H君のこと

「いやー、俺もN村に就職することになった」

 

Hが笑いながら俺に言ってきた。1973年(昭和48年)3月、卒業間際のT大学のS寮でのことである。

 

N村は、福島県会津の山村である。俺がそこに就職することに決まると、「随分へき地だな」、と笑っていた。ところが、自分も同じ村に就職することになったのである。

 

職種は全く違う。

広い福島県の中で、新任地が同じなんて、極めて可能性の低い話である。しかも、人口200万の福島県の中の、わずか人口数千人の雪深い村である。奇跡であった。

 

お互い新任で仕事に夢中であり、会うこともあまりなかったが、たまに会うとたちまち大学生に戻り、何の隔てもなく、こころゆくまで話した。

 

N村ー思い出深い村。雪も深いが人情も深い村である。自然そのものの村である。

Hも俺も20代前半。好きな女性ができた。二人とも結婚しようと思う女性ができた。

 

Hは、紆余曲折の末、その女性と結婚した。現在の奥様、その人である。俺は片思いであった。告白はしたが、成就しなかった。

 

 

Hは、3年後故郷に戻ってきた。私も、同じ3年後N村を去り、5年後故郷に戻ってきた。

 

その後も時々逢った。釣りにも行き酒も飲んだ。夜の散歩時、Hの家にもお邪魔した。お互いN村(奥様の出身)のことや様々なことを話した。

 

Hは女の子3人を設け、俺は二人の女の子に恵まれた。俺は出世しなかったが、Hは、まあ出世した。

 

 

Hの能力からは、しかし、遅い出世であった。Hは、他をいかなる意味でも攻撃することができない、優しい性格の男である。その代り自分を責める男である。競争を嫌う男である。そんなことが出世の妨げになったのだろう。

 

 

2010年(平成22年)Hは、自死した。

 

次長という立場で、所長と部下の間に挟まれ苦労している、という話は聞いていた。

「所長なんていつまでもいるわけでない。次にはいい所長が来るさ」なんて慰めていたんだけれどね。

 

Hは、定年1年前に退職した。慌てて彼の家に行くと、頭を指さし「ここが悪くてね」と言った。精神を病んでいたのである。

 

2010年8月、彼に酒を誘われていたのに、俺は「涼しくなってからやろう」と言った。同年11月21日、そろそろ飲みたいなと思って電話したら、奥様「何も言わずに逝ってしまいました。」

 

 

奥様がHの母親を病院に連れて行ってる間に、Hは、逝ってしまった。孫の顔も見ず逝ってしまった。

 

 

退職に安心していた。もっと話を聞いてやればよかった。別な病院を真剣に考えてやればよかった。夜の散歩に誘えばよかった。山に登るという約束を果たしていればよかった。あの酒を一緒に飲めばよかった。

 

 

悔やむとは、こういうことだと初めて知った時であった。

 

 

Hとは、大学の寮で初めて知り合った。同じ高校の1年後輩であった。10近くあった学寮の中で、小さなS寮で出会ったのも、奇跡と思う。

 

 

今日11月11日は、命日である。彼が生前好んで飲んでいた、N村の地酒Hを、彼のお墓にお供えしてきた。もう10年になる。