先週1週間は、風邪が抜けず参った。娘や孫娘と同じ病状で、彼女らがインフルエンザやコロナでないとわかっているので、私は調べなかった。何せ私にゃ、他人と接触がない。
微熱と咳が続いた。寝てばかりいた。昔だったら、当然肺結核か?と思うところだった。まだ体調はもどってない。まあ基本、風邪が長引くのは加齢だろう。
という事で、整骨院への通院もできず、頸・肩・腕の痛みも相変わらずである。(飲み薬が無くなっても相変わらずなんで、飲み薬、役立つの??と思っている)
この間NHKプラスで番組をいろいろ見た。ところがこちらも、まあ不調で、時々途切れる。「再生に失敗しました。時間をおいてお試しください」と表示されると、いやになってもう見ない。私の根気もつづかない。
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さて本題。
迷った末、来年度は、毎月自動振り込みで朝日新聞を、宅配購読することにした。
今年は毎日新聞を、前払いの特典で、11か月分のお金で購読した。
経営者が替わり、来年度は前払い特典制度がないという。しかも毎日も購読料アップだそうで、朝日・毎日共に、年間4万8千円となる。大きい。
大人4人のうち、どうせ私しか読まないので、新聞購読をやめようかとも思った。
ネットやTVで情報は得られる。もっと広い情報が欲しいという場合、図書館で各新聞を見るという手もある。
宅配なんて贅沢ともいえそうだ。新聞には、私にとって、不必要な情報も多数ある。無駄がある。
一方、新聞の宅配購読という文化も貴重と思うのだ。
恐らくそれは、日本国民のレベル維持に大いに役立ってきたのだと思う。映画「二十四の瞳」で、大石先生が、クラスの子に「新聞を取っているお家?」と挙手させるシーンがある。ずいぶん手が上がる、過半は優に超える。新聞読んでいる人?というと3名が手をあげる。昭和8年ごろ小豆島の小学校高学年という設定の話だ。
漱石「三四郎」「それから」「門」「こころ」、司馬遼太郎「坂の上の雲」「竜馬がゆく」、東野「手紙」、皆新聞小説だ。
明治以降の日本の発展の基礎要因である、日本人のレベルを上げたのが江戸の寺子屋だそうだけど、明治以降の国民レベルを上げた一つが新聞と言えそうだ。尤もアジア蔑視その結果の侵略、ファッシズムを煽った一翼が新聞でもあったのだけど。
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昔「新聞少年」(1965年)という歌があった。
♪僕のあだ名を知ってるかい、朝刊太郎というんだぜ・・・・♪
私が中2か中3の頃はやった歌だ。この歌を聞いて、当時の私は、新聞配達をやってみたいなあ、と思った。今改めて歌詞を聞いてみると、病気のシングルマザーを助けている孝行息子の歌で、どうも、なんかいやらしいなあ、と思った。歌っていた山田太郎、ネットで見ると、どうやら金持ちの息子らしい。WIKIで見ると今も大金持ち。歌と歌手の実像は違うねえ。
実像の新聞少年を数名知っていた。私ら同様、貧乏な家庭の子たちであった。ある時ひとりの新聞少年が、配達途中交通事故で死亡したことがあった。大騒ぎになった。
新聞少年は、高度経済成長前半期の一シーンだったのだろう。その後も新聞奨学生制度があり、多くの学生が助けられた。私のいとこは、その一人である。
新聞は今危機的状況にある。
新聞協会によると、2000年に総計5400万部であった発行部数が2022年3100万部に激減とのこと(ネット情報)。2022年で、一世帯当たり0.53部とのことだ。しかも70代以上の世代が圧倒的な分厚い読者層で、若年世代になるにつれ、激減しているとのこと(ネット情報)。
我が家も、私が読めなくなると購読しなくなるだろう。
購読者が少なければ購読料をあげる→高いので購読しなくなる→購読料をあげるという負の連鎖が想像できる。配達人員確保も大変なのだそうだ。
今後数十年で、間違いなく、新聞は、消えていくメデイアである。
さて、毎日か朝日か。1年間購読して毎日には慣れたけど(新聞少年の歌の言い草)、妻が「慣れた朝日」で、という事で、朝日になった。
さよなら、毎日の吉井理記記者、週一掲載される高橋源一郎の人生相談、たまに掲載される中村文則の随想、万柳の千手観音様、その他、さよなら。
心ある記者・編集者・論説諸君、がんばってください。いい記事を取材して書けるというのは、才能だと思う。それを磨けば、新聞社がつぶれてもきっと食っていけるし、社会に役立てると思う。頑張ってほしい。