平野啓一郎「マチネの終わりに」
を読んだ。
昨晩から今日の午後4時までかかって。この作家は初めてである。
文章の細部が分からぬところが半分以上あった。それでも本を手放せずに、ほぼ一気に読んだのである。
一目ぼれした相愛の二人。面と向かっては3回しかあっていない。それでも心底相手を分かりあう二人。
それでも結婚は出来なかった。
恩師の病気と
別な愛と
芸術へのつまずきと
お互いを想う愛が
二人を引き裂く。
お互いの意思で別の人生を歩む。
その二人が、ひとめぼれの夜から、5年半後、390頁後、お互いの意思で会う。
あーあ、どうなっちゃうのかな。
うーん。この二人、これからどうすんだろう。いやどうなるんだろう。周りの人はどう影響されるんだろう。
行方も知らぬ恋の道かな
偶然にも音楽による再生を続けて読んだ。「永遠を探しに」とこれと
映画に使われたギター曲で、知っているのは、「禁じられた遊び」くらい。
第一映画をそんなに見ないなあ。
「禁じられた遊び」では、ナルシソイエペスもいいが、同じくらいにいい日本女性のギターでどうぞ。
何故なら、主人公の女性も、天才ギタリストに匹敵する素晴らしい女性と思うから。
今わが孫あかりが、初めてのこの曲に合わせて、踊っています。
曲に挿入された映画「禁じられた遊び」の数場面、それだけで、涙が出ます。
私は思います。世界中どこでもいつでも、ポーレットを出現させてはいけません。
世界は、「禁じられた遊び」の小説や映画のころを忘れ始めている。