歩兵第11連隊のTVを見て

いい番組を見た。NHKBSの「第11連隊の太平洋戦争」である。ビデオに撮っておくべきであった。忘れないうち、思いつくまま、その感想を述べる。

 

(1)この連隊の戦歴は、勇者(マレー進撃・シンガポール陥落)→戦争犯罪集団(マレーでの中国系住民殺りく)→飢え集団(ニューギニアの島)→戦争犯罪集団(病院船を兵士・兵器運搬に使用)→捕虜集団(病院船使用という国際法違反)という特異なものであって、興味深い。

 

(2)この連隊は、中国戦線でも一般人虐殺(少なくとも裁判なしの死刑)をしており日本軍一般の戦時国際法違反の常習性を疑わせる。また、この連隊の戦歴と似たような経過を持った日本軍隊も多かったろうと思った。

 

(3)連隊ごと一千名以上が、病衣姿で捕虜になった、という姿が哀れでかつ面白い。病衣姿というのは、漫画チックである。

 

(4)極めて深刻なのは、病院船違法の責任を問われた裁判で、軍上層部が皆、下の責任(例えば、師団の責任だ、とか連隊の責任だとか)を言い募り、自分の責任逃れに懸命だったことである。見苦しいじゃすまされない。そりゃ、組織としての致命的欠陥だろう。

命令権を持つものは、あるいは命令を出したものは、結果について責任をとるのが当たり前だ。

 

丸山眞男は、戦前の戦争遂行の政治体制を「無責任の体系」と喝破したが、戦前の軍隊も、無責任の体系が浸透していたと思われる。

 

戦後日本はどうか。安倍晋三内閣の時の不祥事は、安倍晋三その人をはじめ、高級官僚たちの責任逃れのオンパレードであった。

 

そんなことを考えると、日本の人と組織の運営には何か根本的欠陥があるのじゃないかと思えてしまう。尤もそうじゃに人もいる。あの山一證券の社長の涙ながらの会見なんて、責任を取るという事では、感動的だった。やはり人によるのか。

 

(5)痛々しいのは、戦犯として処刑された中隊長(?)の写真である。きりりとした

好青年である。彼が、ベトナム戦争時の米軍によるソンミ虐殺のような犯罪を犯したとは思えない。

 

しかし、裁判の証言によると事実なのだ。

また彼は、悪いことをしたとは思っていない。罪を逃れる嘘もついているが、本心は、悪いと思ってないのだろう。

また上からの命令で、お国のためやったこと、と思っているのだろう。

 

日本が勝つためには、抵抗し続ける中国をギブアップさせねばならない。そのためには、中国重慶政府への援助をしている者たちを粛清せねばならない。それは正しい事である、と思っていたのだろうと思う。

 

そう考えると、この人は、

大日本帝国全体の、そして日本軍の、国際法を無視する、あるいは中国蔑視という大きな間違いの犠牲者とも見える。

 

(6)救われるのは、この青年の甥っ子の行動である。甥っ子は、戦後叔父の裁判記録や研究者の研究を見て、叔父は、一般人を虐殺したと認識したのである。そして彼は言う。

「叔父が心から反省する機会を与えてほしかった」

ここまで来るのに、甥っ子も苦しかったろう。

 

(7)この甥っ子は、叔父が一般人虐殺を犯した、その村を訪れている。糾弾を覚悟で。そして彼は言う。「叔父がやった犯罪を、私は謝れない。責任はとれない。しかし責任という英語、responsibirityには、応答?するという意味がある。私は応答?したいと思う。私の応答?は、二度と戦争の起こらないよう努力することだ」と。

 

(8)同じように、糾弾を覚悟で現地にはいり、日本軍の犯罪を研究し続ける研究者もいた。琉球大学の先生。この甥っ子や研究者には頭が下がる。こんな行為こそ、戦後日本の基礎だったのだと思う。

 

(9)応答。・・・戦後日本に生まれ戦後日本を形成してきた我々は、大日本帝国

侵略戦争戦争犯罪の被害者にどう応答すべきか。空襲の犠牲になった年少の日本国民に罪はない。こんな被害者にどう応答するか。

 

こんなことを考えさせられました。いい番組でした。も一度見る必要がある番組でした。

 

なお一度きりしか見てない、かつぼやけた頭なので間違いもあるでしょう。お許しください。具体的な人物の名前や村の名前が書かれてないのは、一つも覚えていないからです。