今日は75歳の誕生日。
やっとこさ、高貴高齢者になれました。あれ、高貴じゃなくて、光輝でしたっけ、きっと香気ですよね、えーと、幸喜だったかな、興喜かも、厚喜だったような気もするけどね。うーんとね、昂輝?
75歳まで生きてこれたことは、実に嬉しいです。
幼児のころ私は体が弱くて、お店の女主人に「この子が大きくなるとは思わなかった」と言われて母が怒ったという話を聞きました。私は、幼稚園に年長になってやっと入園しました。けれど2か月で退園しました。ついていけなかった。小一の通信箋は1と2ばかりで、年間15日休んだこと等、弱弱しい人生の出発でした。小学校高学年・中学生になり、おおよそ人並みになりました。
その後は、まあまあ順調な人生を歩んだかな、と思います。37年(臨時を含めると40年)仕事も続けられ、結婚もでき、子供2人、孫2人に恵まれています。現在貯金は家計(妻と共通財産)400万、自分個人の貯金300万しかありませんが、借金もありません。若者と同居ですけど、家があります。妻と二人の年金の合計額は月26万円で、質素な生活をしますと、働かなくともなんとか、生きていけます。
40代後半から高血圧症、60代に入って白内障、逆流性食道炎、同じく腰痛・頸椎痛・肩痛等がありますが、散歩もできます。畑仕事・夕食づくりも何とかできています。
自分でも頑張ったつもりですが、周りの支えも大きかったと思います。
運もありました。
戦後4年半経って生まれ、少年期・青年期・壮年期を高度成長期・安定成長期時代に過ごせて、運が良かった。また戦争がなく、平和な時代を過ごせてよかったと思います。
人生の終盤戦では、東日本大震災、原発事故、2度の床下浸水、2度の震度6強という目にあいましたけど、(そのため家を新築)まあ、順調だったと思います。
平均寿命で言うと、後6年の残された命です。
さてどう生きるか、なんて片意地張ったことは考えません。
自分がやりたくて、かつ無理なくできることを、やるだけです。
やがて、死が、私を無にするか、極楽へ導くか、天国へ送り込むか、地獄に落とすか、お星さまにするか、千の風にしてくれるか、何かしてくれるでしょう。
できればあまり苦しくなく、あまり痛くなく死にたいものです。
70歳のとき、脳外のMRIで、年齢相応に灰白化しているといわれました。そうでしょう、そうでしょう、この、名前・言葉の出てこなさ!
数年前、2年連続で前立腺の数値がオーバーして、生検したのですが、がんを見つけられませんでした。
今は、これらは無視です。検査をしません。まあなるようになるでしょう。
ところで、高貴高齢者になってみて、少し残念なこともあります。
期待してたのが、医療費の窓口負担が1割になることでした。しかし、実際は、今と同じ2割負担です。私の年金が年200万を若干超すので、2割負担なのだそうです。妻が75歳になると、(被保険者二人だと、320万以下は1割負担)二人とも1割負担になるようです。それはあと7年か。うーん、この恩恵に浴するのは、難しそうですね。
75歳以上の医療費は、税金5割と自分たちの納める保険料が1割で、そのほかの4割が現役世代の支払う保険料で賄っているとのこと。現役世代の負担を考えると、年金収入200万をちょっと超える私の、窓口2割負担もやむを得ないでしょう。
自分のためにも社会のためにも、健康に留意し、できるだけ医者にかからないようにしないといけませんね。まあ、できるだけです。
できれば、窓口負担1割になってから、死にたいものですが、どうなりますか。
当たり前ですが、これまでもこれからも、出たとこ勝負です。