男一匹命をかけて訴えている

よんばばさんのブログ「これもあれも年のせいか・・・」で「甘やかしが禁物なもの・・・脳」と指摘されて、近頃の自分を反省しました。

本も新聞も読まず、ブログも書かないで20日ほど過ごしてきました。面倒なことを避け、脳をさぼらせてきました。

 

こりゃ、いかん。

 

 

ということで(笑)、近頃気にかかったTVのことを書きます。

 

妻が撮っていたビデオ(いつものパターン)NHKスペシャル・アナザーストーリー「三島由紀夫  最後の叫び」です。

 

三島由紀夫は、1970年11月25日、市谷の陸自駐屯地に「盾の会」の部下4名を連れて侵入し、陸自の大幹部を人質にとって自衛隊の決起を訴えました。けれど、それが入れられず、切腹自殺した事件を扱ったものでした。

 

番組は、盾の会元会員2名、目撃した記者2名、東大全共闘の学生、当時の自衛官への取材と当時のニュース等で構成されており、中味の濃い番組だったと思います。

 

印象的なのは、三島由紀夫本人の肉声です。

 

「男一匹命を懸けて訴えている」

自衛隊違憲だ。自衛隊はなぜ自分を否定する憲法にペコぺコするんだ。」

自衛隊憲法を守る軍隊になった」

憲法改正に立ち上がるやつは一人もいないんだな」

「俺と一緒に立ち上がるやつは一人もいないんだな」

自衛隊の建軍の本義とは何だ。国を守ることだ。国を守るとは何だ。天皇を中心とする歴史・伝統・文化の国日本を守ることだ」

 

 

私は三島の意見に反対です。

(1)国を守るとは、国民の生命・自由・財産・人権を守ることと私は考えます。なぜなら国家とは、国民個々人が、自分の幸福・人権を守るため、相互の契約によってつくったものと考えるからです。(自然権=天賦人権思想、社会契約説)

 

(2)天皇を中心とする歴史・伝統・文化を守るとは、支配者の利益を守ることと私は考えます。日本列島の歴史上、天皇は支配者そのもの、又は、その時々の権力者に利用され、一般人の支配に使われた便利な存在と考えています。故に国民にとって、天皇は不必要な存在かつ危険な存在であると思っています。もし存在を認めるなら、現憲法上の規定(象徴天皇制)以外で認めることはできないと思っています。

 

(3)日本列島の歴史・伝統・文化とは、何でしょうか。それらは、時代によって全く違います。彼の思考の中心である天皇についてだけでも、大きく違います。天皇弥生時代以前にはいませんでした。明治から昭和20年まで、政治上の天皇の存在は大きかったです。しかし、その前後江戸時代、太平洋戦争後は、小さいです。三島はいつの時代の天皇を思っているのでしょうか。こんな三島の認識は、粗雑すぎて私は認めません。

 

 

私は三島の行動も否定します。

日本刀という武器を使用し自衛官に切りつけたこと、総監を監禁したことは、刑法犯罪ですが、そればかりではありません。

 

三島は、自衛隊という暴力装置懐かしい言葉です。民主党政権時代、官房長官がこう言って批判されました。唯一の合法的暴力装置でしょう。自衛隊や警察は。当たり前のことがなぜ通らない?・・会社や役所や隣組NPOや神社やお寺等々は、暴力=武器を持ってません。合法的に持っているのは警察と自衛隊です。)を使って、憲法改正をしようとしました。

 

憲法改正は、そのやり方が決まっています。「衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票での過半数の賛成で改正される」と決まっています。これを決めたのは、国民です。三島の行為は、国民の最も大事なルール(憲法)を、ルール違反の暴力を持って変えようとしたものです。

 

私は、三島の考えも行動もひどく間違っていると思いますが、すごいと思うところもありました。

 

東大全共闘との討論に、単身乗り込んだことです。それは、意見の明らかに違う相手を説得しようとする姿に見えます。意見の違う相手を説得しようとするというのは、民主主義社会に生きる基本的姿勢じゃないのかと思います。三島と民主主義?これをどう考えるか。

 

私が接した三島作品は、小説だけです。「金閣寺」「潮騒」「複雑な彼」の3冊のみです。この三冊、印象がひどく違います。いずれも面白かったー「金閣寺」は十分な理解ができなかったーと思いますが。ここから考えると、三島は、やはり多方面に極めて才能豊かな芸術家だったと思います。

 

この番組の最後に、誰かが「三島は普通に老いることを知らなかった。それが唯一の欠点。普通に老いてくれれば、豊かな作品を残し、われらの老後も豊かになったろう」と

いいましたが、その通りと思いました。私は、高橋和巳にもそういう思いがあります。

 

 

私は1970年11月25日、授業の冒頭に三島の自決を、教授から聞きました。大学2年生でした。へえー、変な奴がいる。馬鹿なやつがいる、くらいの感じでした。三島と盾の会のことは知っていましたが、全共闘運動も盾の会も、アソビでしかないと思っていました。今でもそう思ってます。暴力装置を持つ国家権力にゲバ棒や日本刀で対抗できるはずがないと思っていました。働いていない以上、現実社会から遊離したアソビと思いました。就職した後、自分がどう行動するか、が大事と思っていました。

 

就職した私は、政治意識の高い労働組合に入りました。も一方の組合は、自分たちの待遇改善のみを目指す組合でした。われらの組合は、戦後民主主義を信奉する組合でした。故に、戦後民主主義を壊そうとする自民党政府と対決する組合でした。

 

40年弱の組合運動を振り返ると、待遇改善では成果を上げましたが、そのほかでは、ことごとく自民党政府に敗れたといえます。個人としては、私の抵抗は不徹底であり、面従腹背、あるいは悔しくても上司の言う通りということが多かったと思います。

 

私は今でも戦後民主主義が正しいと思っており、無力でも意思表明はすべきと思っています。月1~3回参加する原町のスタンデイング、月2~5回参加する相馬のスタンデイングは、その貴重な場面と考えています。今年は喪中で出しませんが、年賀状での意見表明も、その場と考えています。残念なのは、9条の会ニュースの発行です。高齢化と資金不足のため、この数年発行できていません。最盛期は月2回発行でした。重要な号は、新聞折り込みをしたこともあります。

 

 

まあ、できることをしょぼしょぼやるしかないかな、と思っています。

 

「後に続くものを信じて走れ」(井上ひさし