弟よ、お疲れさん

 勝手なお願いですが、

ブログ知人の皆さま、今回は、コメントは「無し」でお願いします。

お読みいただくだけで、さいわいです。星印は欲しいなあ。

 

「2月3日、4日記す」

わが弟が1月31日亡くなった。

トラックの運転手をしていたが、5年前運転中に脳梗塞発症。一命をとりとめ自宅療養中であった。心筋梗塞。享年64。

 

京都の女性を嫁にし、一姫二太郎を得た。二人ともわが娘たちと同学年。

子供たちが小さいころ宮城県亘理町に住んでいて、毎週のように行き来した。

気弱すぎると思うほど、優しい子供たちあった。可愛かった。

その息子は、中学時代から不登校になり、高校には合格したものの1週間で退学した。

彼は、ようやく20代後半から働きに出るものの、長続きしない。

 

脳梗塞の病床に見舞った時、「俺が死んだら息子どうなるんだろ」と言っていた。

8050問題。

 

彼の苦労の最大の種は、奥様であったろう。愛憎激しい奥様である。人付き合いの難しい女性である。水俣の男と取り合って、弟が獲得した女性だ。

 

弟は、名の知れた大会社に就職し、その会社の小さな事業所の副所長になったが、40代末に辞めた。奥様が彼の浮気を疑って(本当か?笑)、会社の上司にまで訴え出たのだ。そんなこんなで居づらくなってやめた。当時本人もノイローゼ気味だった。

 

7年前、奥様は精神を病み、暴れて警察の御厄介になった。お医者には「もう2~30年前から病気だったのだと思う」と言われた。難しい奥様は、病気だったのだ。

 

弟よ、お前もいい加減な奴だった。

酒をいっぱい飲み、たばこもぷかぷか。俺は、さんざん言ったろう。「金がある時、貯めておけよ」と。お前は言った。「金は天下の回り物」。そんなはずないだろう。
「どこで野垂れ死んでも知らんぞ」と。「そりゃひどい」と、弟。

 

奥様の実家から遺産相続で土地をもらった時、その土地を売り払って、無駄遣いしたろう。お前は飲み屋、外車。奥様も宝飾品。衣服。あれ、外車は奥様だったかな。俺ももらった。昔流行ったセイコーの時計の復刻版だ。(悪いけど、俺はそう言う物に興味はない。・・しかしもう、これはお前の形見だなあ)ユニセフ?に40万寄付しただと。馬鹿か。

 

俺はさんざん言ったろう。「無駄遣いするなよ」と。

 

やがて奥様は高利の借金をし、二人で借金取りに追われたろう。馬鹿が。あれはいつ頃であったか。

 

たびたび俺も助けたけれど、

二人で穴抜け(けつぬけ)じゃ、どうにもならぬ。

 

 

 

見ろ。俺の言ったとおりになったろ。バーカ。

 

借家住まいで、年金暮らしの療養中。長男坊は非正規雇用。奥様病んで家庭内別居。

 

 

お前は若いころからお気楽な奴だった。

高校の頃、たばこを警察に見つかって、俺がもらい下げに行ったろう。

 

親父が60で死んで、俺が11万の手取りの中、3万を実家に送ってた。お前は大学浪人。2回目も失敗。それはいい。分からないのは次だ。母親から金をもらい、隣家の、一年下のF男と3泊4日の旅行に行ったろう。F男は名門大学に現役合格したのにさ。・・・バーカ。 

 

 

まあいいさ。お気楽な次男坊だ。

(そうだなあ、そうはいっても、俺もお前と遊んでたのしんだなあ)

 

 

「2月6日、記す」

実に久しぶりの旅行が、弟のお墓参りとはねえ。(5日)

朝5時38分相馬出発。常磐線で仙台へ。仙台から米原まで新幹線乗り継ぎ。やまびこ(東北新幹線)もひかり(東海道新幹線)も、自由席であったが、ガラガラであった。これじゃ、JR東日本JR東海も大赤字だろう。一番混んだのは、帰りの常磐線(仙台ー相馬)である(笑)。それでも、座席が隣り合うことはなかった。

 

12時20分彦根着。

奥様Sさん、長女Tちゃん、長男M君一家で出迎え。お墓へ向かう。お墓と言っても、共同の永代供養墓である。弟には戒名もない。

 

弟の名前の新しい卒塔婆がある。

 

知ってる限りのお経を唱えた。般若心経、舎利礼文

 

知ってる限りの経文を唱えた。

「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」「我昔所造諸悪業皆由無始貪瞋痴従身口意之所生一切我今皆懺悔」「十方三世一切仏 諸尊菩摩訶薩 摩訶般若波羅密」

 

おっとと、このお寺は、浄土真宗だ。俺の唱えたのはお前の実家の曹洞宗の経文だ。

 

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

どのようにこの世を過ごそうとすべてを受け入れて極楽往生をさせてくれる阿弥陀様を信頼申し上げます。

 

 

これ、お前にふさわしいかもな。おっと俺だってこの世に生きている限り、諸悪行を重ねてきたんだと思う。己の力で極楽往生なんて出来ないかもねえ。阿弥陀にすがるのも良いと思う。

 

俺にそれができるか。それはどうも難しそうだ。

 

(2月7日追加)

 

借家へ向かう。ビックリすることに、掃除をした気配がない。有名なごみ屋敷ほどじゃないけど、整理した様子もない。弟が寝泊まりしていた部屋は、洋室6畳くらいか、も少し狭いか。物が散乱している。テレビはない。いつもラジオを聴いていたそうだ。写真が一応飾ってあった。がりがりに痩せていた。いつの写真か。死の直前にはもっと痩せてたんだろう。どんな生活をしてたのか。厚生年金をもらってたはずだけどな。

 

 

忘れててごめんな。でもどうしようもないだろう。234だよ。昨年は送った野菜のお礼も言ってこなかったな。俺が電話をかけても出なかったな。

 

 

「老衰死と書けないので、多臓器不全」とお医者は言ったそうだ。老衰死だって?おいおい、まだ64だぜ。しかも奥様と長男息子が同じ家に同居しているのだぞ。二人もいて、何とかしろよ。

 

脳梗塞で少々不自由な体になっていた。糖尿病でもあった。膝が痛いとのことだった。ものを食わずタバコばかり吸ってたそうだ。己の体の不自由さと精神病の奥様と頼りない長男。・・・人生に絶望したのかい。そうなのか。緩慢な自殺か?

 

「あんちゃん、俺には俺の人生」「あんちゃん、ほおっとけよ」「俺の人生、俺の好きにするさ」「みんなには迷惑かけないからさ」いつかきいたセリフだ。バーカ。

 

俺や母親に心配かけてただろう。バーカ。それって迷惑かけてるんだろ。

 

 

さてと、君の残した家族には心配は尽きないが、まあどうしようもないや。

234だよ。俺とお前だけの暗号。分かるだろう。「それがうるさい」ってか。234が悪かったか?弟よ。

 

 

2年ぶりの遠い旅行が、お前のお墓参りとはなあ。

(追記終わり) 

 

いいロケーションのお寺だなあ。すぐそばが国宝彦根城。ちょっと行くと琵琶湖。

 

良かったねえ。T夫(弟の名前)。

なるほど、母親が買ってくれた相馬の墓地に入る気は起きないかもねえ。

 

俺が死んだら、また会おう。酒でも飲みながらいろいろしゃべろう。F男も一緒にね。若いころ、3人でよく遊んだなあ。酒も飲んだ。F男も兄貴より先に逝った男だ。お前ら、ほんとにお気楽な奴らであったなあ。(俺にはうらやましいという気持ちもあったのかもね)

 

「気楽じゃない」って。そうかもなあ。分からん。

 

今は二人で「心の旅」でも歌っているんだろう。酒飲みながらね。これは間違いないな。

 

 

俺とYちゃん(隣家の友人)は、それぞれ長男坊(Yちゃんは次男なんだけど、実質は長男。ほんとの長男が知恵遅れで、Yちゃんは、3男のF男を頼りにしてた)。やっぱり家に縛られてたなあ。俺らは束縛の中で生きてきた。それでいい。

 

 

お前らは自由だった。そして好きに生きた。それでいい。

 

 

 

彦根へのとんぼ返り。

遠くから彦根城も見たし、琵琶湖も車から見た。そういえば富士山もしっかり見た。新幹線で大宮からも小田原・富士からも見た。圧倒的存在感。富士山に圧迫される。うるさいぞ、富士。振り返れば浜名湖からも見えた。しつこいぞ、富士。

こんなことをいう俺は、金子光晴「富士」を思い出してる。

 

「ふん、くそ面白くもない。洗いざらしの浴衣のような富士」

 

感じ方も考え方も、人それぞれだ。

 

弟よ。ちょっとの間、バイバイ。

 

お前が車の中にいつも置いたという交通安全のお守りをもらってきたよ。相馬神社のお守りだ。そこに焼けた10円玉が入っていた。母親のお棺に入れたものだろう。今朝、

仏壇の母親の写真に抱かせたよ。お前やお前の長男のM君を一番心配していたおふくろに。

 

 

今俺は、家の中で相撲をとった(その結果畳をボロボロにして怒られた)、6歳下の、お前の小さな体のぬくもりや、

浜辺で相撲を取った、明らかに手抜きしている、俺よりもはるかに大きくなった、

お前の体のぬくもりを

 

思い出している。

 

ばかやろ。

 

バイバイ。弟よ。・・・・お疲れさん。