任命拒否事件は、学術会議の自治を破壊するものです。

今日参加してきた南相馬市(原町区)のスタンデイングは、寂しいものでした。

私を含めて4名の参加でした。

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今までで一番参加者が少ないと言ってました。

 26日の相馬のスタンデイングは、9名参加でした。近頃は相馬の方が多いようです。

 

原町のスタンデイングでは、遠くから敵意を感じる目つきで何かを言ってた人がいました。中年の男性でした。言っていることは分かりませんでした。

久しぶりに3段のプラカードを作りました。

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写真撮影を失敗して、「ケータイ値下げで」の頭が切れてしまいました。

 

菅内閣の「ケータイ値下げ」や印鑑廃止や不妊治療補助に気を取られて、

日本学術会議の一部学者の任命拒否を、多くの人が重大視しないのでは、と思ってこのプラカードを作りました。

 

勿論「携帯料金値下げ」や「不必要な印鑑廃止」や「不妊治療補助拡大」は良いことと思います。

 

しかし、一部学者任命拒否は、政権が最もやってはいけないことです。

 

菅首相は、一部学者の任命拒否を「総合的・俯瞰的」に見て、拒否したといいます。

菅首相に、多くの学者の専門分野を、総合的・俯瞰的に見る能力があるはずがありません。

 

それは、菅個人に限らずどんな人でも、一個人にできることではありません。それができるとしたら、それは独裁者です。独裁者は、判断を誤ります。最高権力者の誤った判断は、国民に大きな損害を与えます。

 

 

戦前、時の政権は、森戸事件・滝川事件・天皇機関説事件・矢内原事件等・津田左右吉事件等、多くの思想・学問の弾圧をしました。その結果はあの悲惨な戦争でした。

 

滝川事件では、京大法学部こぞっての反対を押し切って、鳩山一郎文部大臣は、大学の自治を圧殺しました。

 

今回の菅総理のやり方は、日本学術会議自治を破壊するものです。

 

105名の学者は、日本学術会議が推薦したものです。自治です。それを一部拒否したのは、日本学術会議自治の破壊です。

 

 

菅首相の行為は、多くの人が言うように憲法違反・日本学術会議法違反ですので、ここは素直に謝って、6名を任命してください。

 

 

最後に、東大経済学部の自治が壊され、学問が破壊された矢内原事件での、矢内原忠雄教授の最終講義の様子を紹介します。矢内原教授は、その学問を政府に否定され、辞職に追い込まれた学者です。

 

昭和12年12月2日、三百名を収容する法経7番教室は、矢内原先生の最後の講義を聞くため集まった学生で、満場立錐の余地もないほどであった。10時30分白皙長身の矢内原先生は、顔面をやや紅潮させてその姿を現した。「皆さん、ご承知のように私は昨日辞表を出しましたが、まだ発令されてませんので今日は講義を続けます」という言葉でその講義は始まった。

講義が進むにつれて、満堂の学生は悲しみの色につつまれ、かすかにすすり泣く声さえ聞かれた。矢内原教授は、次のような言葉を残して、教壇を去って行かれた。

「私は、私が去った後で大学がファッショ化することを極力恐れる。大学が外部の情勢に刺激されて動くことはありうることであり、またある程度必要でもあろうが、ながれのまにまに外部の動く通りに動くことを私は大学殊に経済学部のために衷心恐れる。もしそういうことであるなら、学問は当然滅びることであろう。・・・私は大学と研究室と仲間と学生とに分かれて、外に出る。しかし私自身はこのことをなんとも思っていない。私は身体を滅して魂を滅ぼすことのできない者を恐れない。私は誰をも恐れもしなければ、憎みも恨みもしない。ただし、身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君、願わくはそのようなひとにならないことを」と。

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」(角川文庫、昭和48年)P133より

 

頑張れ、日本学術会議の学者たち、すべての学者たち、学生たち。

 

権力のなすが儘に、学問の自由・学者の自治、思想良心の自由を壊されてはなりません。国民の幸福のために。

 

田舎のじいさんが、まことに無力ながら、エールを送ります。