありません。せいぜい「イムジン河ー春」を歌うことくらいかな(苦笑)

 

しかし、近頃気になることがあります。

「イージスアショア断念」の代わりに、安倍前首相・河野前防衛大臣小野寺五典防衛大臣など自民党有力者には、敵地攻撃能力が欲しいなんて言う人が出てきました。それは、日本の歴史的責任を全く自覚してない発想です。分断の発想です。

 

菅新首相も、就任会見時「敵基地攻撃能力保持」を、検討対象に含めるよう岸新防衛相に指示したようです。

 

安倍さん辞めても、自民党はダメだ。 

 

日本による敵基地攻撃能力を保持しよう、という発想は、

分断を推し進める発想です。

  

私は次のように思ってます。

敵(基)地という場合、北朝鮮や中国を念頭に置いているのでしょう。

 

北朝鮮はもともと日本の敵でしょうか。私はそう思いません。

 

日本は、確かに朝鮮を植民地(1910~1945)にはしましたが、朝鮮戦争(1950年~1953年、現在理屈的には休戦中:米韓VS北朝鮮・中国)は、日本は国家としては、戦ってません。日本は、もともと北朝鮮の敵ではないのです。1951年の旧安保条約で米側についただけです。日本国自衛隊は、1954年発足です。自衛隊は戦ってません。

 

何故に米国の尻馬に乗って、北朝鮮の基地攻撃なんて言い出すんでしょう。なぜ米国の尻馬に乗せられて、敵基地攻撃の、高い武器を買いたいなんて言うんでしょう。なぜ進んで北朝鮮の敵になりたがるんでしょう。

 

それは分断を推し進めます

 

 

我々の出来ることは、進んで敵になりたがらない政府をつくることだと思います。

 

 

日本が敵基地攻撃なんていえば、北朝鮮もますます日本を危険な敵と思い、さらに日本へのミサイル攻撃の準備をしていくでしょう。北朝鮮側が「初めに日本の基地を叩く」という手に出る可能性も高まります。北朝鮮には、地下にもミサイル基地があります。移動できるミサイル発射装置があります。潜水艦発射ミサイルもあります。それらをすべて壊滅させるなんて出来ないでしょう。やがては核ミサイルを手に入れるでしょう。

 

ありえないのですが、何とかして北朝鮮のミサイルをすべて壊滅させたとしても、国家崩壊による難民の押しかけ、洗脳された(「米韓日は悪魔」等と)多数の小規模テロ集団によるテロは、防ぎようがないでしょう。だからこそ、随分前、米国も北朝鮮への軍事攻撃をあきらめたのでしょう。

 

敵地攻撃能力は、攻撃のためでなく、抑止力向上のためと言う人もいます。

 

抑止力は、相手が理性のある合理的行動をとることを前提にしています。国家はいつも理性的・合理的行動をとるでしょうか。そうではありません。近くの例では、大日本帝国があります。大日本帝国は、己に数倍する強国に戦争を仕掛けました。

 

追い詰められれば窮鼠も猫をかみます。追い詰めるのは危険です。

 

抑止力は軍事力ばかりではありません。また軍事抑止力を認めるとしても、敵地攻撃能力は、日本は持つべきではないです。

軍事抑止力、さらに敵地攻撃能力を認めるとしても、敵地攻撃能力は、米軍のみで充分です。

 

 

敵地攻撃能力を獲得しようというのは、無駄なお金を使い、危険性を高める愚の骨頂の政策です。

 

「敵地攻撃能力が欲しい」なんて実力者が言う自民党のつくる政府を、別な政府に代えないと危険です。