昨日は、午後5時からの大学寮の飲み方(新年会)に参加するため、午前中から仙台に出かけた。
私は、買い物にはあまり興味がない。衣服・靴・装飾品・家具・食器・・すべて興味がない。
夕食係の為、スーパーの安い食材にしか目がいかない。家へのお土産も、面倒なので
何も考えず「萩の月」を買う。
だから、映画「室町無頼」を見た後は、時間を持て余す。
そこで、町をぶらつく。「無頼」(ぶら)つく、と書きたいところだが、私は正業がないけれど、信号を守り、無作法もせず、反抗もせず、騒がず、ただ静かに歩くので、無頼つくとは書けない(笑)
仙台は19歳から22歳の4年間住んでいた町なのだが、見知った建物が一つもない。勿論店もない。通りは見覚えがある。仕方なく大学を目指す。一番丁通りを南へ行けば大学正門だ。ところが、この大学に通じる道に古本屋がない。一つもない。昔ずーと並んでいたのに。変わったな。まさか、大学正門で身分証明書を見せろと言われるかな、なんて心配までしたが、それはなかった。
正門を入るとどうも違和感がある。そうだ、立て看板が全くない。あの頃は「大学自治を守れ」「ベトナム反戦」「日米同盟粉砕」「産学共同反対」「米帝打倒」なんてのが、ずらーと並んでた。
ベトナム戦争は、米国の敗戦で終わり、ベトナムと米国は国交回復している。日米同盟は、日本国外で米国と一緒に戦えるまでに深化した。産学協同は、今や推奨されている。大学自治=教授会主権、その横暴に反対という動きもあったが、今はどうなんだろうか。政府介入という次元が違う自治の危機があるのかな。
大学の中に入る。懐かしい建物がある。しかしその前の芝生はない。温室になっていた。生物化学研究棟とのことだ。
あの芝生の上でゴロゴロしながら、まじめな話、バカ話いろいろした。「俺は日本を動かしたい」と言ってたやつがいたが、彼は、某省の事務次官になった。「思う通りに動かせたかい」と聞きたいものだ。「カンパで食ってない」なんて言っていた顔色の悪い全共闘の彼は、中退した。なんて名前だったけか。小柄であった。今どうしてるんだろう。
一番丁から青葉通りを駅に向かう。
青葉通り、何年生の時かな、どういう経緯か忘れたけど、フランスデモをやった。勿論違法だろう。車は迷惑だったろうな。何か開放感もあった。あれは無頼だろうな。
「無頼」なんて言うのは、勿論TOHOシネマで見た映画の影響である。
室町時代後半、幕府の統治能力が衰え、守護大名や寺社(領主)・金貸しが自分ファーストで、農民・庶民を苦しめる。農民も農業生産の発展で、自治的な村をつくっている頃である。こんな時、凶作や疫病が起きた時どうなるか、当然、領主や金貸しの抑圧、それに対しての農民や庶民の一揆が起こる。映画はこの一揆を描いている。土一揆、借金帳消し政令を求めた徳政一揆のころである。
一揆の首謀者の浪人(無頼人)と一揆の弾圧者(権力の手先)は、元は、知り合いである。この二人の対立も描かれる。
この一揆は、やがて加賀の一向一揆や山城国一揆となり、地方の武士と農民の大きな自治体を作り出す。しかし、信長・秀吉・家康と続いた支配者から、次第に自治権を奪われ、やがて江戸時代。幕藩体制下での(ある程度の)自治的村になっていく。
江戸時代に農村では、地主・富商と自・小作人に分解し、前者は、明治時代の地主・資本家となり明治時代から昭和20年の敗戦まで日本を動かす。後者は一揆や自由民権で少し、権力に対抗するが日本全体を動かしはしない。
農民や庶民の自由・自治・自主は、無理なのかな。
私は、大学4年の時夢中で読んだ高橋和巳「邪宗門」を思い出す。私はとりつかれた。自治的・共助的機能を持つ農村と強い信仰心に支えられた「ひのもと救霊会」が、戦前には、天皇制絶対主義国家、戦後にはGHQに、戦いを挑み、壊滅する話である。彼等は、自分達の自由・自治・平等・自主を守るが故、武装蜂起までし壊滅した。
著者高橋和巳は、当時全共闘を支持した。奥さん高橋たか子(作家)によると「邪宗門」著作中の高橋和巳は、何かにとりつかれたようであったと言っている。それよくわかる。邪宗というが、正邪なぞわからぬ。権力がたいてい邪じゃないかと俺は思う。
今、高橋が夢想した一揆=革命の基盤=農村自治体は見る影もない。
我らには、自由・自治・自主・平等は無理なのかな。現憲法下でも投票率50%なんて言ってんだものね。そして、われらの民主主義の先生の米国だって、大金持ち・嘘つき・「不平等は当然」・「俺らだけよければ」、のトランプ政権を選ぶんだものね。法の支配から言えば、「無頼」だものね。そういう政権を選ぶんだもの。
映画の主人公の無頼者=一揆の中心人物が、弟子に夢を託したように、庶民の自由・自治・自主・平等をいつかは実現するものがあらわれるのだろうか。
先日、朝日歌壇にこんな歌が載っていた
「書棚より高橋和巳片づけるグッバイ青春よろしく玄冬」(東京、青木公正)この人も
高橋和巳を愛読したんだろう。そして選者佐々木幸綱も高橋和巳をかつて読んだと想像できる。
こんなことをぼんやり思いながら、今朝の散歩から帰ってきた。最後に嬉しいことがあった。
保育園前。2台の乗用車が駐車場に滑り込んだ。
あれ、土曜日なのに。まだ歩けないらしい小さな子を抱っこして母親は、園へ入っていく。土曜日に子を預けて働く母親。こういう人達が日本を支えている。
二人目の車には、子供3人かな。母親が下りてきた。向こうから「おはようございます」とサングラスの俺に挨拶してくれる。
その後、よちよち歩きの子と2~3歳ぐらいの子が、手をつないでおりてきた。よちよち歩きは、私の方に向かってバイバイと手を振ってくれた。
暖かい気持ちになった。
うん、日本の将来は君たちに任せた。いい日本を作ってくれよ。もしダメでもしぶとく生きていけよ。いいことも間違いなくあるぞ。
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