秋山好古の晩年

四国スペシャル「拝啓秋山好古校長殿~日本騎兵の父・秋山好古の晩年」

を見た。

NHK司馬遼太郎原作「坂の上の雲」のスペシャルドラマの再放送をやっている。

それに合わせての、いつものNHKの番宣番組だろう。これは、2008年制作の再放送。

 

前にも言ったが、「坂の上の雲」は、原作もスペシャルドラマも途中で挫折した。その大きな原因は、ドラマなのか歴史の事実を述べた評論なのかあやふやなことと、彼の歴史観が正しいかどうか怪しいと思うからである。

 

それはさておき、この番組で秋山好古なる人物に興味を持った。

日本陸軍の騎兵戦術を確立し、日露戦争で、ロシアのコサック騎兵と戦って勝利し、

日本の勝利に貢献したと言われる。

この番組に出演した半藤一利は、こういう。「コサック軍10万に対して秋山好古の騎兵は、8千。秋山は、馬を捨てて機関銃で籠城戦を戦った。適応力の高い優秀な戦術家」とほめている。なるほど了解した。「騎馬で突撃」がどうも日露戦争時代と合わないような気がしていた。馬を捨てて戦ったということで納得した。

 

(元気なころの半藤一利氏に会えて懐かしい)

 

 

しかし、秋山好古に私が興味を持ったのは、陸軍大将かつ陸軍教育総監という軍人の最高の地位に就いたのに、元帥推戴の勧めを辞退し、郷里の私立中学校校長に転身したことである。教育総監と言えば、陸軍大臣参謀総長と並んで、陸軍三長官の一つだからなあ。

 

半藤一利は言う。「今どきの人に、こんなこと考えられますか」

確かにねえ、現在でも高級官僚は結構天下りしているらしい。職を得なくとも、えばった態度で、悠々とした生活の人が多いだろう。

 

中学校長になったのが66歳でやめたのが72歳。やめた理由が重い糖尿病だそうで、その半年後死亡だそうである。殆ど現職で死亡のようなものだ。・・・すごい。

 

こんな場合の校長職は、名誉職のはずだ。しかし彼は毎日出勤。一日も休まなかったそうだ。朝校門で生徒一人一人に挨拶をしたという。休んだ先生の補充の授業もしたという。60代後半~70代だからなあ。まあ、すごい人だ。

 

番組では、この「元帥辞退、校長職に転身」は、日露戦争後の軍人や日本国家のあり方への抗議があったのではないかという。

 

丁度、中学校への軍事教練が導入されたころだけれど、秋山校長は、「生徒は兵隊ではない」と言って軍事教練を最小限に抑えたという。先生方が、校長の軍人時代の偉業を聞くと、答えなかったという。先生方が、秋山の軍人時代の写真を販売しようとしたところ、即時に辞めさせたという。

 

秋山校長は、校長訓話で、関東大震災朝鮮人虐殺に触れて、

「流言飛語に惑わされてはいけない。朝鮮人が東京を焼け野原にするはずがないだろう。物事を客観的に見る力を付けないといかん」といったという。なるほど合理的な考えの人である。

 

また当時、殆どなかった朝鮮への修学旅行を実施したという。生徒の感想文には、

李王朝時代の文化に触れて、朝鮮を見直したという作文もある。

 

半藤一利は言う。

「当時は、朝鮮を植民地にしておくべきでない、独立させるべきという考えもけっこうあった。朝鮮への修学旅行は、好意的に考えれば、国際協調を生徒に考えさせるためのものともいえる」

 

私生活は質素で、家族は東京に置いたままで一人暮らしをしたという。

番組はそれを、日露戦争で失った部下のことを考えて、できるだけ質素に独身生活をしたのでは、という解釈であった。

 

この解釈が当たっているかどうかは、分からぬが、少なくとも元陸軍大将・教育総監とはとても思えない生活をしたとはいえると思う。

 

 

秋山好古で思い出したのが、井上成美である。彼も戦後、英語塾の先生をしていたけれどひどく貧乏だったようだ。元部下や教え子が救おうと思っても中々がうんと言わなかったようである。秋山・井上、なんか似ているなあ。

 

しかし秋山は、日露戦争という勝利の戦争の手柄者。井上は、太平洋戦争という敗北の戦争の有力な指導者。この辺も興味深い。

 

 

神格化された乃木希典東郷平八郎と比べるのも面白いかもしれない。乃木((長州)

・東郷(薩摩)は官軍、秋山は、松山(賊軍)なんて、戊辰戦争までさかのぼるかもねえ(笑)そういえば、井上も賊軍(仙台)(笑)。