東大が悪いのか、上野が悪いのか、社会が悪いのか(笑)

気になる残念な記事について書きます。

毎日新聞2月18日人生相談の欄です。面倒ですが、ほぼ全文そのまま書き写します。

 

74歳の相談者は、「東大生の娘は、上野千鶴子の入学祝辞に感動したはずなのに、「私は下々のものと違う」と言い放ちました。将来は官僚希望で、大学院進学が決まっています。このような心根が一層強まるのでは、と懸念しています。慢心させるため東大にやったわけではありません、いっそ仕送りをやめようかと思っています」という相談でした。

 

回答者のヤマザキマリは、「恵まれた環境と恵まれた能力で、そうではない人々を助ける」という祝辞に感動したはずの娘さんにあるまじき発言だと言いますが、そうでしょうか。私は、この祝辞によって自分たちを「市井の人々とか一線を画す、社会における選ばれし特別な存在」であると自覚し、上から目線力を極めた学生が大勢いたのではないかと思います。

 

もしあなたが娘さんが東大生であることが誇りなら、その誇り自体が上から目線的意識を示すものであり、、娘さんの「下々」という言葉使いの可能性は、家庭の中ですでに育まれていた、という事です。

 

 優れた人間性というものは、勉強の質と量だけで育まれるものではありません。家庭・社会で経験する理不尽さや不条理、自己への内省、そういった学術とは関係ない修練を経なければ、あなたが娘さんに求めているような謙虚な利他性は育まれないでしょう。

 そもそも人間の社会における幸福や恩恵の価値観は多様です。東大に入らなくとも、東大に入った人の力を借りなくとも、恵まれた人生を送る人がいることを、まず忘れてはなりません。仕送りをやめることで娘さんがあなたの理想とする人格になるかどうか分かりません。ただ、お互いにとって家族というものを見つめなおす人生経験の一つにはなると思います」

 

この相談と回答を見てどう思われましたか。

私がまず思ったのは、上野千鶴子の入学式祝辞からもう4年もたって卒業時期を迎えたのかという事でした。時の流れは速いという感慨です。

 

次に、あの上野の「東大生の、恵まれた環境・資質を、そうでない人々のためにも使え」という言葉は、東大生に響いてなかったんだな、と思いました。

 

尤も、この女子学生と違う東大生もいっぱいいるのだと思います。一方、この女子学生と同じ感覚を持つ東大生もいっぱいだと思います。人さまざまでしょう。

 

私は、この父親が、上野千鶴子の入学式祝辞に感動したはずの娘が、・・・と言っていることに注目しました。この女子学生が、上野の祝辞に感動したのは間違いないでしょうし、彼女が、この東大の4年間で、(ヤマザキの言葉で言えば)、謙虚な利他性(という考え)を失ったのも事実と思います。

 

私は、上野の祝辞にまったく同感です。東大生の有能な資質を、社会全体の為、特に恵まれない人のために使ってもらいたいと思っています。特に官僚志望の人に。だからとても残念です。

 

東大の教育、間違ってんじゃないの(笑)

 

上は、冗談です。

 

東大に限らず、大学生の生き方に影響を与えるのは、学問、先生、付き合う学生、学生一般の気質(育ち方)、バイト、サークル活動、読書、社会の雰囲気・空気(例えば「すべては自己責任」、例えば、弱肉強食、例えば「・・・義勇公に奉じ、天壌無窮の皇運を扶翼」(教育勅語)例えば「万人は一人のために、一人は万人のために」)などさまざまでしょう。

 

 

何がこの女子学生の考えを変えたのか、それは分かりませんが、とにかく残念です。

 

優秀な人は、その能力を社会全体のために役立つようにつかってほしいです。

 

回答者のヤマザキマリは、上野の祝辞が、エリート意識を育てたと言っています。まるで上野が悪いと言っているように聞こえます。

 

ここも難しいところです。

 

私は、新入生は、「東大に合格した」そのことですでにエリート意識を持っていると思います。そんな人たちに「お前たちはエリートではない」、と言っても効き目がないでしょう。お前たちは、「優秀だ、その優秀な能力を人のために使ってほしい、未知の分野に挑戦してほしい」、というのが、いいと思う。

 

勿論ヤマザキマリの言う通り、東大のエリートというのは、学業面、もっと言えば受験勉強上の能力面(与えられた問題解き)のエリートでしかないわけです。もっと大きなもっとひろい、もっと大事な能力があるのは当然です。それはどこかで自覚してもらわないと困ります。

 

広い意味での学業面でも、東大は世界の一流大学から外れつつあると聞きます。自分達は、日本国内での受験面でのエリートという自覚は必要です。賢い東大生は当然こんなことわかってます。

 

 

能力高い人は、それを自分の事だけではなく、社会全体、特に弱者のために使ってほしいです。よろしく頼みます。