原発事故は終わってない

当たり前のことですが、改めてそう思いました。

 

今日突然、富岡町の夜の森公園に桜を見に行きました。

 

ほぼ毎年いっています。

 

行く町々は、南相馬市(鹿島区→原町区→小高区)→浪江町→双葉町→大熊町→富岡町

です。

 

双葉町・大熊町にまたがって、福島第一原発が立地していました。

 

今でもそこでは、毎日数千人が、原発事故処理に当たっています。あと何十年かかるか分かりません。

 

双葉町に入りますと、6号国道から脇道に入れない立ち入り禁止のゲートが左右にあります。

 

勿論放射線量が高いからです。

 

双葉・大熊の国道沿いには、空き地・廃屋がいっぱい、いっぱいあります。

 

大熊町の夜の森公園の桜はほぼ満開でした。

 

ものすごい強風が吹き荒れてました。

 

 

やはり目に付くのは、元住居だった跡地です。

 

桜は、昔に変わらず咲き誇っていますが、人はいなくなったのです。

 

帰りに、双葉町の桜まつりを見物してきました。

 

今年原発事故後、初めての試みだそうです。なんと16年ぶりだそうです。

 

お店は10数軒ありましたが、人は多くなく、ちとさびしい感じでした。

 

車のナンバーを見ますと、茨城・千葉・埼玉・新潟等半分近くが県外でした。

 

きっと、浪江・双葉や大熊・富岡から避難した人々が、戻ってきて祭りを主催したり、参加しているのでしょう。

 

 

原発事故は、まだ終わってません。

 

 

ところが、事故後数年は、ソチこちに一杯あった放射線量モニターが今は、一つもありません。

 

これには、東電と国、あるいは原発利益共同体の意思が働いていると思っています。

 

 

 

原発事故は終わった!さあ、再稼働しよう、新設しようという意思。

 

忘れっぽい国民。

 

力の強いものの宣伝をうのみにしやすい国民。

 

私は、また大事故が起きるような気がしてなりません。

 

 

 

大変な人生だー昭和天皇

NHK  映像の世紀・バタフライエフェクトで、昭和天皇の戦後を見た。題は、「現人神から象徴へ」である。

 

私は、天皇に特に興味はなかったし、今もない。

私の興味関心の中心は、今後戦争にならないようにすることであり、そのために、どうしてあの戦争が起きたか、が、歴史への興味の中心である。

 

だから、戦前の天皇が戦争に関し、どういう働きをしたかには、大いに興味がある。

 

私の、現在の考えは、すぐ前のブログに書いた通り、大小軽重の差はあれ、大人のすべてに戦争への責任があり、特に一番重い責任は天皇にある、ということである。

 

この番組で一番興味深かったのは、GHQも戦前の戦争指導者も、昭和天皇が戦争責任を追及されないよう保護したことである。

 

GHQは、戦後日本の統治のために天皇を利用したのであり、東京裁判で、東条英機は、

「戦争は、自分の責任で起こしたと天皇をかばったのである。

 

しかし、東条が言うのは、真実ではないと思う。

私は、前のブログで、色川大吉の「昭和史の天皇」の考えを歴史的事実に近いだろうと

書いた。終戦のみならず、開戦にも大きく関与したと思うのである。終戦を聖断で決められるなら、開戦も決められるし、回避もできるし、1944年の段階でも終戦の決断ができたのである。ただし、命がけかもしれない。

 

東条「(天皇は)自分の意図に反したかもしれないが、自分や統帥部の進言に渋々同意した」

 

この東京裁判で死刑の判決があった時、「目を泣きはらし、真っ赤な顔をしていて見たことのないお顔だった」(天皇側近の証言)

 

戦犯たちの死刑執行の日には、「退位したい」と側近に言うと、側近は、「おいやと思う方、ご苦痛と思われる方を選ぶべき」と言ったそうだ。

 

1951年9月 サンフランシスコ講和条約が結ばれた時、天皇は、是非「戦争への反省」という言葉を、どうしてもどうしても入れたいといったが、吉田首相がそれを認めなかった。戦争責任が蒸し返されるから。

 

天皇は、戦争責任を重く考えており、退位したいし、反省の言葉を言いたかったが、

それを彼を取り巻く政治が、許さなかったのだと思う。

 

実にかわいそうな人生である。

 

71年からの欧州訪問でも、英国特にオランダで「ヒロヒトラー」「殺人者の到来」と手厳しい歓迎を受けた。

 

75年の米国訪問でも、米国記者から厳しい質問を受けて口ごもる姿が印象的であった。

 

この米国訪問から帰国後の記者会見で、戦争責任について聞かれると「そういう文学的

方面は、勉強不足で、答えられない」と答えている。

原爆投下を聞かれて、「気の毒ではあると思うが、戦争なのでやむなし」と答えて波紋をよんだ。

 

公人であるからやむを得ないとも思うが、実に厳しい人生である。

 

彼は、1946年11月、新憲法公布の時こういった。

「負け惜しみといわれるかもしれないが、戦争に勝って極端な軍国主義になるより、

国民にとっては、幸福だったのではないか」

これは、本心だろう。多くの国民と同じ思いと思う。

 

私は、天皇と天皇家について興味はないし、知らない。

 

しかし、天皇が不治の病に倒れ、亡くなられるまでの、あの自粛騒ぎは、気味悪く、異様であった。よく覚えている。

 

この番組でも批判的声を紹介している。

 

ある記者「いかに天皇陛下と言えども、人の死の瞬間を狙うなんて、尋常じゃないと誰もが思っているのに、そこから逃れることはできない」

 

ある小学生「せっかく楽しみにしてた行事が、一人の人の病気のため亡くなるってへんだ。天皇ってやはり神なの」

 

異様な出来事だった。毎日個人の血圧や脈拍が速報で出るんだもの。

 

平成天皇(上皇)は、えらいと思う。

 

彼は、生前譲位をした。おそらく結構反対があったのだろうけれど、実現させた。

 

父の崩御時の騒ぎが嫌だったのもその一因だと思う。

 

人間である以上、自分の死は自分のものだろう。あるいは家族のものだろう。それを、マスコミや政府や世間が大騒ぎをする。おかしな話だ。

 

やはり天皇制は、非人間的でやめたほうが良い。

 

天皇制をやめるには、憲法改正をする必要があるが、それは膨大なエネルギーが必要だし、実現性もない。

 

であるなら、天皇と天皇家ができるだけ人間的な尊厳を保てるように、配慮すべきである。

 

死ぬまで仕事しろとか(死後譲位)

男系男子の天皇を、なんてのは、天皇家を非人間的扱いをしている、なんせ、天皇は、男の子を生め、ダメなら、養子をとれなんて言ってるのと同じだから。

 

他人や社会から、必ず男の子を設けよ、なんて言われたくないだろう。いうべきでもない。

 

 

 

 

新学期スタート

4月になって、桜も咲いて、新しい年度の始まりです。

 

政府でも高市総理の新採用公務員への訓示があったようです。

 

4月6日、今日から孫は2年生です。

もう黄色い帽子や黄色い鞄カバーはつけません。目立っていいのになあ。

 

集団登校は、6年生が卒業してわずか4名でした。

 

学校が近いので、本人は、一人で家に帰ってくるというのですが、じじばばは、心配なので、迎えに行くといい、話が折り合いません。

 

結局途中まで出迎えるということになりました。

 

幼稚園から1年生までは、毎日祖父母がお迎えしたのですが、ちと寂しいです。

 

孫も、新スタートです。

 

得意でないスポーツクラブをやめて、そろばん塾に通うことになりました。結構遠いところにあるので週2回は送り迎えです。

 

また、放課後面倒を見てくれる児童センターも行かなくなりました。

 

学校から早く帰るので、おかし食べ食べ、ユーチューブを見るという生活がうんと多くなりそうです。心配です。

 

3月に76になった私は、変りばえのない生活です。隣組の役員と地区の会計の仕事が増えただけです。ただこれは、1年間だけです。

 

春休みには、ジジババと3人で宮城県の映画館に行きました。

ドラえもんの4Dの映画でした。

 

3人とも4Dって初めての経験です。

 

びっくりしました。椅子ががたがた大きく動き、風が吹いたり、においがししたり、耳元で何か「ド」という音がするのです。

 

映画の話も、AI頭脳付自動車やロボット兵士や巨大コンピューターが登場し、にぎやかなことでした。

 

映画館の入っている施設は、実に多くのお店があり、もう孫が先導で、こちらが引率されている感じです。

 

どこで仕入れたのか、「私、高校出たら就職して働いた方がいい、大学に行った方がいい」なんていいます。

 

こんなことも言います。「私、前は東京の大学にいこうかと思ったんだけど、今は仙台がいいな」

 

小学校1年や2年でそんなこと考えるのかな。俺らの時代、少なくとも俺は、大学に行くかどうか、なんて絶対考えなかったな。

 

私「そんなこと、ユーチューブでやってて知ったのかい」

彼女「ううん、皆、そんなこと普通に考えてるよ」

 

そんなものだろうか。

 

 

石地蔵から「君臨すれども統治せず」さらに現人神へ

NHK映像の世紀・バタフライエフェクトで、2回シリーズで昭和天皇を特集していた。

第一回は、立憲君主から現人神へという題で、即位から昭和20年までの昭和天皇を描いていた。以下に簡単にまとめる。

 

政治に関係し始めた頃、政府高官と会うと、皇太子は、反応が少なく「石地蔵」のようであったと元老が言っている。

 

大きく変化したのは、この皇太子時代、1921年政府が企画して実施された半年間の欧州旅行がきっかけであった。

 

彼は、「これまで籠の鳥であったが初めて自由を味わった」と言っている。英国では

国王から、立憲君主制(君臨すれども統治せず)の教えを受け、それは生涯、頭から離れなかった、そうである。

 

フランスでは、第一次世界大戦の激戦地を見て「戦争はひどい」という感想を持った。

1924年(大正13年)結婚し、そのころから科学者としての姿を見せはじめた。

 

研究所に置いたのは、ダーウインの肖像で、人間とサルは同じ先祖という進化論と

万世一系の天皇という考えの矛盾が側近に問題視され始めた。

 

そして彼の立憲君主制の考えは次第に時代の流れに翻弄されていく

 

1928年 張作霖爆殺事件で、天皇は田中義一首相を叱責して(その結果辞任)、自ら立憲君主に背く行動をせざるを得なかった。

 

1931年 満州事変勃発 天皇は、軍の行動を苦々しく思うものの「致し方なき、以後十分気を付けるように」と妥協

 

1932年 満州国が成立 このころ軍部が天皇を積極的に利用し始める

 

1935年 天皇機関説事件 通説であった美濃部達吉の「天皇機関説」(天皇も政府機関

    の一つ)が軍部の攻撃にあい、天皇は、法に縛られない絶対的存在=現人神と

     規定された。天皇は、これに否定的であった。

 

1936年 2.26事件 天皇親政をめざした青年将校のクーデターに天皇は激怒、自ら決断し、クーデターを鎮圧(立憲君主から大きく逸脱)

 

1937年 日華事変 このころから天皇は独り言や大声が多くなる。

 

1940年 日独伊三国同盟。紀元2600年式典 このころ天皇崇拝最高潮。教育も宮城遥 

    拝・奉安殿など「「忠君愛国」を進める。天皇自身は米英との戦争で皇統 

    が絶えることを心配する

 

1941年 9月6日 御前会議 明治天皇の「四方の海皆はらからと思う世になど

    波風の立ち騒ぐらん」を披露、しかし、開戦を裁可

 

1944年 「一撃講和」を願うもかなわず。特攻隊員に激励の言葉

 

1945年 8月14日 御前会議で意見を問われ、終戦の意思を表明。

(以上、まとめ終わり)

 

戦前の昭和天皇は、複雑な存在であると思った。石地蔵という表現になるほど

と思った。

 

この番組だけでは、評価が偏ると思い、私の尊敬する歴史家・色川大吉の「昭和史の天皇」を再読した。これは色川の「ある昭和史」という文庫本の中の論文の一つである。

 

色川も戦前昭和の20年の中で、天皇の行動は、3期に分かれて大きく違うといっている。

彼によると、

第一期 1926(昭和元年)~1932年(昭和7年)5.15事件

    大正デモクラシーの遺産である政党政治が機能していた時代。天皇は、政治に

    口出しすることはなかった。色川は立憲君主制と直接言ってはいないが、そう

    いっても間違いではないだろう。

第二期 1933年(昭和8年)~1940(昭和15年)大政翼賛会成立

    政党議会勢力と軍部官僚勢力の併存時代。天皇が軍の独走を抑制しなければ

    バランスが取れなくなった。2・26事件の際の天皇の行動が典型

第三期 1940年~1945年(昭和20年)敗戦まで

    重大な国家方針は、政府と大本営の連絡会議で決定。しばし、御前会議になる

    政府と軍部を調整できるのはもはや天皇しかなかった。

 

色川の論文を読んで、NHKの番組は天皇を好意的にとらえていると思った。色川のほうは、やや批判的と言えそうだ。

 

色川の論文では、第二期・第三期の天皇は、政治にかなり口出ししていると思った。

 

1941年9月6日の開戦決定の時。TVでは、明治天皇の歌を引いて、平和を希求するもや軍部に押されて開戦決断という感じを受けるが、色川の論文では、そういう印象は受けない。

 

天皇は、平和を本気で希求するのではなく、勝てるかどうかに関心があり、軍部の説得に応じたという印象である。(杉山参謀総長のメモの分析)

 

また、1941年11月3日の陸海軍統帥部長へのご下問では、積極的に戦術上の質問を繰り返している。(杉山参謀長のメモ)

 

色川が紹介している、このころの、側近や軍幹部のメモ・日記での天皇の発言を見ると、昭和天皇は、大きな権限を持ち、それを意識して君臨し統治しているように見える。

 

政府要人も軍幹部も、すべて「お前」と呼び捨てにしていることに象徴的である。

 

少なくとも、天皇は何も知らなかったとか、ロボットだったとかは、戦後天皇を守るための嘘と思った。

 

ただし、これは、天皇制に批判的な色川の論文を読んだ感想である。

 

さらに、昭和天皇ヒロヒト・ラストバンザイというたぶんアメリカで作られたドギュメンタリーを見た。皇太子時代から戦後の日本の復活・経済成長までを通観している。特に深みはない。どちらかというと、天皇に好意的で軍部が悪いというとらえ方である。

神秘の国というイメージが強い作り方である。

ひどく違和感を覚えたのは、1960年安保闘争を、反民主主義的行動ととらえていた点である。日米安保条約を肯定する米国的見方が濃厚であった。

 

そして、2012年のアメリカ映画「終戦のエンペラー」を見た。

 

主人公は、日本通のフェラーズ准将で、彼はマッカーサーの命令で、昭和天皇を戦争犯罪裁判から免罪するための、証拠集めに奔走する姿を描く。

 

彼は、その証拠を集めるために、東条英機→近衛文麿→木戸幸一などに接触するが、その決定的証拠は見つからない。

結局は、天皇を利用することのほうが得策というGHQの政治的判断で、裁判対象から外した。

 

映画は、マッカーサーと昭和天皇の会見場面で終わっている。

 

あの有名なマッカーサーと天皇の並んだ写真を撮った後

天皇はいう

「私は、この一身をあなたにゆだねるために来た。戦争の全責任は私にある。私一人が責任を負えばよいことであり、日本国民には責任はない」

 

答えてマッカーサー

「ここは懲罰話の場所じゃない。私にはあなたのお力が必要だ」

 

一応史実に合わせた映画というが、どうなんだろうか。

 

印象に残った言葉

フェラーズ准将「天皇の戦争責任は、1000年追求しても分からないでしょう」

近衛文麿「日本は、確かに中国その他を侵略した。しかし、それは欧米とて同じことじゃないか。米国は二つの都市を壊滅させた。日米は同罪だ」

 

話は、NHKの番組から、どんどん離れていった。

 

私は、昭和天皇の戦争責任は、重いと思う。明治憲法条文(日本は天皇が統治する国家)だけでなく、色川の「昭和史の天皇」に紹介された、

政府と軍部の要人の日記やメモ(これこそが第一級史料)で、天皇は、すべてを知り、

決断できる地位と能力があったと思うからである。

 

私は、戦争責任は、大小軽重の差はあるけれど、戦前の大人の天皇~日本国民すべてにあると思っている。最も重いのが昭和天皇と思っている。

 

 

 

    

 

 

 

専守防衛って何?

今日は9の日。原町のスタンデングに行ってきました。

久しぶりに街角に1人で立ってました。

そしたら珍しいことに二人の人に声をかけられました。

まずは、80歳代と思しき男性。

私のプラカードよ読み始めました。

じえいたいをせんしゅぼうえいにもどせ

彼「専守防衛って何」

私「自衛隊って日本が攻められた場合、戦うってこと。2015年の安保法制で、外国でも戦うってなったでしょ」

彼「外国で戦うって?」

私「ほら、高市総理が、台湾有事は、日本有事で、それは存立危機事態かも、・・・」

彼「わがんね」といって、横断歩道を渡っていった。

 

ウーム、専守防衛ということがわからない人もいるんだなあ。台湾有事は日本有事なんて発言も知らない人もいるんだ、と思いました。

いや、そんなことに興味関心もないひとが多いのでしょうね。

 

次に60代後半と思しき男性。下のプラカードを見て。

彼「ネタニヤフって誰」

私「イスラエルの首相。ほらガザで人殺ししてるでしょう」

彼、キョトン。

彼「あんたら、どこかの集団でしょ。何。どこから来たの」

私「私は無党派。相馬から1週間に一回ここにきてる」

彼「ふーん、自分勝手にやってんだ。ところで専守防衛に戻せってなんだ」

私「自衛隊って日本の国が攻められた時戦うものでしょ。ところが高市総理の発言は

  台湾有事で米軍と一緒に自衛隊も戦うかも、といってるでしょう」

彼「高市で日本はよくなった。石破や岸田ではだめだ。米国と仲良くしないと」

私「中国と台湾・米国が戦争になった時、日本も戦争になっていいの」

彼「あんたとは話が合わない。」

といって去っていった。

 

高市氏の人気の一端を見た感じでした。あの高市の訪米時のトランプへの抱きつきやはしゃいでいる姿を肯定的にとらえる人も多いんだな、と思いました。

 

 

原発事故を振り返る(4)ー避難者の今(NHK・ETV特集を見て)

〇2011年3月の原発事故で、当時の避難者は16万人。15年たった今も2万3千人以上いる。NHKでは、31000人にアンケートを求め、3400名以上から回答を得た。それをもとに、心理学・社会学などの専門家の分析と、何名かの避難者への直接取材をして、この番組を作った。

 

まずはお話してくれた人の話

鵜沼久江(72歳) 双葉町出身。和牛育成農家をやっていた。

〇今でも15年前の8月26日を思い出す。事故後初めて帰った時、ひどいにおいがした。

飼っていた牛たちが死んでいた。自分がミルクを与えていた子牛たちが固まって死んでいた。人間は残酷だ。人間を信頼してたのに、捨てられた。無責任だ。その時のにおい  を今も思い出す。

 

〇今は野菜作りをして暮らしている。近所の人とあまり付き合いはない。道端で会ったとき「お散歩ですか」と言ったら「原発から金もらっていいなあ」といわれる。そんなこと言われたくない。原発が金もらって生きてるわけじゃない。

 

高村美春(南相馬市原町区から埼玉へ避難。3人の子供を育てているシングルマザー

〇4歳の子が何もしゃべらなくなった。実は、「放射線が移る」などと保育園でいじめられていた。

 

〇原町区に戻っても、子供に「外で遊ぶな、土に触るな。葉っぱに触るな」というしかない。ここで子供を育てていいのかと悩んだ。手足の震えなどの不調が10年以上続いた

 

優美奈 (震災当時小1.郡山から長崎、それから首都圏へ)

〇郡山では、祖母と母の不仲がひどかった。私を避難させるかどうかで。怖かった。

結局祖母と離れて、父母私で、長崎へ。長崎では、いじめに遭い不登校になった。

首都圏に移って異変が起きたのは小学校高学年から。3月11日が近づくと、嘔吐、フラシュバック、異常聴覚、動悸、涙が出る。

 

あかり(仮名、31歳)

〇いわきから東京に避難。家を新築したが、周囲から孤立し、母親がアルコール依存症

になり、死亡した。福島から来たことがわかると暴言を吐かれる。

 

 

専門家たちの話

〇2026年現在でも、避難者の31.2%が心の健康を害している

 原発事故型PTSDといえる。それは原発事故直後の急性心的障害とその後の繰り返される心的障害の両方を含む。繰り返される心的障害は、周りからの暴言、差別、白眼視などである。

「月十万もらえていいなあ」「お金もらってうらやましいなあ」「毎日パチンコいいなあ」「早く〇〇へ帰れよ」「宝くじに当ったようなものだな」

「お金持ちなんだから、そして俺らのインフラ使ってんだから、避難者も市民税を払えよ。」

→これらの発言には、大きな誤解がある。月10万のお金というのは支援金ではない。家や土地や仕事や地域のつながりを失った損害への賠償。お金に変えられないものをお金にして賠償しているのだ。

→実は避難者1人当たり、避難先の自治体に、国は、42000円支払っている。このことはほとんど知られていない。

 

〇近時、原発避難者についての風化が言われる。その風化の中で、無知による誤解や悪い印象だけが残るという現象がみられる。これは危険である。

 

私の感想

現在でも、23000人以上が避難生活をしており、その30%以上がPTSDということにびっくりした。原発型PTSDというのは当たっていると思う。被災直後の心の傷とその後の繰り返される心の傷ということからくるPTSD。

人のことは言えない。私も、避難先の自治体に、避難者一人に付き42000円の支払いがあることは知らなかった。

 

私にも、原発避難者への妬みの気持ちがないとは言えない。同じ被災者だが、私の場合は、12万円一度きり(その後生業裁判の一部勝訴で、追加一時金をもらう)、原発避難者は、一人月10万。比較してしまう。しかし、彼らは、家・土地・仕事・仲間・故郷を失ったのだ。お金には代えられない損害だ。そして妬みの気持ちを浴びせられるストレス。これは大きいだろうと想像する。妬むことがおかしいのだ。

 

やっぱりこんな心の傷や分断をもたらす可能性のある原発はフェイドアウトさせたほうが良いと思う。

 

日米首脳会談に思う

恥ずかしい、と思ったことが一番です。

勿論高市総理が、トランプに抱き着いたり、踊ったり?した写真のことです。

トランプは、他国の代表を暴力的に拉致し自国の裁判にかけたり、他国の指導者を殺したりした極悪人ですよ。

なぜそんな人に好意を示したり、よいしょしなければならないのですか。

私は、敗戦国の悲哀を感じました。

高市総理が女性ということも敗戦のことを連想させたのでしょうね。

 

どうしてこんなに、卑屈になり媚を売らねばならないんでしょう。

どうしてトランプのやることは、国際法違反だといえないんでしょう。

メンとむかって言うのは難しいことは分かります。ですのでイランを攻撃した時点で言えばよかったと思ってます。

 

有識者やメディアが国際法違反の疑いがあるなんて言うのももどかしい。「武力行使は、自国が侵略された場合と安保理が認めた場合だけ」なんて常識でしょう。米・イスラエルがイラクに攻撃されていないのは明白でしょう。はっきり言ってやればいいんです。

 

国際法違反の悪事だと。

 

トランプが、自分には国際法はいらないといっているのは知ってますが、ルール無視のガキ大将には皆で、それ間違っているよ、といってやるべきです。

 

ましてやトランプと米国民は違います。国際法を大事に思う国民もいるでしょう。そういう人にエールを送ることになります。

 

高関税ふっかけられるとか、いじわるされると想像しますが、正義を言い続けましょう。世界の多くの国や人々が陰に陽に、味方になってくれます。トランプもあと2年半で消えます。

 

世界は、結局国際法の支配のもとに生きるのしかないのですから、日本はその方向に一歩進める生き方をすべきです。

 

「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念した他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則にしたがうことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であろうと信ずる。

 日本国民は、国家の名誉をかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」(日本国憲法前文結語)

 

 

高市は上手くやった、なんて評価が多いのですが、確かに自衛隊の艦船を出さずに済んだのはよかったと思います。

 

9条があってよかった、9条が防波堤になったというのはその通りでしょう。9条をまともに解釈すれば、集団的自衛権一部行使(安保法制)は、違憲無効です。

 

しかし、高市総理がうまくやったというより、お役人たちがうまく高市を操縦したということでしょう。

 

でも自衛隊艦船派遣は、もともと日本ができないことです。

 

「戦争・・・武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(憲法9条1項)

まさか、イラクと米・イスラエルの攻撃の応酬を国際紛争でないとは言えないでしょう。

 

憲法は日本と他国の紛争の解決の方法について言っているのであって、他国間の争いについて言っているのではないと思います。

 

TVを見てますと、艦船派遣について「西欧はできるのにしない、日本はできない。それが、トランプの逆鱗に触れなかった」という解説があります。それはその通りと思います。これについて、日本には意思がないのが残念という人もいましたが、意思ははっきりしているんです。

 

憲法とは、国民=国家の意思なんです。戦争や武力行使はしないという意思なんです。

政府要人によると「9条があるのでできないと高市総理が言った」というのですが、

 

それは、したいんだけどできない、という意味の取られます。

 

私は、米国には「国連憲章に言う通り(第2条3項=国際紛争は平和的解決が原則)米国は行動すべきだ」というべきだし、「憲法の決まり通り、日本国は武力行使は、しないし、できない」というべきと思いました。

 

私は、日本国は、米国のように宗教的・経済的にイスラエルに影響されてもおらず、欧州のようにユダヤ人虐殺というひけめも持ってないので、イスラエルにも、国際法違反はやめろと厳しくいうべきと思います。