自由死・VF(ヴァーチャル・フィギュア)・リアル・アバターの仕事ー2040年代の日本ー

平野啓一郎の「本心」(小説、2021年をよみました。うーん、いろんな意味で、難しい。よくわからなかったけど、すごく興味も惹かれました。私としては、珍しく続けて2度読んでしまいました。

 

時代は、2040年代初め。「自由死」(本人の意思で、医師の手助けにより安楽死すること)が合法化された日本。

 

「自由死」の意思を告げた母は、主人公(僕)が拒否しているうちに、事故死。「僕」は、母の死後、AIに、母の情報を学習させ、母のVFを作ります。そして、生前の母の真実の姿を求めます。その過程で、母の友人の若い女性(三好)、19歳の有能なVF作成者(イフィー)、母の元恋人の作家(藤原)等と出会います。「僕」は、恋愛を経験し、自分の誕生秘密を知り、生きる意味、死の意味を考えます。そして、人生の目標を見つけていきます。

 

 

2040年代の日本の貧しさがひしひしと感じられた小説でした。勿論格差もです。

 

三好は、かつて売春で生活し、今は旅館の下働きです。「僕」は、他人(多くは金持ち)の言いなりになるリアル・アバターの仕事です。首になれば、廃品回収の仕事をします。

 

著者平野啓一郎は、仕事風景・食事風景等で、さりげなく貧しさを描きます。自由死も社会保障費の削減に寄与するからこそ、合法化されたのでしょう。

 

私達は、今の豊かな生活が、借金で成り立っていることを知っています。1989年(平成元年)の国債残高は、160兆円でした。これが2022年には、1026兆円になりました。平均しますと、この30余年、毎年毎年、26兆円の借金で、今の生活が成り立っているわけです。今の生活は見せかけです。バブルです。

 

日本政府の税収を平均60兆円としますと、年収600万の家庭が、毎年260万の借金をして、30余年経ちました。そして今借金は、1億260万円になっています。こんな家、破産です。

 

 

借金は、いつかは返さなければなりません。政府は、どうしてこんな巨大な借金できるのでしょうか。私は、1億の国民を人質にしているから、借金ができるのだと思っています。いざとなれば、増税かひどいインフレ(増税と同じことです)生活をさせればいいわけです。・・どちらも貧しい生活です。現在の日本の社会経済の諸指標は、将来の明らかな貧困化を示しているように思えます。

 

2040年代には、自由死がなんとなく奨励されることになるかもしれません。空気!が怖い。「迷惑をかけるな」という空気。

 

子や孫の為、お金を少しでも残すため、介護等かれらの手を煩わせないため、「自分は死ぬ」と考える人が出てくるかもしれません。

 

この「僕」が働くリアル・アバターの仕事は、雇い主の命令のまま動く仕事です。自分を殺した仕事です。そういえば売春も同じです。「僕」が失職した後の、廃品回収の仕事は、機械化するだけの経済合理性(P232)のない仕事です。つまり、機械よりも安く使える人間労働です。こんな労働の可能性も高いです。

 

私は、2040年代は、90歳代です。おそらく消えているでしょう。「骨と灰と二酸化炭素」(p208)になっているでしょう。宇宙の元素に戻ります。

助かった(笑)。生きていたなら、そしてボケてなかったなら、子や孫に迷惑をかけていいのか?という問いに、いやおうなしに向き合うかもしれません。

 

私がかつて衝撃を受けたNHKドラマ「わが歌は、はないちもんめ」や「高瀬舟」や「楢山節考」を思い出します。

 

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著者平野啓一郎は、1975年生まれです。2040年代には、60代後半から70代でしょう。彼は、「あっちの世界」(この本に頻繁に出てきます。富裕層の世界です)ですから困らないでしょう。しかし、「こっちの世界」の人々はどうでしょうか?主人公の母親は、70歳でした。平野啓一郎は、自分の世代とその子どもたちの世代の、20年後を描いたのでした。

 

この本には、外国人労働者の問題、格差、生きる意味、死の意味(「死の一瞬前」が話題になります)、愛とは、等多くのことが出てきます。それぞれに興味深い話が出てきます。長くなりますので、この辺で終わります。興味のある方は、お読みください。

 

印象に残った言葉を一つだけあげておきます。

「何のために存在しているのか?その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だってそれを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口ごもっている人をいぶりだし、恥じ入らせ、生を断念するするよう促す人殺しの考えが忍び込んでいる」

 

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人殺しと言えば、「業務上過失致死罪」に問われた裁判の結果が出ました。

昨日の、東電福一原発事故の、刑事責任に関する東京高裁の判決は、東電経営陣の無罪でした。残念です。

予想はされました。最高裁の民事裁判の判決で、(この場合は、国ですが)、責任はないとしていたからです。

今回の判決で、あのような地震津波は、予見できなかった、と判断しましたが、ずっと前にあの津波の可能性は指摘されてました。

その、万が一に備えるのが危険物運転の責任者じゃないですか。

原発を止める判断は、経営者には難しいとの判決ですが、

原発を止めなくとも、非常用電源の水密化や高台移転をすれば、メルトダウンは防げたはずです。

今回の裁判での被害者は44名ですが、震災関連死と認められた福島県内の人数は、3800名です。腐った判決です。

今日は9の日です。南相馬市のスタンデイングに行ってきます。