喧嘩にもルールがある

ウクライナ停戦交渉

ウクライナ与党が、米・欧州・ロシアが安全保障するなら、中立化=NATO加入を棚上げもありうると表明したらしい。ただクリミアと東部2州(一部)の独立は認めないとのことだ。これを信じるなら停戦の糸口にはなる。クリミアと東部の独立は、交渉次第という事もあるだろう。

 

棚上げではなく永世中立までゆずってもいいのではないか。また、最大クリミアと東部も譲ってもいいのではないか。非武装化はどうだろう。米・欧州・ロシアの安全保障の中味によると思う。ロシアの非武装化要求は、決して逆らわにようにという意味なので、聞かない方がいいと思う。米・欧州・ロシア及び国連総会の保障での非武装化はどうかな。勿論完全独立は当然の保障である。

 

 

但し、ウクライナがどのように譲っても、ロシアの犯した侵略の罰として、経済制裁は続けるべきだ。悪いことは悪いんだから。ロシアは苦しいだろうから、制裁を外せと言ってくるはず。それは、ウクライナと関係なしに、制裁を課している国々との交渉にするべきだ。ウクライナが譲った(もし譲ったらとして)クリミアを返還せよというべきだ。それがだめなら民間人を攻撃した賠償と謝罪を求めるべきだ。ダメもとでも。

 

ここは二国間交渉優先と世界のルールのせめぎ合いとなる。習近平・中国の二国間交渉重視(力が正義だ、俺は強い、二国間なら勝てる)を打ち破るために、世界のルールの擁護に力を注ぐべき。

 

で、

習近平・中国について

習近平は、経済制裁については、「世界経済に与える影響が大きいので反対だ」と言っている。独立国家ウクライナを侵略したのは明らかにルール違反だ。習近平の考えは、ルール軽視である。そのことは、彼に言っていい。お前ルール違反を認めるのかと。勿論、習はルール軽視の思想を持つ。南シナ海の国際裁定を無視していることに明らかである。力の方が上と思っている。それは良くないこと、損することと知らせるべきである。そのためにもロシアへの経済制裁は続けるべきである。ロシア国民には苦労を掛けるが、結局はロシア国民にも得になると思う。侵略は割に合わないと知って、侵略をしない指導者を選ぶことになる。そうすると、今回のような苦労がないことになる。

 

核共有について

安倍晋三や維新は、核共有を議論すべきじゃないか、と提言している。彼らが言う「議論すべき」とは持ちたいという事だ。それに対して泉立憲民主党代表が、「核兵器は抑止力がない、使えない兵器だ。議論も良くない」と発言したらしい。それに対し、「核兵器は抑止力がある」「ウクライナが核を持てば侵略はなかった」「議論をしないというのは、民主主義に反する」とかの反論があるようだ。

 

この点について、私の考えは以下の通り。

(1)議論は、したい人がいるのだからすればいい。核を持つべきという人がいるなら、反対者は、それはまずいと反論すればいい。ただ、外国からどう見られるかは注意すべきである。世界ではすでに核兵器は持ってもいけない、脅してもいけない、使うのはいけないという共通ルール(核禁止条約)が発効している。日本の一部の有力者に「核を持ってもいいのでは」という意見があることについて、世界はどう思うかな。世界の良識(核禁止)を無視する方向だもの。これを考えると、やはり、議論も封鎖した方がいいのではないか。

 

(2)ウクライナが核を持てば侵略があったか無かったかは、不明である。どちらもありうる。

 

(3)核は使えない兵器か。

私は、対立する双方の理性がある間は使えない兵器であると思う理性がぶっ飛んだ時、使える兵器である。使うときは、(兵器も何かを目指す目的のものだろうけど=相手に自分の言い分を飲ませる目的)、いかなる目的も達成できない兵器である。相手が消えちまうんだからな。尤も自分も消える可能性もあるけどね。そういう事をするバカな人類というは、地球に迷惑なので、他の生物諸君に迷惑なので、消えてしまえ。

 

余計なことを言った。

 

結論

核兵器は、理性があれば使えない、使うときは目的を達しえない兵器

 

 

朝鮮戦争時、マッカーサーは中国に使おうとした。中国がまだ核を持たず、ソ連

まだ実用化に遠かった時である。でも使えなかった。それから約10年後キューバ危機の時、核保有国である米ソ双方とも、使えなかった。理性があったからである

 

(4)核兵器は抑止力があるか、ないか。私はひどく危険な、究極的な抑止力があると思う。しかし使っちゃいけない抑止力である。双方全滅する可能性もあるからである。

 

ある集団とある集団が何かのことで対立したとする。どう解決するか。まず一番いいのは話し合いで決めることである。これは国家間で言えば外交交渉である。話し合いや交渉で決着がつかない場合、裁判所に決めてもらうのである。この判決は、一国内では強制力がある。国家間の紛争の処理機関は、国際司法裁判所等である。これには、強制力がない。国家の主権を超える強制力を持つ組織が欲しい。本来これは国連のはずであるが、ご存知の通り強制力がない。強くする努力が必要だが、それは今は触れない。

 

さて、ある集団とある集団がどちらも裁判所に決めてもらうのが嫌だ。あるいは裁判所がない場合、どうするか。

 

喧嘩である。口喧嘩から腕力勝負である。この喧嘩の時でも、お互い喧嘩のルールを決めることができる。参ったと言ったらそれ以上ぶん殴らないとか、ナイフは止そう、ピストルは止そう、爆弾は止そう、毒は止そう、とか。殴り合いだけとか。まあねえ、殴り合いは痛いので、くじで決めるがいい。じゃんけんで決めるがいい。やはり阿弥陀様に決めてもらおう。

 

余計なことを言った。

国家間で言えば、民間人・無防備都市は攻撃しないとか、降伏者も大切にとか、もう100年以上前から戦争のルールがある。人類は、喧嘩のルールを決めてきた。

 

原則的に、腕力を使ったの喧嘩(戦争)はやってはいけない(1928年パリ不戦条約、1945年国連憲章)とも決めてきた。馬鹿な国々はそれを無視して戦争をやってきた。

 

 

2021年には核兵器禁止条約が発効している。もう核兵器での脅しや核兵器を使うことは、禁止なのである開発することも持つことも禁止なのである。そういうルールがあるのだ。もう核兵器は、生物化学兵器、地雷、その他の兵器と同様、使っちゃいけない兵器になっている。

 

 

ところが、俺はそれには従わないという喧嘩の無法者がいる。米ロ中をはじめとする核保有国だ。

 

 

日本も核兵器が欲しいというのは、喧嘩無法者の仲間に入りたいという事だ。核兵器で数十万の敵国民(日本国民)を殺した喧嘩無法者・米国の仲間に入りたいという事だ。1945年には核禁条約はなかった。しかし、民間人殺傷禁止という1899年ハーグ陸戦条約に違反している。

 

犯罪なのである。犯罪国なのである。勿論重慶爆撃・南京虐殺等々を犯した大日本帝国も犯罪国である。

 

 

今はもう核保有国は無法者なのである。喧嘩のルールなんて守りたくないという喧嘩無法者なのである。

 

 

米国という喧嘩無法者の仲間になって、中ロ北朝鮮等の喧嘩無法者と、無法な喧嘩をしたいというのか。・・・化けて出てくれ、数十万の原爆死者たち。

 

 

核兵器禁止条約はすでに発効している。日本も早く核兵器禁止条約を結んで国会で批准して、喧嘩無法者の仲間にならないようにしよう。喧嘩無法者の仲間に入りたいという安倍や維新には引っ込んでてもらおう。選挙で落とせばいい。日本は議論自由の国である。ただの人になってもらって、核兵器欲しい、「僕ちゃん、一番強い武器欲しいよ」、とほざいててもらおう。市井の人が何言おうと勝手だ。国会議員は困る。

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(再掲)

尚、隣の喧嘩無法者の中・露・北朝鮮に対するため、核兵器を持ちたいというなら、安倍や維新や核を持ちたい人は、聞けばいい。「習さん、ぷーさん、金さん、俺たち核兵器持ってないけど、ひどく対立して戦争になった場合、俺たちに核兵器使うかい、その前に核兵器で脅すかい」と。「俺たちも核兵器持った方がいいかい」と。その答えを聞いてから、核兵器欲しいと言うがいい。

 

俺はごめんだ。同胞数十万を殺した核兵器を持つなんて御免だ。

俺はごめんだ。無法者のならず者の仲間入りなんて御免だ。

俺はごめんだ。理性あれば使えず、使うとその目的が達成しえない武器なんて御免だ。

 

諸国民の皆さま、戦争で物事は解決しないようにしましょう。紛争は裁判所に決めてもらいましょう。集団安全保障体制を作りましょう。国家主権を制限するルールを作って、自分の国を従わせましょう。核保有国の諸国民の皆さま、万一戦争になっても、核をはじめとする非人道的武器は使わないようしましょう、まずは核禁条約を自分の政府に結ばせましょう。

 

 

尚、これも言っておく。

核共有は、おのれら(欧州と核共有している米国を言っている)、核保有国も入っている「核拡散防止条約」違反である。核を拡散してるじゃないか。

どうですか、核保有国の諸国民の皆さま(諸政府とは言ってないよ)。そうは考えませんか。