NHK映像の世紀・バタフライエフェクトで、2回シリーズで昭和天皇を特集していた。
第一回は、立憲君主から現人神へという題で、即位から昭和20年までの昭和天皇を描いていた。以下に簡単にまとめる。
政治に関係し始めた頃、政府高官と会うと、皇太子は、反応が少なく「石地蔵」のようであったと元老が言っている。
大きく変化したのは、この皇太子時代、1921年政府が企画して実施された半年間の欧州旅行がきっかけであった。
彼は、「これまで籠の鳥であったが初めて自由を味わった」と言っている。英国では
国王から、立憲君主制(君臨すれども統治せず)の教えを受け、それは生涯、頭から離れなかった、そうである。
フランスでは、第一次世界大戦の激戦地を見て「戦争はひどい」という感想を持った。
1924年(大正13年)結婚し、そのころから科学者としての姿を見せはじめた。
研究所に置いたのは、ダーウインの肖像で、人間とサルは同じ先祖という進化論と
万世一系の天皇という考えの矛盾が側近に問題視され始めた。
そして彼の立憲君主制の考えは次第に時代の流れに翻弄されていく
1928年 張作霖爆殺事件で、天皇は田中義一首相を叱責して(その結果辞任)、自ら立憲君主に背く行動をせざるを得なかった。
1931年 満州事変勃発 天皇は、軍の行動を苦々しく思うものの「致し方なき、以後十分気を付けるように」と妥協
1932年 満州国が成立 このころ軍部が天皇を積極的に利用し始める
1935年 天皇機関説事件 通説であった美濃部達吉の「天皇機関説」(天皇も政府機関
の一つ)が軍部の攻撃にあい、天皇は、法に縛られない絶対的存在=現人神と
規定された。天皇は、これに否定的であった。
1936年 2.26事件 天皇親政をめざした青年将校のクーデターに天皇は激怒、自ら決断し、クーデターを鎮圧(立憲君主から大きく逸脱)
1937年 日華事変 このころから天皇は独り言や大声が多くなる。
1940年 日独伊三国同盟。紀元2600年式典 このころ天皇崇拝最高潮。教育も宮城遥
拝・奉安殿など「「忠君愛国」を進める。天皇自身は米英との戦争で皇統
が絶えることを心配する
1941年 9月6日 御前会議 明治天皇の「四方の海皆はらからと思う世になど
波風の立ち騒ぐらん」を披露、しかし、開戦を裁可
1944年 「一撃講和」を願うもかなわず。特攻隊員に激励の言葉
1945年 8月14日 御前会議で意見を問われ、終戦の意思を表明。
(以上、まとめ終わり)
戦前の昭和天皇は、複雑な存在であると思った。石地蔵という表現になるほど
と思った。
この番組だけでは、評価が偏ると思い、私の尊敬する歴史家・色川大吉の「昭和史の天皇」を再読した。これは色川の「ある昭和史」という文庫本の中の論文の一つである。
色川も戦前昭和の20年の中で、天皇の行動は、3期に分かれて大きく違うといっている。
彼によると、
第一期 1926(昭和元年)~1932年(昭和7年)5.15事件
大正デモクラシーの遺産である政党政治が機能していた時代。天皇は、政治に
口出しすることはなかった。色川は立憲君主制と直接言ってはいないが、そう
いっても間違いではないだろう。
第二期 1933年(昭和8年)~1940(昭和15年)大政翼賛会成立
政党議会勢力と軍部官僚勢力の併存時代。天皇が軍の独走を抑制しなければ
バランスが取れなくなった。2・26事件の際の天皇の行動が典型
第三期 1940年~1945年(昭和20年)敗戦まで
重大な国家方針は、政府と大本営の連絡会議で決定。しばし、御前会議になる
政府と軍部を調整できるのはもはや天皇しかなかった。
色川の論文を読んで、NHKの番組は天皇を好意的にとらえていると思った。色川のほうは、やや批判的と言えそうだ。
色川の論文では、第二期・第三期の天皇は、政治にかなり口出ししていると思った。
1941年9月6日の開戦決定の時。TVでは、明治天皇の歌を引いて、平和を希求するもや軍部に押されて開戦決断という感じを受けるが、色川の論文では、そういう印象は受けない。
天皇は、平和を本気で希求するのではなく、勝てるかどうかに関心があり、軍部の説得に応じたという印象である。(杉山参謀総長のメモの分析)
また、1941年11月3日の陸海軍統帥部長へのご下問では、積極的に戦術上の質問を繰り返している。(杉山参謀長のメモ)
色川が紹介している、このころの、側近や軍幹部のメモ・日記での天皇の発言を見ると、昭和天皇は、大きな権限を持ち、それを意識して君臨し統治しているように見える。
政府要人も軍幹部も、すべて「お前」と呼び捨てにしていることに象徴的である。
少なくとも、天皇は何も知らなかったとか、ロボットだったとかは、戦後天皇を守るための嘘と思った。
ただし、これは、天皇制に批判的な色川の論文を読んだ感想である。
さらに、昭和天皇ヒロヒト・ラストバンザイというたぶんアメリカで作られたドギュメンタリーを見た。皇太子時代から戦後の日本の復活・経済成長までを通観している。特に深みはない。どちらかというと、天皇に好意的で軍部が悪いというとらえ方である。
神秘の国というイメージが強い作り方である。
ひどく違和感を覚えたのは、1960年安保闘争を、反民主主義的行動ととらえていた点である。日米安保条約を肯定する米国的見方が濃厚であった。
そして、2012年のアメリカ映画「終戦のエンペラー」を見た。
主人公は、日本通のフェラーズ准将で、彼はマッカーサーの命令で、昭和天皇を戦争犯罪裁判から免罪するための、証拠集めに奔走する姿を描く。
彼は、その証拠を集めるために、東条英機→近衛文麿→木戸幸一などに接触するが、その決定的証拠は見つからない。
結局は、天皇を利用することのほうが得策というGHQの政治的判断で、裁判対象から外した。
映画は、マッカーサーと昭和天皇の会見場面で終わっている。
あの有名なマッカーサーと天皇の並んだ写真を撮った後
天皇はいう
「私は、この一身をあなたにゆだねるために来た。戦争の全責任は私にある。私一人が責任を負えばよいことであり、日本国民には責任はない」
答えてマッカーサー
「ここは懲罰話の場所じゃない。私にはあなたのお力が必要だ」
一応史実に合わせた映画というが、どうなんだろうか。
印象に残った言葉
フェラーズ准将「天皇の戦争責任は、1000年追求しても分からないでしょう」
近衛文麿「日本は、確かに中国その他を侵略した。しかし、それは欧米とて同じことじゃないか。米国は二つの都市を壊滅させた。日米は同罪だ」
話は、NHKの番組から、どんどん離れていった。
私は、昭和天皇の戦争責任は、重いと思う。明治憲法条文(日本は天皇が統治する国家)だけでなく、色川の「昭和史の天皇」に紹介された、
政府と軍部の要人の日記やメモ(これこそが第一級史料)で、天皇は、すべてを知り、
決断できる地位と能力があったと思うからである。
私は、戦争責任は、大小軽重の差はあるけれど、戦前の大人の天皇~日本国民すべてにあると思っている。最も重いのが昭和天皇と思っている。