2025年新年のご挨拶

ブログ知人の皆さま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合いください。

 

元旦早朝、静岡の外孫(9歳)が「海からの初日の出を見たい」というので、相馬の海岸に出かけました。

 

ところが広い駐車場からは、海から登る初日の出は見られませんでした。海水浴場の監視塔に登ってみたのでしたが、風が強く、その寒いこと寒い事。でも、久しぶりに、さむがる6歳の内孫を、いっぱい抱くことができました。

 

帰宅後、コンビニで日経・毎日・福島民報の各紙を買ってきて、購読している朝日とよみ比べをしました。

毎日の紙面の薄さ、朝日の別刷りが芸能・スポーツ関係だけということに、両紙の落ち目ぶりを感じました。

 

朝日・毎日・日経の社説の基調は、似てました。世界の不安定化と民主主義の危機に触桁れていること、そしてトランプ再登場の不安です。

通底する思いは「不安」かな。

私も同感です。多くの日本国民も同じだと想像します。この不安に対してどう対処するかについて、特にこれぞという論説は見かけませんでした。

 

元日午後、若者たちに誘われて、地元の2つの神社に初詣に行きました。どちらも礼拝の仕方に、2礼2拍一礼なんて書いてありましたが、「昔はただ手を合わせるだけ」ということをどこかで読んでましたので、宗教者の作る儀礼のうさん臭さを感じて、ただ手を合わせただけでした。

 

神仏がホントにあるなら、もっと世の中良いはずじゃなんても思うのです。

 

今年の年賀状の9つの駄句・駄歌の一つに、

「父親の仇取るとうガザの子に我言葉なし神仏もなし」と私は書きました。

復讐心の連鎖です。どこに救いがあるのでしょうか。

 

年賀状と言えば、、50代の若い友人が難病にかかって「人生何があるか分かりませんね」と言ってきたことが心に残りました。また、いとこの中で、2年前に難病にかかったと知らせてきた人の年賀状も、心痛むものでした。運動機能の低下する難病です。

その手書き部分は、判読が難しいくらいでした。どれほどの強い意志で書いたものかが想像されます。某大学の院教授でした。通信関係で多くの業績を上げたひとでした。

 

救いがないと言えば、今朝午前4時から見た「あんのこと」という映画です。

 

ブログ知人のSPYBOYさん恒例の、今年の映画ベスト10で上位にランクされてたのを見て、プライムビデオにあったのを思い出し、見ました。

 

結末は、知ってたのですが、どうなるんだろうとドキドキしながら見てました。おいおいお前ら、あんがかわいそうだろう、何とかしろよ、と思いながら見ました。毒親という言葉があるそうですが、あんの母親こそ毒親です。でもあの毒親とその母親を社会が何とかしろよと、イラついてみてました。

 

説明の殆どない映画ですが、実話に基づいた映画という字幕が初めに流れます。痛いです。現実にこういう人がいたんですね。

 

映画で描かれるコロナ禍での非正規の首切り、学校の閉鎖、これは事実でした。安倍首相の非常事態宣言、オリンピックの1年延長、ブルーインパルスの飛行、むなしいことでした。

 

でも、救いはありました。

 

あんを助けた非行警官の「クスリをやっている奴は自殺しない。くすりがやりたいから自殺しない。あんはクスリをやめてたんだ」という言葉です。そして、幼子をあんに一時預けた母親の「(あん)は、恩人です」という言葉です。

 

あんは、周りに助けられて、クスリと売春から脱却しようとしてたんだと思い、救われました。

しかし、そんなあんを助け得ない社会はおかしい。2200兆円も、個人金融資産あるんだぞ。おい、日本の政府与野党、防衛費を5兆から10兆に増やすだと、そんなことやってる場合ですか。

 

 

今年もよろしくお願いします。