思い出さなきゃいけないこと

今日は、3.11。東日本大震災の日です。

 

永遠に続くのかと思った震度6弱地震。めちゃくちゃな家の中。

田んぼの中にバスがある。巨木がある。船がある。泥の匂い。こんなとこに海?

傷ついた巨大怪物の最期の苦悶、原発爆発。

母の入院。危篤状態。病院の窓の外には、原発へ急ぐ自衛隊ヘリ。

安否不明の若い友人。元同僚が会津へ逃げる。義父家族が柏へ逃げる。

畑の作物は、ネギだけを残して処分。毎日ご飯ばかりの食事。

 

その時私は、この世はもう終わりだと思いました。

 

 

しかし今は、津波のことや原発事故のことは忘れて暮らしています。

 

 

それでいいんだと思ってます。いつも思っていることなんてだれもできません。

 

 

「企画書、どうしようか」「課長がこれだけ契約取れなんて、困った」「うちの子は、孫は」「俺癌かも」「晩飯どうする」「数学なんて必要?」「ラーメン高くなって」「巨人どうすれば勝てるか」「旅行どこへ?」「畑にマルチ張るか、張らないか」

「忘れることが幸せと遠くささやく鐘の音」(長崎の女、春日八郎)


www.youtube.com


www.youtube.com

(この貼り付けを知って、自分のブログで好きな歌をすぐ聞けるのでうれしい)

 

普段はこれでいいんだと思います。

 

忘れていていいんだと思います。また「忘れることが幸せ」という事もあると思うんです。

 

 

 

 

ただねえ、思い出さなきゃいけないこともあると思うのです。知らなきゃいけないこともあると思うんです。

 

 

原爆や戦争の事。

 

第二次大戦(1939年~1945年)が終わってからもう77年です。

現在の世界の指導者の年齢を見てみましょう。

米国     バイデン 80歳

中国     習近平  68歳

ロシア    プーチン 69歳

イギリス   ボリス  57歳

フランス   マクロン 44歳

日本     岸田   64歳

インド    モデイ  71歳

ウクライナ ゼレンスキー44歳

 

とびぬけた年長のバイデンだって、1945年には3歳です。戦争体験者とは、言えません。

 

現在の世界の指導者の中に、戦争体験者はいないんです。

 

物心がつくのが10歳としますと、87歳以上の人が戦争体験者となります。世界中の殆どの人が、戦争体験者ではないんです。

 

世界の指導者には、原爆の事や戦争のことを思い出してほしいんです。知らなきゃ、知ってほしいんです。

 

一番思い出してほしいのは、国連憲章です。

 

 

「我等連合国の人民は、

我らの一生の内に、二度までの言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い基本的人権と人類の尊厳及び価値と男女及び各国の同権とに関する信念を改めて確認し、・・・・・

寛容を実行しかつ善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するため我らの力を合わせ、共同の利益の場合を除くほかは武力を用いない原則を確認し、・・・・・ここに国際連合という機関を設立する」国連憲章前文、1945年6月)

 

ここには、戦争体験者たちの平和への熱意が、願望が込められているのをひしひしと感じます。

 

プーチンさん、あなたの国は国連加盟国でしょう。ウクライナへの軍事侵攻は共同の利益じゃないでしょう。ウクライナが嫌がっているんだから。だから武力を用いちゃいけないんですよ。屁理屈を言うな。

 

プーチンさん、国連創設の時の原則に戻って下さい。

 

 

国連憲章は、私などには、一度読んだくらいじゃよくわかりません。

 

 

国連憲章は、不十分なところが多々あるんでしょう。だから、これをつくっただろう先輩たちも戦争を阻止できなかったのだろうと思います。

 

 

ましてや、国連憲章を主導した米国は、この2カ月後1945年8月原子爆弾を落としています。ソ連に対抗し、戦後世界をリードするためです。憲章の主文が連合国人民となってますから、日本は眼中にないんでしょう。しかし、戦争敵国にもやっちゃいけないことがあるんです。民間人殺傷は、戦争中でも犯罪です。

 

 

国連憲章の不十分なとこらは、加盟国が改善できることでしょう。なんとかして戦争が起きないよう努力して下さい。

 

各国の大統領・首相・各大臣・各大使・公務員、国連職員は、皆各国民の税金で雇われてるんでしょう。各国国民は、戦争なんてだれも望んでませんよ。

 

真面目にやれ。

 

 

・・・・・

迷った末に次の歌もブログアップします。長崎の女からの連想です。


www.youtube.com

藤山一郎のものは、著作権か何かの関係でアップできません。NHKTVのドラマの関係で

つくったものだと思います。

私の迷いには、二つあります。

一つは、作曲家古関裕二に本当に戦前の戦争加担の反省があるかどうか、少し疑問に思うことです。ドラマでは、反省の姿がずいぶん描かれてましたけど。これは、彼だけではありません。当時の大人は戦前を本気で反省したんだろうか、と思っています。作詞のサトウハチローも戦争協力歌を作っていたそうです。ま、しょうがないかとも思うんですけどね。

 

もひとつは、長崎の原爆を歌う場合、私は怒りがなければいけないとも思うんです。

被害者が励まし合って生きていく。それはとってもいいことです。

 

でも戦後です。戦争をもうしないと世界も日本も決心したんでしょう。原爆投下は、ルール違反です。犯罪です。戦争中でも民間人を殺しちゃいけないというずっと昔からのルールです。だからアメリカ国に謝罪を求めるべきと思っています。核廃絶を唱えた尊敬するオバマ大統領でも明確な謝罪はしてません。日本国政府も求めません。

 

しかしこういう態度が、核大国ロシアの非核保有ウクライナへの侵略を止めえないことにつながってると思うんです。

 

悪いことは悪いと日本も米国も反省しなきゃいけないんじゃないか。

 

核は全廃しなければなりません。

 

私は、この歌の転調部分にぐっときます。涙が出ます。しかし、この涙がどうもすべてを許してしまうことにつながってるようにも思うんです。

 

でもいい歌はいい歌です。歌に罪はありませ。いいじゃないか、そんな面倒なことは、とも思います。

 

これが私の迷いです。想いは揺れます。

 

揺れる思いのまま、アップしました。

 

今日になって思い出しました。「原爆を許すまじ」という長崎へ行った時の私の感想文です。古い文章です。それも貼り付けておきます。

 

原爆を許すまじー長崎にてー

原爆を許すまじー長崎にてー - A0153’s diary