阿川弘之「米内光政」読書感想ー人の評価は難しい

近頃の読書

瀬戸内寂聴「秘花」

〇老年の世阿弥についての小説であるが、特に感銘を受けたところはなかった

世阿弥が71歳の時、佐渡へ流されそこで死んだということを初めて知った。

世阿弥が将軍義満に寵愛されて観世座の隆盛を招いたというのは、彼らの能が素晴らしいからばかりじゃないんだと思って、少々びっくり。芸術の隆盛に権力がかかわるということを考えた。一方江戸の化政文化なんかは庶民文化で、権力の規制の対象となっているなんてことも連想をした。

〇当時貴顕の間では、男色が盛んであったことに驚いた。ぞれぞれ好きにしたらいいと思う。しかし、男が性的に男を好きになるなんて、俺には、気持ち悪いという感じしかない。俺は女がいい。

 

阿川弘之「米内光政」上・下

〇阿川の「井上成美」「山本五十六」同様、主人公の周りの証言から主人公を描写という方式である。上巻は、米内の軍人生活の前半で、いまいちパッとしない「どさまわり」(阿川)の描写である。読んでもまったくパッとしない、極めて退屈であった。

 〇下巻になると、がぜん面白い。1937年~1939年の海軍大臣(林→第一次近衛→平沼首相時代)、1940年前半(昭和15年)の総理大臣、さらに、1944年後半~1945年11月=敗戦から海軍消滅の時の海軍大臣である。その時代は首相で言えば、東条のあとの小磯→鈴木貫太郎東久邇宮→幣原であるから、まさに激動の時の政治中枢である。

面白くないはずがない。

〇阿川は、海軍びいきである。阿川の「米内」「山本」「井上」海軍3部作は、太平洋戦争に関しての「陸軍悪玉・海軍善玉」論の傾向が強い本であり、米内の評価については、ウイキペデイア等の記述を見て、評価する必要があると思った。

〇1939年、平沼内閣時の米内海相・山本海軍次官・井上軍務局長のトリオで、日独伊三国同盟を阻止したことは有名だ。そしてそれは、海軍善玉論、あるいは陸軍の狂気に対する海軍の合理主義(平和主義?)の象徴のように言われるけれど、米内には、そうでない面がある。

ウイキによると、1937年日中戦争がはじまってから、第二次上海事変での積極攻撃作戦(渡海爆撃等)や海南島占領を主導したのが米内海相である。さらにトラウトマン工作(ドイツによる日中和解工作)中止を唱えたのが米内とのことである。阿川はこれらについて言及していない。

日中和解工作の失敗が近衛首相の「中華民国政府を相手とせず」声明につながり、それが日中戦争の泥沼化、泥沼化が太平洋戦争につながったことを考えると、米内には、大きな戦争責任があると思われる。その点で、どうして戦犯指定を受けなかったか、も不思議な気がする。少なくとも米内には大局は、見えてなかったといえる。

人の評価は難しい。

〇井上成美は、原則主義者、米内光政は現実即応主義者と言えそうな気がする。

〇敗戦時のポツダム宣言受諾の時、受諾賛成は海相としては当然である。何せ動かせる軍艦がないのだからねえ(笑)阿南陸相切腹死の評価は様々だが、私は、無責任と思う。この本によると、米内は敗戦後も留任し、蜂起しようとする部下を抑えにかかった点は評価する。それが責任を取るということだろう。

〇米内の出世を見ると、美男顔と体格と無口が効いているような気がする。特に無口はいいと思われる。(笑)なるほど俺は、出世はしないはずだ。この3条件がない(笑)。

〇大臣に仕えた連中のOB会が、特に米内の場合、彼の死後も長く続いたのは、米内の魅力でしょうね。