ブログ、しばらく休みます

4月下旬から、時々寝返りを打ったり、歩いている時視線を動かしたりすると目が回ったり、ふらついたりしてました。4月30日には、天井がぐるぐる回る状態になりました。まあその気持ち悪い事。その後少しずつ良くなったのですが、今朝3時ころ、再び天井が回る状態になりました。

 

本日隣町の脳神経外科に行っって脳のMRIとレントゲンを撮ってもらったところ、

脳に異常はないが、頸椎が前に倒れすぎているそのため、首・肩の凝りがひどく、それが原因でめまいが起こるのだという診断でした。水分不足もあるのではといわれました。

 

コーヒー(利尿作用)を控えるようにとも言われました。

 

さて、本題です。

首の前傾や肩こりに、読書やパソコンは良くないという医師の指導で、ブログ作成等しばらくお休みします。

 

誠に勝手ながら、2月の弟の死のブログに続いて、このブログにも、コメントはご無用にお願いします。お読みくださるだけでありがたいです。皆さんもお体に気を付けてお過ごしください。

 

いつになるかは分かりませんが、再開はするつもりです。

 

 

 

 

 

 

「牟田口廉也」読書感想

「米内光政」(上下)を借りるついでに、図書館で、広中一成「牟田口廉也」(星海社)を借りてきました。

「米内」と違って、なかなか読み切れずにやっと昨日読了しました。分量で言えば「米内」の4分の1くらいの量と思うのですが、どうも読みにくかったです。

その感想を書いておきます。

(1)「愚将」はいかにしてうみだされたか、というのが副題でした。興味深い問いかけです。筆者の答えは、昭和陸軍の組織体質にあった、組織の不合理性にあったということです。具体的には、「不健全な人事」「不可解な決裁」・・・と筆者は言っています(扉で)。結語部分で筆者は、「組織の人事が能力に応じたものでなく、人間関係によって左右されることは、現代社会でもたびたび起こりうる。その行く末が人々にいかなる運命をもたらすかは牟田口がたどった人生が暗示しているといえよう」と言っています。

 

それはそうでしょうけど、本文全体を読んで、あまり説得力を感じませんでした。組織の不合理性なんて古今東西普通にあると思うんです。飲み屋での話は、人事・人間関係・決裁の不合理性とか理不尽さへの愚痴ばかりでしょう。戦後の平和な高度成長の夢に浸って過ごせた(笑)私の現役時代もそうでした(笑)あの途方もない、インパール作戦の悲惨さの説明には、弱すぎると思いました。

 

(2)阿川の海軍提督3部作(米内・山本・井上)でしょうか、半藤一利でしょうか、忘れましたが、ある将兵が、牟田口の話になると、「体を震わせ」怒りをあらわにした

とありました。この本を見る限りでは、牟田口個人に強烈な怒りをぶつけるのは、どうもおかしいと思いました。有名なインパール作戦だって、牟田口(第15軍・3師団を持つ)の上層部(ビルマ方面軍さらに南方軍)、最終的には参謀本部が承認したわけですからね。

 

(3)牟田口が日中戦争のきっかけ=盧溝橋事件で事件拡大に大きな役割を果たしたことは知りませんでした。なぜ拡大してしまったか、根本には牟田口の中国蔑視があると思いました。中国蔑視は、日本国民全体の偏見でした。つまりは、なぜ日本国民は中国を蔑視し過小評価したかが根本問題と思います。

 

(4)マレー・シンガポール侵略作戦で一軍の指揮官として活躍したとは知りませんでした。マスコミが彼を「常勝将軍」と持ち上げたのも悪かったと思いました。

 

(5)この本は、牟田口について書いていますが、盧溝橋事件・マレー作戦・ビルマ作戦全般についても書いています。事件・作戦の経過についても割と詳しく著述しています。ですから、どちらも中途半端な感じを受けました。

 

(6)私は、太平洋上での戦いは結構読んでいるんですが、大陸や東南アジアでの戦争は殆ど読んでません。こちらの方が、大きなエネルギーを使ったと思いました。占領した後、そこを支配しないといけないわけですからね。

 

そこで思ったのは、中国の広さ・東南アジアの広さでした。これを考えると、満州事変以来・アジア太平洋戦争は、やはり無謀な戦争としか言いようがありません。

 

戦後の日本は、東南アジアは勿論、満州どころか、朝鮮・台湾・樺太もなしに、40年間

米国に次ぐGDP世界2位の大国となりました。

「満蒙は日本の生命線」という考えが間違っていたのだと思います。

 

 

 

 

 

自然は人の努力にこたえてくれる

いい番組を見た。

NHKBSプレミアムのプロジェクトX襟裳岬に春をよべ」である。

舞台は北海道えりも岬。時代は、戦後すぐから平成まで。

 

かつていい昆布の取れた襟裳の海は、昭和20年代初めには、昆布はあまりとれず品質も「泥昆布」と呼ばれるように劣悪になっていた。

 

開拓者たちが、農業と採暖のため近くの森を切り出し、森を失った土壌は砂漠化して、その砂が強風で海に堆積し、昆布を弱らせたのである。

 

襟裳の人たちは、昆布復活のため森の復活に努める。それが困難を極める。まずは、砂地に芝を植える。芝さえ大変だ。烈風吹きすさぶ中で、せっかく植えた種・幼苗が飛ばされる。いろいろな工夫の中で、風を防ぐため、海草・海藻類を砂地に蒔いた。

 

それでやっとこさ、芝が定着し始める。その後数十haの砂漠に芝を生やすのに20余年である。

 

その後黒松を植えるが、これがまた枯れ死する。その原因が地下の水と分かると排水路をつくる。人力でだ。そうして黒松をすべてに植えるのにまた20年。

 

番組の終わりは、平成4年。そのころには、襟裳の人たちは、松だけでなく落葉広葉樹も植えていた。その腐葉土が海に栄養を注ぎ品質の良い昆布をつくる。その黒光りのする昆布を出演者がおいしそうに食べるシーンで終わる。やわらかい昆布。うまそう。

 

番組は、砂漠を森林化する活動の先頭に立った主人公一家を描く。その風貌が印象的である。

 

しわだらけの顔である。番組当時の年齢は今の私とほぼ同じ72歳。辛苦を刻んだいい顔である。美しい。

 

涙が出たのが、「流氷伝説」のことである。主人公は部落の古老の話を聞いたことがある。「ある時流氷がやってきて海の砂を沖に押し流す」という伝説である。芝を生やし黒松が定着し始めてもなかなか海が復活しない。流氷はこない。「流氷伝説」は嘘か。

 

ところが、ほんとに流氷がやってくるんだなあ。これが。私はこの場面で泣けた。自然が人間の努力にこたえてくれたんだ。自然はきっと人間の努力にこたえてくれる、そう確信した。

 

私達は、自然を信じて努力をしなけりゃいけない。そう思った。

 

私がかかわっている相馬市の玉野。100haの森林伐採をして太陽光発電基地をつくるなんて、やはり間違っている。

 

今日九電工の東北支社長が反対派の中心人物Kさんのところにやってきたそうだ。Kさんは、これまでの経緯を支社長に説明し、反対の意思を伝えたそうだ。それでもやりたそうだったとのこと。

 

相馬の漁師たち、この番組を見てるといいなあ。玉野の腐葉土が海の豊かさをもたらしているんだよ。メガソーラー反対に立ち上がってほしい。

 

 

プロジェクトX。昔々やっていたころ時々見た。

時々しか見なかったのは、「日本素晴らしい」という感じがいやらしいと思ったからかな。俺だってやってる。けどさっぱりだ。という事で嫉妬もあったのかな。もともと継続してTVを見る習慣がないからかもしれない。分からない。

 

むかしの番組、近頃もやってたんだ。初めて見た。

 

落ち目の日本。多くの人が見た方がいいかもしれない。今は素直に、素晴らしい日本人がいたと思える。いい番組である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの散歩

実に久しぶりに散歩に行ってきました。

この20日間ほど、熱は出ないのですが、咳が続いて大事を取って歩いてませんでした。

初め孫が、続いてその母が、そして私が同じ症状です。お医者さんには、3回かかりました。(一回5日分しか薬を出してくれないのです。診断は風邪・気管支炎)

 

足は、休んだせいか痛みが無く、こりゃいいやと思ってます。尤も今朝は3キロ程度で、普段の5,6Kmよりも少ないので、増やしたらどうなのかは分かりません。

 

遅れていた畑仕事も一昨昨日から始めました。何せ夏野菜(トマト・きうり・ナス・ピーマン・かぼちゃ・ゴーヤ等々)の準備をしませんとね。

ビックリしたのは、里芋です。種芋の値段がずいぶん高いです。隣町の店まで探して

1キロ弱、850円で手に入れました。ほんとは、Greenweekendsさんのように自家栽培の芋を種にすればいいんですけどね。腐らしてしまうので、いつも購入しています。

今日の午前中、畑に植えてきました。

ジャガイモは、8割方出そろいました。もうテントウムシが出没し始め油断なりません。

・・・・・・

昨日の学術会議総会は、政府に対して「現状を変える積極的理由はない、任命拒否した6名の即時任命」を求めましたが、政府は、これを拒否しました。

自民党による学術会議改革要求は、政権の悪事(学問の自由抑圧)を隠すための目くらまし戦術と、私は思っています。学術会議の改革の必要・不必要とは別に、まずは6名の任命をすべきです。権力が学問に介入した、そこが問題なんです。学術会議の問題じゃないんです。問題をすり替え攻撃する、まったく自民党は油断なりません。

・・・・・

政府は、2030年度に2013年比温室効果ガス46%削減を表明しました。産業界でいくら、運輸でいくら、家庭でいくら削減という積み上げ方式でなく、まず46%という削減目標をあげる方式なのだそうです。気候変動に対して、政治主導はいいのですが、実際できるんでしょうか。具体策はこれからとのことです。

 これについて、自民党内では、早速、「稼働時には二酸化炭素を出さない原発を増やそ」という動きが出てきました。もうお忘れですか。あの事故。2千人以上の原発事故関連死者が出てるのですよ。もうお忘れですか、数十兆円に上る事故処理費。処分場もなくさらに放射性廃棄物を増やしていいのですか。

 

 全く油断も隙もありません。

・・・・

4都府県に「緊急事態宣言」発出、一方では、東京オリンピック断行って、狂ってませんか。己の無策を棚に上げて、営業停止、酒禁止、時短要請、マスク飯食え、出歩くな、ステイホーム。・・・・・、♪いやになっちゃうな。無策にさらされて。どうしよう。まだまだなのかしら(ワクチン)♪。

 

 

 

 

 

 

阿川弘之「米内光政」読書感想ー人の評価は難しい

近頃の読書

瀬戸内寂聴「秘花」

〇老年の世阿弥についての小説であるが、特に感銘を受けたところはなかった

世阿弥が71歳の時、佐渡へ流されそこで死んだということを初めて知った。

世阿弥が将軍義満に寵愛されて観世座の隆盛を招いたというのは、彼らの能が素晴らしいからばかりじゃないんだと思って、少々びっくり。芸術の隆盛に権力がかかわるということを考えた。一方江戸の化政文化なんかは庶民文化で、権力の規制の対象となっているなんてことも連想をした。

〇当時貴顕の間では、男色が盛んであったことに驚いた。ぞれぞれ好きにしたらいいと思う。しかし、男が性的に男を好きになるなんて、俺には、気持ち悪いという感じしかない。俺は女がいい。

 

阿川弘之「米内光政」上・下

〇阿川の「井上成美」「山本五十六」同様、主人公の周りの証言から主人公を描写という方式である。上巻は、米内の軍人生活の前半で、いまいちパッとしない「どさまわり」(阿川)の描写である。読んでもまったくパッとしない、極めて退屈であった。

 〇下巻になると、がぜん面白い。1937年~1939年の海軍大臣(林→第一次近衛→平沼首相時代)、1940年前半(昭和15年)の総理大臣、さらに、1944年後半~1945年11月=敗戦から海軍消滅の時の海軍大臣である。その時代は首相で言えば、東条のあとの小磯→鈴木貫太郎東久邇宮→幣原であるから、まさに激動の時の政治中枢である。

面白くないはずがない。

〇阿川は、海軍びいきである。阿川の「米内」「山本」「井上」海軍3部作は、太平洋戦争に関しての「陸軍悪玉・海軍善玉」論の傾向が強い本であり、米内の評価については、ウイキペデイア等の記述を見て、評価する必要があると思った。

〇1939年、平沼内閣時の米内海相・山本海軍次官・井上軍務局長のトリオで、日独伊三国同盟を阻止したことは有名だ。そしてそれは、海軍善玉論、あるいは陸軍の狂気に対する海軍の合理主義(平和主義?)の象徴のように言われるけれど、米内には、そうでない面がある。

ウイキによると、1937年日中戦争がはじまってから、第二次上海事変での積極攻撃作戦(渡海爆撃等)や海南島占領を主導したのが米内海相である。さらにトラウトマン工作(ドイツによる日中和解工作)中止を唱えたのが米内とのことである。阿川はこれらについて言及していない。

日中和解工作の失敗が近衛首相の「中華民国政府を相手とせず」声明につながり、それが日中戦争の泥沼化、泥沼化が太平洋戦争につながったことを考えると、米内には、大きな戦争責任があると思われる。その点で、どうして戦犯指定を受けなかったか、も不思議な気がする。少なくとも米内には大局は、見えてなかったといえる。

人の評価は難しい。

〇井上成美は、原則主義者、米内光政は現実即応主義者と言えそうな気がする。

〇敗戦時のポツダム宣言受諾の時、受諾賛成は海相としては当然である。何せ動かせる軍艦がないのだからねえ(笑)阿南陸相切腹死の評価は様々だが、私は、無責任と思う。この本によると、米内は敗戦後も留任し、蜂起しようとする部下を抑えにかかった点は評価する。それが責任を取るということだろう。

〇米内の出世を見ると、美男顔と体格と無口が効いているような気がする。特に無口はいいと思われる。(笑)なるほど俺は、出世はしないはずだ。この3条件がない(笑)。

〇大臣に仕えた連中のOB会が、特に米内の場合、彼の死後も長く続いたのは、米内の魅力でしょうね。

 

 

 

 

 

「台湾明記」を外交のチャンスと見たい=考え方を変えよう

菅首相は、どうやら米国に手玉に取られたようだ。米国はじっくり構えて、日本を対中戦略に組み入れた。日米共同宣言に、台湾を入れたことは、私にはそのように見える。

 

大きな目で見ると、この出来事は日本の大きさを示すものと考えるべきである。

 

米国が対中戦略に日本を組み入れたのは、日本を頼みとするからだ。中国がこれに猛烈に反発するのは、日米の結びつきは脅威だからである。

 

日本の存在は、東アジアにおいて大きいといえる。当たり前である。GDPで言えば、1位3位連携(日米)、2位3位連携(日中)は、前者では2位(中国)、後者では1位(米国にとって脅威である。

 

 

これを自覚して、日本のため、世界のため、日本国は行動すべきである。

 

そのためには、安保条約が絶対という考えは捨てるべきである。安保条約が絶対という日本国の行動は、米国の侮りをもたらしている。その象徴が、日米地位協定の際立つ不平等である。普天間の県内移設(辺野古新基地建設)という沖縄軽視の取り決めである。

 

冷戦思想で安閑としていた日本の頭越しに、米国が中国と国交を結んだことを忘れるな

米国は、国家利益のため中国と手を結ぶことも十分ありうる。

 

「場合によっては安保条約廃棄」という姿勢があれば、地位協定も沖縄の基地問題もか解決は、現状より容易であろう。

 

「場合によっては安保条約廃棄」という姿勢は、中国にとっては美味しいものであり、

中国も日本に何らかの利益をもたらすものであろう。

 

 

つまりは、米中を天秤にかけ、日本の利益を追求するのである。

 

それは不安定なものであるが、それが外交というものと思う。

 

米国は、日米同盟強化で中国に対抗する一方、昨日気候温暖化では中国と手を携えている。外交とは、そういうものであろう。ある国の一方的手ごまになっては損である。

 

一方で日本国が侵略されないための戦略は、着々進めておかねばならない。それは、

(1)自国の価値を高める。

  →経済、科学技術の実力向上、社会の安全・安定性、民主主義の確立等

(2)中国・米国・カナダ・豪州・東南アジア諸国との友好関係。特に韓国とは仲良くすべきである。その基礎は、日本による植民地政策の反省である。

(3)国際法の支配力の浸透に努力する。この面では、欧州・英国との連携が大切

  →「侵略戦争=違法」は常識となっているが、これを諸国民に浸透させる

  →国連の集団安全保障機能の強化(総会の強化、常任理事国の拒否権の弱体化)

(4)諸国民の国家意識を相対化させる努力をする。

(5)日中平和友好条約の再確認、軍縮条約、核禁条約、核兵器先制不使用条約等個別

の条約の充実。

(6)国際司法裁判所などの国際司法機関の強化への努力(日本政府による宣言)

(7)侵略は悪いという宣伝→そのため戦前の日本の侵略の反省の重なる明示

(8)自衛隊は、専守防衛に戻す(周辺事態法・安保法制廃棄)→米国の戦争に巻き込まれるリスク除去。専守防衛の方が効率が良い。

 

台湾有事については、考えがまとまらない。

そこで現在言えそうなことを列挙しておく。自信はない。

〇中国軍が台湾に侵攻した場合、これを国際法上の侵略とするのは困難。歴史的経緯から中国の国内問題とみることができるから。

〇米国は、中国軍が台湾に侵攻した場合、どの程度戦うか、本格的に戦うとは思えない。一方、中国は本気になるであろう。核心的利益という言葉に嘘はないだろう

となれば、日本が台湾有事に深入りは避けるべき。

〇安保法制の重要影響事態法の適用は避けるべき。安全のため安保法制は廃棄しておくべき。米国の武力に加えて日本の武力を加勢しても、中国の本気を抑えることは不可能と判断する

中国共産党一党独裁よりは台湾の民主主義の方が格段に良い。台湾を守るため、世界は、中国軍の侵攻に対して、経済的制裁を明示しておくべき。中国に台湾進攻は、不利益であると知らせておくのは大切。

〇WWⅡでヒトラーオーストリアを併合した。オーストリアヒトラー迎合勢力が強力にあったからである。台湾に中国共産党独裁に迎合する勢力が増えないよう、世界は援助すべき。

〇台湾で独立派が強力になるのは、是か非か、分からぬ

〇中国の香港に対する姿勢を見れば、台湾人が一国二制度を信用するはずがない。中国はそれを自覚すべきであるが、共産党独裁政権はそれができない。少子高齢化、格差拡大によって中国の弱体化があればよい。米欧日豪韓台等の自由主義経済体制の優位を示せればいいけどもね。

 

4月19日朝追記

とか何とか昨晩勢いに任せて書いたけれども、これを担う指導者、あるいは政治勢力のことを考えると、絶望的な気になるなあ。とにかく台湾有事に軍事的に関与すべきでないとは言えると思う。軍事的関与の道=安保法制は廃棄すべきである、とは言えると思う。1999年(周辺事態法)以前の専守防衛に戻ることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「氷点」「続氷点」/汚染水海洋放出

家の新築問題の行方如何にかかわらず、終活のため本の整理をしています。

「氷点」上(文庫本)という未読の小説がありました。読み始めると、これが面白く、続きを探しましたが、我が家にありませんでした。そこで、図書館に行って、「氷点」「続氷点」(単行本)を借り、一気に読みました。実に久しぶりの経験でした。それだけ、力のある小説なのだと思います。

 

三浦綾子は、「塩狩峠」という小説くらいしか読んだことがないのですが、この「氷点」が、処女作とのことでした。処女作には、その作家の、その後の展開の萌芽すべてが含まれるといいますが、そんな感じを受けました。

 

小説の設定は、実の娘(辻口ルリ子、3歳)を殺した犯人(佐石土雄)の娘(陽子)を引きとって育てる医者の一家(辻口啓造・夏枝夫妻)という設定です。無理のある設定ですが、無理を感じさせない三浦綾子の力量です。話は、辻口夫妻・陽子・その兄の徹を中心に陽子の成長に従って、破局に向かって進んでいきます。

 

「氷点」は、19歳になった陽子が、自分の罪業を知り、自殺を図るというところで終わっています。

 

「続氷点」は、命を取り留めた陽子が、兄徹とその友人北原との愛、さらに実の兄弟(特に弟三井達哉)と実母(三井恵子)との出会いが中心となります。そうして佐石土雄のほんとの娘順子との出会いも描かれます。これまた無理のある設定ですが、それほど気にならない三浦の力業です。

 

「氷点」「続氷点」のテーマは、人間の罪と赦しと愛と言っていいと思います。

 

19歳の陽子は、父親の殺人という罪を見据え、さらに人間存在の罪を意識して、自殺を図ります。

 

彼女は遺書の中で「たとえ、殺人犯の娘でないとしても、父方の親、そのまた親、は母方の親、そのまた親ととたどっていけば、一人や二人は、悪いことをした人がいるでしょう。自分の中に一滴の悪も見たくなかった生意気な私は、罪あるものであるという事実に耐えては生きていけなくなったのです」と言います。

 

人は、こんなにもおのれの罪を自覚すべきなのでしょうか。

 

私が、この小説を読んでいる最中、日本国は、F1の原発事故の処理水の海洋放出を決定しました。その理由を、「もはやFIに保管は無理」、「地元の復興に邪魔」、「理解を得る努力をする」、「基準以下に薄めて放出する」、「風評被害への対策をする」、「学者が安全と言っている」、「新たな組織を作って万全の対策」等々言っています。

 

おいおい、大事なことを忘れているでしょう。

国と東電が「悪いことをした」という自覚がないことです。彼等には罪の自覚が全くない。「悪いことをした」という気持ちがあれば、海洋放出を決定する際、もう原発は停止する。「これ以上放射性物質は作らない」と決心すべきです。

 

私は、現実的には、福島県沿岸での海洋放出も、やむなしで、「あり」と思ってます。F1周辺の保管場所の確保の努力、その他の誠実な努力の結果、福島県沿岸からの海洋放出は、やむなしということもあると思っています。

 

 

その場合、絶対必要なのは、原発停止の表明です。悪いことをしたんだから、悪いことの大元、原発を停止しますという決心です。

 

福島県民の皆さま、世界の皆さま、地球さん、悪いことをしました。許してください、

という自覚をもって行動すべきでしょう。

 

「汚染水」を「処理水」なんてごまかして言うことが、もう「悪いことをした」ということの自覚がありません。この水は、人為的な原発事故で発生した放射性物質で汚染した汚染水でしょう。罪の水でしょう。放射性物質を増やしてさらに罪を重ねるのですか。

 

人はどうしても悪いことをします。真面目に考えれば、悪い事であったと思う行為をします。その場合、ゆるしという課題が起きます。

 

「続氷点」の最後は、陽子が、厳しく拒絶した実母(三井恵子)ヘの(お母さんごめんなさい)という電話を掛けようとする場面で終わります。

 

三井恵子は、夫出征中、別の男性との恋愛の結果、産んだ陽子を孤児院に捨てます。これを陽子は許す気持ちになり、自分が冷たくしたことを許してほしいと思うのです。

 

作者三浦綾子は、この罪とゆるしを、神を前提に考察してます。しかし私は、不遜ながら神を想定しなくと、罪・ゆるしはあるのでは、と思ってます。私は不遜でしょうか。

 

陽子は、血のつながらない兄徹と北原との愛の間で揺れ動きます。陽子は、徹の方を愛しています。しかし、陽子は北原を選ぶようです。北原は陽子を守ろうとして片脚を失います。その事が、北原を選ぶ決定打です。

 

ありうると思うけど、これは不自然なんじゃないかなあ。

 

どうなんだろう。夏目漱石「それから」では、主人公は、恋人を友人に譲ったが、それを「間違いだ、自然な感情に従うべきだ」として、彼女を取り戻す。世間に背を向けても。

 

陽子も自然な感情に従った方がいいと思うがなあ。

 

陽子の選択は、将来罪を生むかもしれない。

 

陽子とその夫北原と陽子の最も愛する兄徹を中心とした「続々氷点」があるのかもしれない。そのテーマは、自然な愛と意志的な愛の葛藤だろうか。罪に目覚めた達哉や

 罪を深く自覚した順子(徹を愛している)をわき役として。