坂上泉に期待する ー小説「インビジブル」を読んでー

坂上の小説インビジブルを読んだ。

警察小説の部類に入ると思われる。

舞台は、1954年(昭和29年)の大阪。事件は、3人連続殺人事件。いずれも頭に麻袋をかぶされている。事件の担当は、大阪市警視庁と国家警察(?)

 

主人公の警官二人は、東京帝大卒エリート警部補守屋と中卒のもと半ぐれ警官新城。

 

警察組織が理解しずらい。というのは、全国一体の現在の警察組織と大きく違うからだ。当時警察は二本立てであった。自治警と国警。戦前の人権無視の警察の代わりにつくられた、住民に奉仕する自治体警察(自治警)が基本であるが、財力のない中小市町村を所管する国家地方警察(国警)が別にあった。自治警は、民主警察創設の目的で、GHQの指導の下につくられた。

 

この1954年(昭和29年)自治警と国警の一体化がなされた。

 

小説は、犯人捜しと警察内部の対立の両方を描いていて、分かりにくい。これは俺の頭の悪さのせいだろうけど、俺は、読んでて、いまいち明瞭でないとおもった。ドキドキもしなかった。

2人の対照的警察官のやり取りもいまいちおもしろくない。→着想がいいんだから、もっと面白く書けるのではと思った。

途中から犯人が分かって、どんでん返しの面白さもない。→犯人をもっと深みのある

人に描いた方が俺はいいなあ。まあ、作者が若いので無理かも。

 

 

何だ、何も面白いことがないじゃないかと言われると、そうでもない。

 

 

それは、1954年の日本はこんなだったのか、と思わせる描写力である。

警察の暴力。犯罪の多発。アヘン栽培。暴力団の跋扈。貧しさ。喧噪。激しい労働運動・学生運動。混乱と混迷。あたらしく手に入れた民主主義をめぐる葛藤と苦悶。逆コース

 

そして戦争の深い傷痕。主人公二人にも、他の警官にもある。多くの人々にも、そして犯行にも戦争が深く影響を与えている。いや戦争が引き起こした犯罪と言った方がいい。

 

 

この頃を振り返ると、

1954年は、自衛隊発足、第五福竜丸事件、映画「ゴジラ」「二十四の瞳

1955年は、自民党社会党成立(55年体制)・高度成長時代の始まり

1956年は、教育委員会法廃止、経済白書「もはや戦後ではない」

戦後史の大きな転換点である。

 

 

坂上泉は、1990年生まれ、東大文学部日本近代史専攻と、本の紹介にある。この人は歴史を見る目があると思った。描写力もある。まだ32歳。

 

若い目で、戦後を見つめてほしい。そしてそれをすっきりした小説にしてほしい。

 

というのは、・・・

私は、日本の現在を、ゆるやかにずっと負け続けている時と感じている。

 

バブル崩壊は、太平洋戦争では、ミッドウエー海戦当たりかなあ。それ以後負け続けている。今はレイテ海戦か、もっと進んで沖縄戦か、どこまで負けるのだろう。最後はどうなるのだろう。ハイパーインフレか、国債債務不履行IMF管轄下へか、とにかくこれまでの自公政権の施策ではダメなことははっきりしている。

 

負け続けというのは、米国に負け続け(支配され続け)ているという事ではない。

 

 

バブル崩壊後経済成長ができないこと少子高齢化、民主主義の弱体化、人権の弱さ、格差の増大、政府借金の激増、自己責任論の跋扈、政治家をはじめとする無責任の蔓延、多くの国民の他者への無関心、社会への無関心、冷淡さ(見よ、国政選挙での投票率の低さ)などで、負け続けていると、そう思うのである。

 

 

かつて日本はアジア・太平洋戦争で惨敗し、そこから見事立ち直った。世界に誇るべきものもあった。

 

 

 

これからこの現代の敗戦どう処理し、立ち直っていくか、その参考に、かつての敗戦と立ち直りを、歴史家の目を持つ小説家として、分かりやすく若い世代に問いかけてほしいと思った。

 

日本の立ち直りは若い人たちに期待するほかない。

 

そんな小説を書いてほしい。書けると思う。期待できる小説家と思った。

 

まあ、勝手な願いではある。