トリとめもない話です。
昨晩同居の孫(5歳、女児)が、「にわとりを見たことがない」といいました。
そういえば仙台の動物園には2~3回行っているんですが、動物園には、鶏はいないでしょう。
私だって、生きている鶏を見たことが50年以上ありません。
ものすごい数の鶏を飼っている農場は、テレビで見たことがありますが、庭でミミズなどを食べているほぼ自然の鶏を見たことがありません。
「ウラニワニワニワ、ニワニワニワニワとりがいる」という言葉遊びがあります。
この言葉通りに、
私の小さいころには、田舎の家庭では、結構ニワトリを飼っていました。我が家でも
ニワトリを数羽飼ってました。その鳥小屋では、うさぎも飼ってました。近くの同級生の家では、豚を数頭飼っていました。隣の家ではある時期猪を飼ってました。
家畜と近い生活をしていました。
今は、畜肉は人間の視界から遠く離れて、家畜工場で飼育し、屠殺工場で工業製品として製造されているのでしょう。
そういえば、昔からの友人(今、時々私がアッシー君をしている要介護3の同級生)の家で鶏を飼っていて、その鶏を肉にしろという親の命令で、肉屋に行く友人に付きあったことがあります。
肉屋の裏には、どぶがあり、そのうえで肉屋は鶏の首を切って血を流して殺しました。私達は、血が抜けてゆく鶏を見、死ぬ寸前の鶏の足のあがきまで見ていました。その後は、肉屋は、「(友人の)家に持っていくから帰れ」と言いました。小学生には、肉にする過程を見せたくなかったのでしょうか。私はその工程を見たいなあ、と思った気持ちを覚えています。
だれのでしたか、「砂場の少年」という小説があります。そこでは、子供たちに屠殺した家畜の温かい体に触らせる教育が描かれてました。これまた著者を忘れてしまいましたが「かたつむり食堂」という小説では、可愛がって育てた豚を殺して血や肉にする場面が描かれておりました。
今の私は、そんな小説の表現を怖いなあと思いますし、とても実際のと殺現場を見る勇気はありません。食べ物はどこかでと殺し加工したものなんですがね。
昨日の夕ご飯のおかずは、鳥玉(卵と手羽元の酢醤油煮)と野菜(レタス・菜花)とちくにん(竹輪に人参を突っ込んだもの)とキャベツのお汁でした。
孫は、鳥玉で「ニワトリ見たことない」と言ったのでしょう。
牛も豚も鶏も、幼児の絵本では、お友達です。それを殺して食べているといつ気づくのでしょう。やむを得ないことです。
家畜も魚も生き物です。生き物の命をもらって生き物は命を維持します。植物も生き物です。生き物の命をもらって、生き物は命を維持します。やむを得ないことです。
20代前半私が人生最初にプロポーズした女性は、獣肉を食べないひとでした。彼女が小さいころ、飼ってた山羊を祖父が殺して、知らずにそれを食べてしまったとのことです。
人生三番目のプロポーズ相手(現在の妻)は、肉の好きな女性です。
最初のプロポーズ相手と結婚してたら、食事はどうなったかな。案外相手も肉を食べられるようになったかもしれません。私は、肉料理が殆ど食べられなかったかもしれません。それでも大丈夫です。何せ、高校まで、家で肉なんて食べられなかったですので。
俺が一浪して大学に合格した時、親父が、「お祝いに肉もらった」なんて、喜んで帰ってきたのを覚えています。
私に一番大きい影響を与えた高橋和巳「邪宗門」では、邪宗門=ひのもと救霊会(仮想の宗教一派)の秘密の根本教義に「自殺肯定」があります。自分の命を維持するため他の命をいただく罪業の解消のため、自殺も肯定します。小説の最後で、主人公たちはスラム街で、絶食して死にます。
食いしん坊の私は、命の維持に罪業はあるとしても絶食は絶対できません。しません。
でも母を思い出すのです。93歳の母は、認知症が進み、飲食を忘れていきました。63歳の私は、彼女の命をつなぐため必死に食わせようとしました。飲ませようとしました。
ひっかけるとまずいんで、私は、油汗たらたらでした。
死ぬ2か月くらい前かなあ、匙を口元に持っていくとプイと横を向くんです。ウィダインゼリーを口に含ませても、飲み込もうとしないんです。それでも少量、無理に飲食させました。とうとう全く飲食しなくなり、点滴のみで生命を維持し、約10日後亡くなりました。
どこかの血管が詰まるか破れるか、何処かの出来損ないの細胞が増殖して癌死するか、が私の死に方なんでしょうけど、認知症が進み母のように死ぬのもありかな、とも思っています。私が食いしん坊なことを知っている家族には、母のようになったら、無理に食わせなくていい、とは厳しく言っておきます(笑)胃ろうは絶対ダメは勿論です。
トリとめもない話になりました。
明日は、小3の孫家族3名がやってきます。数日8人家族です。夕食に何食わせるかな、楽しみです。俺も、罪業を犯して、十分食うぞ(笑)。