夢と現実

夢と現実なんて、変な題を付けちまった。

 

実は、昨日、よんばばさんに紹介された村山早紀「さやかに星はきらめき」を読了し、一方で、昨早朝NHKスペシャル「戦場のジーニャ」を見たから、一応こんな題をつけてブログを書き始めた。きっと、まとまりのない話になろう。

 

「さやかに星はきらめき」の詳しい紹介は、よんばばさんのブログをご覧ください。

 

よんばば (id:yonnbaba) 10日前

温かさとひりひりする寂寥と『さやかに星はきらめき』村山早紀著 - あとは野となれ山となれ

地球が、天災と疫病と戦争で住めなくなり、地球人類が月を中心に、犬・猫から進化した犬人・猫人と宇宙に住んでいるという設定の話である。著者は、その時代に心優しい物語を紡ぐ。昔話が殆どである。

 

犬人・猫人の他、地球起源でない鳥人・樹木人(著者はそうはいってないけど)出てくるが、それぞれ元の特性がまだ残っていて面白い。

 

落語の「元犬」を思い出した。

 

私が感動したのは、第三章「White   Chrismas」である。

こんな話である。

荒廃して人類がすべて脱出した地球で、カーネルサンダース人形が、長い時を経て、

付喪神(つくもがみ、人間に大切にされた物に魂が宿ったもの)となり、目覚める。

 

彼は、どうして人類がいなくなったかわからない。寂しさに耐えかねて、歩き回り、遊園地跡に行きつく。そこには、案内人の少年がいて、親切にしてくれる。人類消滅の経過も教えてくれる。この少年は、AI頭脳を持ったロボットである。他の働いていたロボットは、すべて壊れてしまった。この少年も足に大きなけがをしており、頭脳もやられている。カーネル神を見て、「メリークリスマス」という。サンタクロースと思ったのだ。しかしまだ7月だった。しかも、地球は気候が変わって、冬でも雪が降らない。

 

二人は、心を通わせる。二人は遊園地内の朽ちたホテルで、クリスマスの絵を見つける。少年は、雪の降るクリスマスを、も一度見たいと、痛切に思う。カーネルは、自分がホントのサンタだったらなあ、と思う。

 

カーネルは、廃墟になった病院で、また戻ってくるという人類の意志を見つける。

 

12月が近づくころ、少年は衰弱していく。カーネルは、言う。「子供たちをお救い下さい、神様。」と。

 

ロボットの少年は亡くなる。しかし、カーネルの願いが叶い、雪がふり、トナカイも贈り物も出現する。カーネルは、働いているロボットたちや世界中にいる優しい誰かに、その贈り物を届けに出発する。

 

人類が戻って、復活した遊園地で遊ぶ子供たちの幻を見ながら出発する。

 

彼は、それがきっとかなう夢だと思っている。

原文「・・信じてる。なぜって夢はかなうものであり、彼は、サンタクロースだからだ。」

 

戦場のジーニャ」は、ロシアの侵略を押し戻すウクライナの反転攻勢の兵士たちの話である。

 

兵士たちの自撮りの映像を使っており、実に生々しい。

 

地雷を踏み、片足がぶらぶらしている映像。塹壕を出て、敵ロシア兵を撃つ映像。塹壕内の死体・重傷者。休憩中体の上を駆け回るネズミ。ドローンの不気味な音。映画「西部戦線異状なし」で塹壕戦を見たが、こちらは、塹壕戦の実写で、恐ろしい。志願兵の元ギタリストのジェイは、PTSDになった。

 

この兵士たちは、もともと市井の市民である。ジーニアは、元TVカメラマン。志願兵ではないが徴兵に積極的に応じる。ロシアの侵略から自国を守るため、普通の生活を捨て、家族と別れて戦う。

 

兵士の言葉:「殺さねば殺される」「私は敵を破壊し、敵は私を破壊する」

 

そうだろうと思う。それが戦争の現実だ。

 

ウクライナの反転攻勢はうまくいってない。兵士が足りない。負傷した市民がまた兵士となって、戦場に赴く。家族との別れは哀切である。

 

元映像技術者のマキシムは、ドローン部隊に配属される。ドローンで敵を発見し、それをぶつける。それには手榴弾が取り付けてある。

 

別れるとき娘は、「大人になったら木の棒でロシア人を殺す」と言った。それはダメと父親は言う。母親も言う。

 

娘から電話が来る。何してるか聞かれる。マキシムは、敵を殺していることは、口ごもり、とても言えない。

 

こんなのを見ると、即時停戦でもいいんじゃないかと思う。しかし即時停戦は、ロシアの国際法違反=侵略を認めることになる。

 

正義は、ウクライナにある。ウクライナの国民が戦う意志がある以上、ウクライナ兵・ロシア兵双方の死者が増えても、ウクライナを応援すべきと考え、2022年には、私は、ウクライナ大使館に些少の寄付をした。2023年には、戦線が膠着して死者が増えるので、直接の応援ではなく、赤十字社を通じてのウクライナ支援に些少の寄付をした。

 

やっぱり、俺には分からないのである。

国際法を守る正義のため、死ねと他人に言っていいのか 。いや死ぬとは限らない。死ねと言っているわけではない。悪事を見逃せない、故郷をを守る、家族を守るために戦う

兵士を応戦するのは当然とも思う。

 

分からない。

 

 

もしロシアの兵士側から作品を作ったら、殆ど相似形になるだろう。何を馬鹿なことをやっているんだ、プーチンと多くのロシア国民。

 

今早朝は、Eテレで、「戦禍に言葉を編む」を見た。ウクライナの人々の思いを集めた詩集・散文詩である。出版された本は「戦争語彙集」。これは、兵士ではなく、一般庶民の言葉である。

 

こちらにも、戦争の惨禍が、実に色濃く表れている。

「第二次大戦時、ナチにレイプされないため、母の最も汚れた服を着たという話を聞いた。今私も尤も汚れた服を着るべきか。・・戦争はきれいを危険にする

「人形劇場の子供たちの沈黙は、上演された劇への共感であり、今ミサイルを避けてここで生活している子供たちの沈黙は、何も観ていない。閉ざされた心だ」

(原文の訳文通りではまったくない、内容のみ)

 

何をやっているんだ、ロシア。

 

ガザでは、ナチスが一日に虐殺した子供よりも、イスラエルが一日で殺した子供の方が多いという。詳しくはSPYBOYさんのブログでどうぞ。

 

SPYBOY 7日前 

株高と馬地三鮮 - 特別な1日  

 

なぜアメリカは、それを止めないんだ。国際社会は、なんて無力なんだ。

ロシアの侵略を止められない、イスラエルの一般人虐殺を止められない、なぜだ。侵略や一般人虐殺は、国際社会が認める国際法違反だろうのに。

 

国連や国際法は、無意味か。

そうではないと思う。

ロシアも北朝鮮イスラエルも国連から脱退しない。おのれの蛮行を国際法に合致していると強弁している。広島長崎以降、戦時に原水爆は使われていない。国際法は存在する。

 

確かに国際法は、矛盾もあり(民族自決権と領土不可分権、人権と内政不干渉の矛盾等等)、かつ強制力もない。

 

しかしそれでも一歩一歩前進してはいる。

 

かつては、戦争にルールはなかった。今はある。実に詳しいルールがある。

かつては、敵対国を含む国際機関はなかった。今はある。国連は強制力もある。

かつては、国家同士の争いを仲裁する機関はなかった。今はある。国際司法裁判所

     等々。

かつては、戦争犯罪を裁く法はなかった。今はある。国際刑事裁判所

 

国家は、しばしば国際法を無視して自国の利益を(それは、ホントに全国民の利益か?)優先する。しかし諸国民の利益は、国家利益とは違うんじゃないか。諸国民の利益は、自国が国際法に基づいて行動する方が大きいのではないか。

 

全ての国民は、自国政府が、国際法を守るよう働きかけよう。

 

 

村山早紀「さやかに星はきらめき」では、地球文明の滅亡が語られる。その原因は詳しくは述べられていない。

 

一方この小説では、人類、(いや宇宙の全知的存在のかな)、夢と言うか希望が語られる。優しい話として語られる。

 

最後の方で、登場人物は言う。

「・・・一人一人の夢は生きているうちに叶わずとも、いつか時を超えて、どんな困難にも打ち勝ち、過去の世界に倒れた誰かの祈りと願いをかなえていく・・・」

 

私は、この言葉にひそかに同意する。

 

おっと、面白い事にも気づきました。この3つの話し、小説・映像・詩集に共通するものがあるんです。

 

猫です。

 

小説では、この超未来SFの中の編集者は、猫から進化した人類即ち猫人です。その本の第一話では、過酷な環境の星で、ただ一人生き残った少女を助けるのは、猫と犬です。これが猫人・犬人の誕生にかかわります。

 

映像では、過酷な塹壕で戦う兵士を慰めるのは、猫です。ネズミ退治にも活躍します。

 

詩集にも、ロシアの侵略で逃亡する際、猫を置いてきた話、猫に慰められている姿が出てきます。

 

猫様、犬様、バカな人類がおのれの罪業の為、滅亡し(その方がいいのかもな)、その一部が宇宙で再出発する際には、どうぞ馬鹿な人類をお助け下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オッペンハイマーの苦悩/CIAの陰謀

映像の世紀バタフライエフェクトを二本みた。

一つは、「マンハッタン計画-オッペンハイマーの栄光と罪」

 

オッペンハイマーは、「原爆の父」と言われ、マンハッタン計画で、原子爆弾を製造した中心人物である。この番組は、彼の原爆製造時の考えと原爆投下後の考えの違いを際立たせていた。

 

原爆製造前

〇原爆は、自由のための戦争で、敵に打ち勝つために必要なもの

〇ドイツ降伏、日本の降伏も目前の段階で、同僚が原爆製造に疑念を表すると、それを

 厳しく否定。

〇科学者とは、技術的に素晴らしい見込みがあるなら、試して成功して、その後に何をなすかを考える存在。

原爆投下後

〇(トルーマン大統領との会談)「自分の手は血まみれ」

〇(同僚技術者との話し合い)「原爆を、善意のある武器と思うな」

〇(感謝状贈呈式で)「原爆には、誇りと深い疑念を持つ」

〇(広島・長崎の被害を見て)「原爆は、侵略兵器、奇襲と恐怖の兵器だ

〇(来日中)「後悔はしてない。しかし、申し訳ないと思っていないわけじゃない」

〇(最後のインタビュー)「原爆開発に大義はあった。しかし科学の道から逸脱した。

            「今になっても、よい道が見つからないのです」

 

オッペンハイマーは、原爆製造に大義を見出し、成功させたが、原爆投下後は、広島長崎の被害を見て、深く悩んだようだ。

 

科学者は、その開発する技術に責任を持つべきであろうか?難問である。どんなことが生じるか、先を見通せない科学技術も多かろう。アインシュタインハイゼンベルクの段階では、原爆を見通せなかった。

 

しかし、オッペンハイマーの開発段階では、一般人まで殺傷することは容易に想像できたはずだ。それを使えば、戦争犯罪だ。しかし使うと決断するのは政治家だ。オッペンハイマーに罪はあるんだろうか?

 

開発を中止することはできなかったのか、それを要求するのは酷なのか?膨大な予算・膨大な人員を使った開発の責任者として、それはひどく難しいのはわかるけど。

 

 

一方、投下を決断した政治家は厳しく断罪されるべきだ。

オッペンハイマーとの会談で、トルーマン大統領は、「私の手こそ血で汚れている」と言ったが、原爆投下成功の報を聞き、そのインタビューに答える合間に、笑みを漏らしていた。またオッペンハイマーを「泣き虫、二度と連れてくるな」と酷評した。

 

トルーマン大統領は、米兵の命の節約という大義名分とソ連へのけん制という目的で投下を承認した。日本が戦争終結の意志があると知りながらである。(日本は、ソ連を通じて和平交渉を打診してた。それを当然知っていた)

 

原爆投下は、ハーグ陸戦条約などで禁止されている、武器を持たない一般人殺害(無差別殺害)という犯罪である。トルーマンを厳しく批判すべきだろう。

 

私はやはり、あの原水爆に否定的だったオバマ大統領が、広島を訪れた時、謝罪まで言わなくとも、原爆投下は、国際法違反と言ってほしかった。昨年の広島サミットで、岸田総理に原水爆禁止の方向に一歩でも、G7首脳を引っ張ってほしかった。例えば、核先制不使用条約締結の提案とか。核禁条約締結を検討とか。あれでは、広島でサミットやったことは、無意味だろう。

野党は。核禁条約締結を打ち出してほしいものだ。

日本の総理大臣は、南京を訪れ、戦争犯罪を謝罪してほしい。それが難しいなら、満州事変発端の柳条湖へゆき、侵略戦争謝罪を何らかの形で示すべきと思う。

 

 

何故我々は、ロシアのウクライナ侵略を批判するのか、できるのか、なぜイスラエルのガザ虐殺を批判するのか、できるのか、その根拠は、国際法にある。ロシアやイスラエルを糾弾するのは、厳密にいえば、国際法を守ろうとする国家にしか資格はない。いや、言ってもよい、が説得力がないだろう。

 

確かに国際法は、強制力が弱い。しかし、「力による現状変更はダメ」という根拠は、国際法にしかない。すべての国家が国際法に従うよう、国民は自国に働きかけるべきだ。とってもとっても難しいことだけど、「公正と信義」は、すべての諸国民にあると信じて、その方向に0.01μでも押すべきである。とはいっても私は何もできないけどね。

 

もひとつは、「CIA~世界を変えた秘密工作」である。

CIAが戦後の政治世界で、どんな暗躍をしたかを、映像とナレーションで示した番組。

時系列で言うと

〇イタリア・・・共産党員激増で社会主義政権が出来そうなイタリア総選挙で、CIA

        は、莫大な資金を投入し選挙介入(野党・市民団体支援、フェイクニ

        ュースを流す)

〇イラン・・・人気のあったモサデク政権の石油国有化に危機感を覚え、CIAは、ギャ

       ング・宗教団体を買収し、偽モサデク支持の暴動を起こさせ、国民との

       離反画策。その後反モサデク暴動を扇動して政権打倒。石油利権の40%

       獲得

ハンガリー・・1956年、ソ連フルシチョフの反スターリン演説を東欧に流し、反社会 

       主義気運醸成。CIA資金で「フリーヨーロッパ」(ラジオ放送)設立。

       同放送は、反政府デモを扇動ソ連軍の弾圧を招く。即ちハンガリー

       乱。同放送の援助が来るというフェイクで、ブタペスト市民多数の犠牲

       20万の難民を生む。

〇チリ・・・1970年初めて民主主義的に誕生したアジェンデ政権は、富の再分配を目指

      し、銅国有化をはじめ、民間会社の国有化を進める。危機感を持った米国

      は、CIAに政権打倒工作を指示。資本家・富裕層・新聞社を動員し、物流

      を麻痺させ、政権打倒を画策。しかし労働者等のアジェンデ人気は高く、

      失敗。1973年9月11日チリのほぼ全軍がクーデターを起こす。アジェンデ

      は戦うも自殺。この軍事クーデターへのCIAの関与がどれほどかは不詳。

      しかし関与への多くの状況証拠がある。

 

 大体の話は知っていたが、知らなかったことも多かった。

「フリーヨーロッパ」放送の嘘で、多数のハンガリー市民の犠牲が出たこと。

アジェンデ後のピノチェット独裁政権の主要経済閣僚が、新自由主義の中核フリードマンの教え子だったこと。フリードマンノーベル賞授賞式で、アジェンデ支持者の「

フリードマン帰れ、チリ、バンザイ」という声が上がったこと。

 

思えば、格差是正を目指した社会主義の凋落が、新自由主義の跋扈を招き、格差拡大

をもたらしていると考えれば、チリのアジェンデ政権崩壊の後景にフリードマンがいるのは面白い。恐らくフリードマンは、チリを己の経済学説の実験場としたんだろう。

 

 

この番組には、日本でのCIAの活動は出てこなかったが、やらないわけはないと想像する。CIAは、反共が主眼の活動故、あの統一教会勝共連合岸信介と関係があったと言われても、驚きはしない。

 

 

 

CIAの秘密工作に見られるように、

米国政府が、内政不干渉という国際法の大原則を無視して行動してきた以上、いう事を聞かない国々が出てもしょうがない。

 

思うに、米国の正義は、片面の正義であった。もう片方はただれた片面であった。オペラ座の怪人のようである。しかし、オペラ座の怪人は、心根はきれいだった。米国は?

まずは、政府と国民は区別して考えるべきである。かつては、ベトナム戦争反対の大運動があっった。今もガザ人虐殺反対の運動がある。米国政府が、国際法に従って行動するよう政府を動かしてほしい。

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書感想備忘、そこからの連想

ブログ知人のよんばばさんご紹介の村山早紀「さやかに星はきらめき」を借りに図書館に行った。ところが、図書館に着くと、著者の名前も題名も忘れ、だけ思い出して、以下の本を借りてきた。折角なので読むか、とよんだ。

 

全く脳みその衰えには困る。

 

村田沙耶香「地球星人」~宇宙人から見た人類=地球星人とは?

3人の異星人が、自分が○○〇星人だと目覚めていく話。荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、人類が人類を、異星人の目で見るのも大事だろう。

 

「人間工場」、「DNAの奴隷」、「人類の繁殖本能」「食人」等、発想が面白い。

 

ナチのユダヤ人虐殺、ユダヤ人のガザ人虐殺、古今東西民族浄化行動、原爆投下などはどう見えるのかな、異星人には。

 

村田沙耶香「しろいろの街の、その骨の体温の」

中学2年の女子の自己回復と言うか自己実現の話し。勿論sexを含んでの自己実現

 

小学5年と中学2年の時の話しなのであるが、まあ、女性の友人関係の恐ろしさよ。中2では、男の中学生も含めて、その友人関係の複雑さよ。学級内のスクールヒエラルヒーというものが、どういうものかが生々しく描かれている。とても嫌な世界だ。

 

私は、経験しなかったのだろうか、忘れたのだろうか、よくわからない。きっと、忘れたのだろう。

 

以上昨晩書いた。

 

昨晩は、孫が極珍しく一緒に寝ると言ってきた。2回目である。彼女を昔話で寝せた後、こちらは眠れずに、

 

思い出しちゃった。

 

小学5年の時、クラスに嫌われ無視された女子がいたこと。Kさんは、丸眼鏡で小さくていつも汚い恰好をしてた。おどおどしてた。一人ぽっちだった。給食なんかない時代だ。男の子たちが昼ごはんの時彼女に何か言ってた。きっとひどい弁当だったのだろう。

 

俺はどんな態度であったか。遠くから望見という感じだったのだろう。俺はもともと、孤立気味。あまり友達がいなくとも平気な方だ。

 

Kさんのことを、母に言ったことがある。そしたらなんと、土方をしてた母の、土方仲間の子だった。母は言った。彼女の家の話し。なんか、親父が怠け者でのん兵衛で、彼女をいじめるのだとか。

 

ある時、彼女と何かの当番になった。話はほとんどしなかったが、ひなたくさい嫌なにおいがした。そのことを母に言うと、「そんなこと言ってはいけない」と言われた。

 

その後の記憶はない。6年生では別クラスだった。その後どんな人生を歩んだんだろうか。

 

おっと、また思い出した。彼女は、再婚した母親の、連れ子だった。(母がそんなことを言っていた。当時俺はよくわからない、大人の話しと思った)

 

6年生では、逆な差別があった。背が高くて運動が出来て、美人で勉強の出来たAさんが、男たちにいろいろ無視され、意地悪もされた。Aと話すと、話した人が仲間外れにされるというルールが出来上がった。

 

男たちの「高嶺の花」への接近を警戒する相互監視だったのかな。

 

俺は、どういう態度であったか。彼女への淡いあこがれがあったと思う。接近したいとは思わなかった。かまう側にはいなかった。でもかまわれるAさんが喜んでいるかなとも見ていた。

 

Aさんには、普通に接していた。何も気づかない幼いふりをしていた。多分。

 

そのせいかもしれないが、そうでないかもしれないが、まったく目立たない地味な俺が、6年最後の学級会長(今は学級委員長というのかな)にされた。どういう手続きであったかは忘れたけれど、最後は投票で、最多得票を得た。おふざけの気持ちがあったのも間違いないと思う。

 

立派ではないが、何とか重要な役をやり遂げた。

 

卒業後、先生が家に来て「○○君(俺の本名)ってホントは、力あるのね」と言ってくれた。ほんとだろうかと思った。それでも、指導的立場は嫌いだった。今でも苦手である。

 

 

しかし、人はどうして、差別したがるんだろう。違いを探すんだろう。どうして似たような仲間を作りたがるんだろう。皆それぞれでいいじゃないか。いやだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園の音楽会/転落と株バブル/スタンデイング

2月15日。孫(年中組)の音楽会の鑑賞。孫は、徒競走ではダントツ最下位と後れを取っているが、音楽では、普通並みにできてるようだ。

 

遅れと言えば、年少さんの中に、付きっ切りで先生に面倒を見てもらっている幼児がいた。壇上で、ひっきりなしに動いている。先生に捕まえてもらってないと、きっと合唱などの邪魔をすると思う。しかし、彼女を見て父母はどう思うのだろう。やはり「つらい」と思うのだろうな。普通の子と孫の経験しかない私に言えることはないが、この親子に幸あれと切に思う。

 

年長組は、すごいことをやっている。

 

各クラスの組の歌(自分たちで作ったそうだ)の披露。さらに、合唱は、「彼方の光、アイノカタチ、窓を開いて、桜坂、粉雪、行かないで」の6曲。合奏は、「G線上のアリア、喜びの歌(ベートーベン)」の2曲である。彼方の光は、なんと英語で歌っていた。

 

すごいなあ。

俺は、今の子供でなくてよかった。ほんとによかった。俺には、絶対出来っこない。俺は、やっと入った年長組を、2か月で中途退園だからな

 

しかし、この選曲には少し注文がある。俺にはわからない曲が多いのは、仕方ないけど、もっと子供らしい歌の方がいいんじゃないか、という注文。

 

この幼稚園は、運動会でも音楽会でも普段でも要求が高すぎる。かるた取りなんて、

 

「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨を集めて早し最上川」「古池やかわず飛び込むみずのおと」「光陰矢の如し」なんてやっている。

 

覚えておいて損はないけれどもね。

 

これから生きていくこの子たちは大変だ。彼等は、没落し続けの日本に生きていくから。だからだろうか?この幼稚園の高度な要求は。いや、まさかね。園どうしの園児獲得競争の為?少子化なので、そうかもしれない。しかし、だからと言って、あまりに背伸びのしすぎのような気がするけどなあ。

 

どうなんだろう。

 

2月16日の朝日新聞には、日本の名目GDP国内総生産)がドイツに抜かれて、4位に転落したことと、株価がバブル崩壊直前の値に迫ったという記事があった。

 

新聞の副題には、円安が響き・・とある。確かにね。ドル換算で比較したから、円安では、ドルでは小さくなる。ちょっと前みたいに、1ドル=100円だったら、まだドイツよりも上である。

 

しかし同新聞で、00年~22年の実質成長率で、ドイツは平均1.2%、日本は同じ時期平均0.7%である。これは、円高・円安なんて関係ない。それぞれの国内での対前年比の伸びだからだ。日本は、長期停滞が続き、4位に転落したのである。

 

転落は、予想されていたことであり驚きはない。しかし感無量ではある。わが人生と日本経済どうも同調しているように感じるからである。

 

西ドイツを抜いて世界2位に躍り出たのが、私の18歳の時である。その時浪人中であったが、翌年第一希望の大学に進学できた。両方とも上昇局面だ。

 

私が60歳の時(2010年)GDP国内総生産)は、中国に抜かれた。定年退職の年であった。(その後2年半のブランクを置いて、臨時で2年半働いたけど)

 

それから12年、ドイツに抜き返された。私も完全退職で、ソチこち衰えている。

 

まあ、わたしの感傷は、どうでもいいことだ。

 

しかし、どうして日本は没落したか、今後どうするか、これは本気で考えねばならぬ。

 

ブログ畏友のSPYBOYさんは、その原因を、日本は、ドイツと比較してモノ・サービスの輸出力が弱体化したことが原因、その背景に政治特に地方自治体のモノづくりに対する姿勢があると指摘している。なるほどねえ。それにしても、ドイツはうらやましい。はるかに少ない労働時間でかせぎは大きい。詳しくは、SPYBOYさんのブログ参照。

 

『ドイツと日本の違い』と『立春のイタリアン』 音楽・映画食べ物時事

『ドイツと日本の違い』と『立春のイタリアン』 - 特別な1日  

SPYBOYさん、右も左もばっさばっさ、小気味よい。

 

19日NHKの時論・公論では、解説委員が、日独の20年の違いを、

⓵ドイツでの労働力移動政策の成功とEU組織の内外でのドイツの輸出の有利さ

②ドイツでのインフレによる好循環即ち、物価高→労組の賃上げ要求→企業の努力=生

 産性の向上、逆に日本では、デフレ→低金利→企業が金を借りやすい→企業の努力不

 足と説明していた。こちらもなるほどねえ、とは思った。

 

経済にはさまざまな切り口があろう。短期・中長期、様々な視点があろう。また、GDPだけが、生きやすい・住みやすい社会の指標でもないのは明白だ。では何を重要と考えればいい?

 

これらは、本気で考えねばならぬことなのに、各界、その本気さが足りないように思う。4位転落をきっかけに、大いに議論が盛り上がってほしい。

 

特に政治。長い間、自分の議席の為=自分の利益の為、裏金作りに懸命だったんだもの、世界に後れをとるのは当たり前だのクラッカー(古いね、どうも)

 

株価高がバブルの頃に近づいて、史上最高値を記録するかどうか注目されているのだそうだ。しかしバブルのころと大いに違う。バブルのころは、株だけでなく土地や貴金属・美術品、ゴルフ会員権あらゆるものが上がっていた。実体経済も大いに違う。

朝日新聞 2月16日)大きいのは、実質GDP成長率が、4.9%→1.9%、高齢化率が

11.6%→29.0%かな。もっとはっきりしているのは、名目GDPで、世界に占める日本の割合が1995年17.8%、それが、2022年4.2%である。(朝日新聞)円安を考えても極端に下落である。

 
バブル期の株価を超えても、この実体経済では、株価上昇もあだ花だろう。いや日本経済ご葬儀に対する供花なのかもしれない(笑)。

 

という事で(?)スタンデイングに行ってきた。

午前は、原町である。

いつもの3名である。暖かかったが風が強かった。私はこの反対側で一人で立っていた。

午後は地元相馬で。写真を撮ったのであるがブログアップできない。6名の参加であった。

私のプラカードは、次の3つ。

クエッションマークいらなかったか。一応政治資金は課税なしという事だそうで、もしそうであったら、脱税にはならない。何に使ったか、それが政治資金になるのかという事で、?とした。

だいぶ長く使っているので色あせた。岸田政権が、軍事費増大を閣議決定で決めた時に
作ったもの。

いつ作ったか不明である。

 

日本の高度成長の要因は、①若くて安い多量の労働力(俺たち団塊前後)、②円安(固定為替相場制では1ドル=360円!)による輸出での儲け、③3種の神器等生活にぜひ必要なものの存在=強い需要とそれに伴う技術革新、④資源がないことによる輸入のフリーハンド、⓹資源エネルギーが安かったこと、⑥軽武装による経済負担が軽い事等、思いつく。

⓵、②、③、④、⓹はすでにない。高度成長が無理なのは明白。成長だって難しい。

高度成長終了後、成長を夢見て、日本国は、借金を重ねた。そして、ダントツ世界一の借金国となった。それでも成長は出来なかった。この上、⑥の軽武装まで捨ててどうするのか。

このプラカードは、その意味である。

 

軍需で多く食っている国が、多数ある。軍需産業先進国に割って入ろうなんて、無理である。無駄である。戦後の出発点=平和産業中心に帰った方が良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早く逝ってね」/残念な「建国記念日」

NHK+で、「別れのホスピタル」第二回を見た。(ホスピタルが正確)

進んだ認知症や癌の人達とその世話をする医師・看護師・介護士の話しである。

 

「透明なゆりかご」と同じ原作者と脚本家で、期待して見てたが、話があちこちで、どうも訴える力が弱いと思った。

 

印象に残った言葉は、臨終の夫に対しての、妻の「早く逝ってね」という耳元での囁きである。この女性、19歳の時、夫の「君しかいない」(不正確)という言葉で結婚し、52年生活してきたが、夫は、自分を優先する人で、妻のことなんか考えてなかった人間という設定である。妻は、「夫は、私を自分の手足のように思っている」という。

そういう男もいると思う。

 

夫の認知症も進み、介護生活が長くなって、ホスピタルに入所。夫は、介護士のいう事を聞かず、妻を呼び続ける。妻が世話するとうまくいく。

 

臨終時には、妻は、自分を呼ぶ夫を無視し続け、とうとう最後が、「早く逝ってね」。

 

妻は、「夫を憎んでたのかもしれない」という。であれば、「早く逝ってね」は当然である。

 

私はこの話で驚かない。そういう妻もいるだろう。いやいやながら結婚生活を続けた夫婦もあるだろう。現代の若者の「比較的簡単に離婚する」、というのが、自然にあった生活なんだろうね。いやいやながらより、新しい出発のほうがいい。ただ、子供のことは、うまくやらないとね。

 

「家族は泥沼、それを愛ともいう」という医師の言葉がある。まあ、そういう事もあるだろう。このドラマのテーマは、どうやら家族らしい。

 

話は変わる。

一昨晩、少しがっかりしたことがあった。

私の好きな島田雅彦の「時々、慈父になる」を読んでいて、「建国記念日」と言っていたことである。

 

その部分。

>ミクロ(長男)の出産予定日は、アメリカ独立記念の7月4日だったが、できればこの日を避けてほしかった。というのは、母親の誕生日が2月11日の建国記念日、旧紀元節なので、母と子相和して日米同盟を寿ぎ、自分だけ仲間外れにされるようで気に食わなかったのだ<

あれれ、今日の、肉類をよく買っているスーパーのチラシにも建国記念日とある。

スーパーはしょうがない。しかし、全方位に博覧強記の島田雅彦、シッカリ書いておくれよ。

 

私は、前にもブログに書いたが、「建国記念日」と「建国記念の日」は大いに違って、それは、重要なことと思っているからだ。「の」、には制定の歴史が刻まれていると思うからだ。「の」には、戦後民主主義を壊そうとする自民党に対する、それを守ろうとする人々の戦いと思いが込められていると思うからだ。

 

2月11日は、戦前は、紀元節。紀元つまり日本国の始まりとして祝ってた。国の始まりって何?米国が英国から独立したように、日本が中国から独立?いいえ。明治政府が、
歴史を研究して、紀元前660年2月11日に初代天皇が、即位した日と決めた。

 

なんで天皇が即位した日が日本の始まり?日本列島に初めて人が足を踏みいれた時じゃないの?どういうのが日本のはじまり?まあそれは置くとして、

 

昭和15年(1940年)は、660+1940(西暦)=2600年で、盛大にお祝いをしたらしい。

この年正式採用になった海軍戦闘機が零(れい)戦=ゼロ戦。2601年に採用されたのが一式陸上攻撃機。まあそんなことはどうでもいい。

 

 

ところが、紀元660年に初代天皇即位、これが真っ赤な嘘なんだなあ。卑弥呼だって紀元3世紀。それから1000年近く前に、天皇いるわけないべさ。現在の小学生も知ってるよ。紀元前660年は、縄文時代って。

 

ところがところが、戦前は、この嘘をもとに紀元節としてお祝いしてた。なんせ、大日本帝国は、万世一系天皇これを統治す(明治憲法第一條)天皇主権を正当化するためのでっち上げの嘘が紀元節。今で言えば、フェイク。

 

当然、戦後は紀元節廃止。嘘だから。

 

ところがところがところが、これを復活させようという連中がいた。自民党である。

1960年代後半だっけかな。敗戦後20年もたったんだから、そろそろいいべという事で、

しかし、さすがに紀元節はまずいので、2月11日を建国記念日にしようと画策した。

 

それに大反対したのが、学者連中、キリスト教団体、社会党共産党。知ってる国民も反対した。

 

そこで紀元節とは違いますよ、2月11日は、建国記念日ではなく、建国を記念する日ですよ、という事で、建国を記念する日、即ち建国記念の日として、反対する非国民どもを抑え込んだ。(それだったら、別にほかの日でもいいんじゃない。1月1日とか8月15日とか、5月3日とか)

 

 

まあ、嘘に基づいた祝日ですな。そっかー、自民党、うそつきはDNAなんだね。近頃有名な人いたなあ、嘘つきで。国会で虚偽答弁をさんざんやり、その数を数えられた人が。

 

そういや、ごく最近、もらったお金、記載してませんでした、忘れましたなんて言う国会議員いるけど、それ、嘘なんでしょ。えー、ほんとなの?そんな忘れっぽい人、法律作っていいの?

 

そういや、自民党は忘れっぽいよね。長い間集団的自衛権は行使できませんって言ってたのに、

あ、なんとかいう虚偽答弁王が、いや出来ますって言った途端。即、みんなできる出来るって唱和して・・・法律作っちゃった。ノーミソあるんだろうか?派閥の中には、それおかしい!ていう派閥ないのかい。今までできないって言ったのに。できないという人、誰もいないの、変でしょ。

 

あそうか、派閥って政策集団じゃなく、金あさりと地位あさりの集団だからいいのか。

 

それにしても、自民党。戦後の民主主義を一生懸命壊してきたね。自治体警察廃止、教育委員会公選制廃止、紀元節復活、君が代国歌法、教育基本法改正、特定秘密保護法・・。

 

自由と民主主義が嫌いな自民党。あれ、自民党って、不自由民主党の略だっけ、そんなら、まあいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翡翠/脱税

鮮やかな濃い緑かブルーの色がよぎった。

翡翠である。なんと私の前5mのコンクリの川岸に留った。

しばらく見ていると、「ちちち」と鳴いて、JRの鉄橋の桁へとんだ。

翡翠を見るのは久しぶりである。鳴き声を聞いたのは、初めてである。

あ、桁から川へ一直線に飛び込んだ。魚を獲ったか?口には何もない。失敗である。

バーリングをして、川原の石の上に飛び乗った。ところが、白と黒の、翡翠より少し大きい小鳥2羽が、なわばりなのであろうか、追い出しにかかり、翡翠下流へ飛んでいった。

 

昨年夏、キツネを見た川原である。

 

いやいや美しいものを見た。ホバーリングも初めて見た。

 

家に帰って、朝ご飯を食べ、孫の登園を見送って、しょうがないと作り始めた。

作ったのは、これである。

相馬のスタンディング仲間も、原町の仲間も、誰も裏金について書いてこない。

その気持ちはわかる。どうせ自民党なんて自分の金の為政治やってんだから、裏金なんて驚くに当たらず、という気持ちだ。俺もその気持ちはわかる。国民の中にもそういう人はいるだろう。

 

しかし、これは、怒らなくちゃ。

 

そこで仕方なく、作った。

 

近頃ようやく、「裏金って脱税になるのでは」という意見が多くなってきた。

政治に使う金は、非課税なのだそうだ。それはまあ、いい。ならば、何に使ったかを領収書を添えて出さねばならない。ところが、自民党。あ、書き忘れてました。あ、もらってました。使い道わかりません。忘れました。領収書捨てました。・・・ほんとに政治活動に使ったの?ならなぜ隠しといたの?

 

会社だって、組合だって、PTAだって、同級会だって、皆領収書で、その支出が、目的にあっているかどうか証明する。政治はその例外?馬鹿言うな。俺には脱税に見えるがなあ。

 

みんな怒れ、そして忘れるな。

 

という事で、原町のスタンディングに行ってきた。

私を含めて5名。いつもと違う場所である。いつもの場所は、水道工事で立てない。私は対角線反対側で一人で立った。ひとりだけ黙礼していった車があった。ひとりでも、うれしい。

 

原町からの帰りに、畑に回って、玉ねぎに肥料をくれた。あとは4月に施肥

ジャガイモの種芋がもう出回っている。畑を準備せねばならない。今日は雪が溶けたが畑はぬかるむ。

 

1昨日、雪だるまを作った。孫も手伝った。それが昨日は、もう形がない。

昨年も同じころ雪だるまを作った。消えた時、孫は大泣きした。、今年は全然泣かない。進歩したんだ。

 

約30年前、金がらみの不祥事から、政治資金規正法改正、政党助成金小選挙区制などの政治改革をした。それがこの裏金つくり。進歩がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男も女も見るべきドラマ(4)「透明なゆりかご」(9から10)/やられたNHKに

第9回 「透明な子」(ネタバレ)

10歳の亜美は、父親から性暴力を継続的に受けていた。母親は離婚し、現在の夫と再婚した。アオイは、図書館で亜美を知っていた。

その再婚相手の男から、亜美は、性暴力を受ける。

 

産院側は、その亜美に最大限配慮して接触する。例えば、産婦の付きそいの男性に廊下に出ないようにとお願いするなど。

 

由比医師も、男性なので直接接触はしない。病院で女医を探したが中々見つからない。最後は県立医大の女医にお願いした。アオイも知り合いだが接触しない。

 

亜美は、一言もしゃべらない。水もまともに飲めない状態である。勿論犯人の名前も言わない。

 

その亜美の心を溶かしたのは、その産院で生まれた赤ちゃんである。

産声が聞こえる。亜美は病室を飛び出す。そこにいるのは、付き添いの男とアオイ。

亜美は言う。弱弱しく「あか・・」アオイ「赤ちゃん?赤ちゃん見たいの」

 

屋上で、亜美とアオイは、話す。

亜美「嫌だった。みんなこんなことしてないでしょ」

アオイ「うん。ほとんどはいい大人なんだけど、ごく少し、悪い大人がいる」

亜美「・・お父さんなの。娘だったらこんなことするのは当然と言われた」

亜美「お母さんは、離婚して新しいお父さんが出来て笑うようになった。そのお母さんを悲しませたくなくって、言えなかった」

 

なんという事だ。

前の父親は、暴力をふるい、新しい父親は連れ子に性的暴行。こういう男たちは、死んだ方がいい。

 

息子に自殺していいかと聞かれて、「女を襲いたくなったら自殺しなさい」と言ったのは誰だっけかな。

 

母親が、娘を抱いて「ごめん、許して」と泣きあう場面で、私はひどくイラついた。泣いてる場合でないだろう。包丁持って夫を殺しに行かねばならぬ場面だろう。

 

その後、

医師に「ないことにできますか」と聞かれ、母親「できません。絶対、ない事にはできません。許せません」と言ったので、ほっとした。それにしても、あの男シラーッと、「こんな犯人は、のさばらせてはおけません」なんて医師と母親の前で言っていた。

 

現代でも、シラーと、逆告訴している奴いないか。

 

母親を動かしたのは、女医さんだ。「あなたが一人で娘さんを支えるのは難しい。心も体も傷ついています。あなたを支える人はいます。少なくとも私はあなたを支えます」

警察へは、母親とこの女医さんが付きそう。

 

性暴力には、その被害者に寄り添う人が絶対必要だ。

 

ところで、重要な亜美の告白の場面で、私には理解できないことがあった。なぜしゃべらなかった亜美が、アオイに秘密を打ち明けたか。その要因に、アオイの「人の気持ちがわからない」という事があると言っている所だ。アオイの「私は人の気持ちがわからない、気持ちを聞かせて」という言葉でなぜ亜美は告白する気になったんだろう。

 

第10回 最終回 「7日間の命」

私は、放映された5年前、このドラマシリーズの最終回だけみた。泣けて仕方なかったドラマだ。ブログにも書いた。

参照:

 

a0153.hatenablog.com

 

今回、すべてを見た。 やはりこの最終回が一番胸を打つ。

 

感想は、前のブログを超えないが、せっかく見たので備忘の為、印象的な場面を書いておく。私は、このドラマのこの回は、忘れたくないのである

 

妊娠した赤ちゃんは、心臓に欠陥(一心房一心室)肝臓にも異常があり、妊娠中は親から栄養と酸素をもらい大丈夫だが、誕生すると自分の肺と心臓で生きねばならず、生存が難しい。

中絶か妊娠続行か

夫「先生、あきらめる選択もできるんでしょう。俺たちは若い、またできるさ」

妻「この子はこの子、工場で作るものじゃないでしょ」

初めての胎動

妻「動いた、動いてる、なんだろう」

医師「自分ではないものが生きてるという自覚が生まれ、母親になりつつあるんです」

夫(中絶すると)「俺は何も残らないまま、忘れて涼しい顔で生きていくだろう」

 

海で、一歳ごろの幼児・両親を見て

妻「私達もあんな風になれるかなあ」

望月看護師「お腹の中にいる時は、お母さんから栄養をもらって・・・」

妻「わかってる、なれないって。・・・こんなに普通なのに、ずっとお腹にいてくれたらいいのに」

お腹の子に名前を付ける。友也である。

 

積極的治療(手術等)か看取りか

夫「治療をしよう、そのため医大の近くに引っ越しする」

妻「治療は、この子のためになるのかなあ、今お腹で守られている。安心していられ  

  る。治療をするのは、怖くてさみしい思いをする。何もせず看取ってあげるのも

  ・・・」

夫「なに言ってんだ。・・・俺たちでは決められない。死なせるかどうかなんて俺た

  ちで決められない、先生決めてくれ」

先生「お二人で決めてください。お二人の責任で」

夫、立ち上がって「言わないのは卑怯だろ」

先生「・・・治療すべきです。ただ私が医者だからこういうのです。医者は公平な治療

   を目指します。しかしご家族はたった一人のことを考えてください。回りの事な

   んて考える必要ありません」

 

結局、家族は、看取りを選ぶ。

物心ついたころ、妻の母は、重い病気で無菌室にいた。幼い妻は、母に触りたかった。

カーテンに隔てられたその母は、子供を抱っこしたかった。できなくて死んでいった。妻は、何かで隔てられての別れはもう嫌と思う。これが大きかったのだと思う。

 

出産の時、妻(友也の母親)は、このままの別れはさせないで下さいと叫ぶ。無事出産。

 

別れの時

婦長が言う「先生、○○が下がってます。○○増やしましょうか」

先生は、静かに首を振る。そして言う。「チューブを外してください」チューブが外される。先生「あと数分で呼吸が止まります。心臓が動かなくなります。最後の時を大事にしてください」

婦長「ママに抱っこしてもらいましょうね

2人は、母親に抱っこされた友也の頭をなでながら、号泣しながら、

母親「友也、ずーっと思っているよ。お前はずーと一緒だよ。私達を忘れないでね」

父親「可愛いい、可愛いい。幸せにしてあげたかった。ごめんね。ごめんね」

 

そして亡くなった

アオイ「最後にお風呂に入れて、友也君よかったじゃにですか」

母親「自己満足よ。友也は、一日でも長く生きていたかったのかもしれない。私は逃げ

   たのよ」

アオイ「相手の気持ちがわからないのは苦しい。でも相手の気持ちなんて絶対わからな

    い」

アオイ「私、母親に抱かれてうれしかった。子供が母親にしてもらいたいことの一番の事って抱っこぐらいじゃないのかな」

母親「お母さん、(天国で)私の代わりに友也をいっぱいいっぱい抱っこしてね

 

この10回のひどく重い連続ドラマの実質的終わりは、アオイの独白で終わる。

産院は、消える命と生まれる命の交差するところ。みんな、透明な子じゃなかった。

最後の最後は、アオイが、この産院に就職を希望するところで終わる。

 

長い記述となりました。昨年の「うみよ眠れ」と違い、作り話ですが、私にとって、

忘れられないものとなりました。最初は、女性の大変さを知らない男性が見たらいいと思ったのですが、一人の女性の人生にも、女性にもいろいろあると思いますので、女性も見た方がいいと思って、題名を替えました。

 

(追加)

どうでもいいことだけど、

アオイの言葉が「子供が母親にしてもらいたい一番の事って抱っこぐらいじゃないのか」なのか、それとも「子供が母親にしてもらいたいのは、抱っこでしょう」か、疑問に思った。

ホントは、なんと言っているのか、気になっても一度見たいと思った。

朝4時、NHKプラスを見たが、もうすでになかった。あと二日という表示をいつ見たのか、分からない。NHKプラスは、一週間しかUPしてない。

 

その代わりに、「別れのホスピス」とかいう(題名不正確)ドラマを見た。末期がん・高度の認知症患者などを扱う看護師の話しであった。最初に同室の女性高齢者3人が次々に死ぬ、次に、最初に出会ったがん患者が自殺する。看護師の生活(母と引きこもりの暴力的妹)が描かれる。大変そうな話だ。でもつくりがなんとなく「透明なゆりかご」に似てるなと思って、エンドロールを再確認したら、原作と脚本家が多分同じだ。。原作は間違いない。○○×華とあったので。×華なんて珍しいから。

 

そこで、俺は気が付いた。

「透明なゆりかご」を今回連続して放映(深夜)したのは、この新しい番組の番宣だと。やられた、NHKに。「ゆりかご」は、人の誕生で今度のは、人の死か。こちらも気が重そうな話。しかし73の俺には身近。近い将来の話しだ。そして全員100%行きつくゴールだ。みようかな。少なくともも一度は見ようかな。NHK+で。