大震災のときの雄勝(おがつ)病院

心の痛む話でした。重い話でした。

海辺にあった町の病院」という番組です。2023年放送の再放送です。

あの2011年3月11日、宮城県雄勝町雄勝(おがつ)病院を、大津波が襲いました。

 

その病院では、その日28名の職員が、40名の患者を診ていました。患者は、ほとんどが80歳以上の、自力歩行ができない寝たきりの人たちでした。

 

40名の患者さん全員と病院長(62歳)以下24名の職員が津波にのまれ、帰らぬ人となりました。

 

番組は、その日の雄勝地震津波の様子、近くにいた人の話、患者と職員双方の遺族の話、生き残った職員の手記と話で構成されていました。

印象に残った言葉を書き残します。

 

*その時薬をもらいに病院に来てた若い男の人:

大津波警報が出されていました。職員と患者さん、15人から20人くらい、固まってました」

*工事で近くにいた人

「数人の看護師さんが、出てきたんだけど、動けない患者さんなんで、戻らなきゃ、と言って病院内に戻っていった」

*流されて助かった看護師:

津波に流されているとき、病院の屋上にいた医師や看護師数名が、「がんばれ」と声をかけてくれた。私は、ゴムボートをつかんで助かったけど、声をかけてくれた人たちの姿はなかった」

*ある患者の遺族:

「おばあちゃんは食べられなくなってた。「病院のほうがいいよ」って、言ってくれた看護師さんがいて、おばあちゃんは、津波の前日に入院した」

訪問看護で外出していて助かった看護師:

「車の中で地震にあった。病院に帰る途中でした。崖が崩れて車は通れなくなりましたが、歩いて病院に行くべきだったのかな、と今でも思います」

*亡くなった臨床検査技師長の奥様:

「夫は、雄勝に進んで単身赴任しました。おしゃれな人でした。仕事だからしょうがないと思いますけど、何も一緒じゃなくとも、・・・でもそんなこと言える人ってどんな人」

*甥っ子(看護助士、23歳)のことを話す叔父:

「いい若者だったんだ。命は平等といってもなあ。自分の親でなくとも車いすの患者に助けてけろと言われたら、助けようとするのが人情だべ。・・・職員は逃げれたんだ。すぐ裏山が避難場所なんだけれどもなあ」

*非番なのに地震直後病院へ出勤し、亡くなった看護師(としえさん、53歳)の娘:

「お母ちゃんは、行くと思った。そういう人でした。父(消防士)も母も、そんな時、職場に行く人でした。震災当時はそれでいいと思ってたけど、12年後の今は、私も2児の母親になったので、子供を育てなきゃいけないので、・・・どうかなあ」

*としえさんの同僚の看護師

「私も非番でした。私は出勤しませんでした。としえさんとは、小さいころからずっと一緒でした。同級生だけど、姉のような人でした。看護学校も一緒でした。今でもあの日、出勤すべきだったのじゃないかと思います。生き残ったことに罪深さを感じます」

 

 

どなたかが言ってました。「正解はない」と。

そうだと思います。

医師だから看護師だから、患者を救うため命を捨てても、なんては決して言えません。

医師も看護師も人間。まずは自分の命を大切に、家族だってあるはず、と言いたいのですが、・・・そうしなかった人々に敬意を表します。合掌。