戦闘機輸出に反対する

自公政府は、3月26日の閣議で、武器輸出の運用指針を見直し、英伊両国と共同開発中の次期戦闘機の第三国への輸出を認めた。

 

私は、これに反対する。その理由は以下の通りである。

⓵国家そして国民にも誇りが必要である。戦後日本国の、そして日本国民の誇りは、

「平和国家」であった。(かつては、経済大国も誇りだった)平和国家とは、国家間の紛争を武力で解決しない国家という事である。

 

そのために自民党政権下でも軍事大国化に歯止めを設けた。

文民統制非核三原則・防衛費はGDP1%以内、自衛隊の海外派遣禁止、武器輸出禁止等である。これは与野党を通じた合意、すなわち国是即ち国民の誇りであったと言える。

 

なぜ過去形か。自民党(と同党を選んできた国民)が、崩してきたからである。

 

 

武器輸出に限って言うと、1976年の三木内閣時には、武器輸出が事実上の禁止であったのだが、徐々に武器輸出をOKとしてきた。大きな転換点は、武器輸出を原則禁止から原則OKにした安倍内閣の「防衛装備移転3原則」(2014年)である。現岸田政権下では、米国へのミサイル輸出を承認している。私はミサイル輸出にも反対だが、戦闘機輸出となると、なお反対である。戦闘機は、殺傷兵器の典型だからである。

 

映画「禁じられた遊び」の冒頭を見よ。人殺しの兵器である。


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歌「フレデイ」の最後を紹介する。長いから途中からがいい。(これホントは、さだまさし「フレデイ若しくは三教街」、さだは、自分の祖母の中国での体験から想像して作ったらしい)


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私は、日本が平和国家であってほしいと思っている。日本国民が平和国家を選択してほしいと思っている。だから選挙では自公・維新政党は選んでほしくないと思っている。

 

武器輸出は全面禁止が良いと思っている。たとえそれで必要な武器の購入高くなってもだ。それで、軍需技術関係の民生用製品への移転で後れを取ってもだ。我が国は、自国が攻撃された場合だけ武器を使用する。他国の戦争を助長する武器は輸出しない。自国が作った武器で他国の人が殺されるのは嫌だ。それが誇りというものだろう。

 

②日本の戦後の「平和国家」理念は、世界が認めた日本の稀有なブランドであった。

それを手放すのは大バカである。

ブログ知人canngaelさんのブログで知ったBBCnews (World)を見よ。

BBCのニュース (世界) @BBCWorld ·3月26日Japan to sell fighter jets in latest break from post-war pacifist ideals

「能登の被災地」「閣議決定で決まる次期戦闘機の輸出解禁」「東京都議会の記事録削除」「23日ひめゆり学徒動員、26日座間味米軍上陸」「森友問題」「紅麹と万博?」など - 四丁目でCan蛙~日々是好日~

日本は戦後の平和主義を決定的(あるいは最終的)に破壊して戦闘機を売ることになった

BBCは言っている、と私は感じた。

 

latestは、「最近の」「最後の」とかの意味があり、Breakは、休憩と休息とかの意味だろう。だから「最新の決定。日本は戦後平和主義からお休みして・・・」、なんて意味かな。

けれど、私の印象としては、Breakのもともとの意味、破壊という感じを受けた。

私は、310万人の日本人戦争死没者、2000万以上のアジアの戦争被害者に魂があれば、そして戦後平和主義を守ってきた国民(非武装中立武装中立専守防衛や、武装同盟・専守防衛の考えの人々)の多く(すでに死没者の方が多いだろう)は、こう解釈すると思うのだ。「戦闘機輸出なんぞ、戦後平和主義の決定的破壊だ」と。

 

BBCは、欧米の代表的メデイアである。欧米では、日本の戦後が「平和国家」とみていたのである。戦闘機輸出は、それからの(少なくとも脱却)だとみているのである。

 

第二次世界大戦を引き起こした(他国を侵略した)ドイツと日本の、戦後の行き方はだいぶ違う。

ドイツはナチスの非人道的行為を厳しく反省し、ナチスから完全に脱却した。

日本は、天皇制存置や戦犯容疑者岸信介復権したように(それは米国の後押し)、戦前の軍国主義の残滓がある、危険な国家とみられるかもしれない。

 

いやそうでないと世界に表明し、保証したものが平和主義である。

つまりは、平和国家日本は、戦後世界に生きる日本のよすがなのである。それをどんどん壊していったのが、自民党政治であった。よすががない日本国および日本国民は、

漂流する。

 

そしてこの戦後の平和国家ブランドは、海外で活躍する人々の支えであった。

 

「いま、きな臭い世界情勢、一見勇ましい論調が横行し、軍事力行使をも容認しかねない風潮を眺めるにつけ、言葉を失う。平和を願う声もかすれがちである。しかし、アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られることはなかった。防備は必ずしも武器によらない。 「1992年、ダラエヌール診療所が襲撃された時、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引きとめたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。現在力を注ぐ農村部の建設現場は、常に危険地帯に指定されてきた場所である。しかし、路上を除けば、これほど安全な場所はない。私たちPMS(平和医療団・日本)の安全保障は、住民たちとの信頼関係である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が保護を惜しまない。」 「信頼は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切らない誠実さこそが人の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全保障を提供してくれ、人々を動かすことが出来る。私たちにとって、平和とは理念でなく現実の力なのである」

「武力によってこの身が守られることはなかった」−「天、共にあり」を読んで - A0153’s diary

これは、2013年発行の中村哲「天、共にあり」の一節である。平和ブランドが彼の行動の支えであった。

その彼が2019年どうして殺害されたか、真相はわからない。

 

彼は、2005年「憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言」という岩波ブックレットの中でこう言っている。

「中東においては、…戦後復興を遂げたアジアの国として、日本は一種のあこがれの対象でした。・・羽振りのいい国はたいてい戦争をするものだけれども、半世紀にわたり、他国に戦争を仕掛けなかった国、平和の国・日本として親近感を持たれてきました。

つまり、実際に戦争をしない国・日本の人間である、日本人である、という事に守られて仕事ができたというのが数限りなくあったのです」(P8)

 

「今日本の評価は中東で、アメリカに原爆を落とされた気の毒な、しかし努力して復興した国」から「アメリカの同盟国(軍)へと変化しつつあります。いずれ、他の同盟国と同じ運命をたどることでしょう。

まだ今は、日本に憧れ、尊敬してくれた世代が社会の中堅にいますが、この次の世代からは、もう日本の見方は変わります。恐らくアメリカと同様に攻撃の対象となるのでないか、と思わざるを得ません」(p10)

 

中東でも、戦後日本の価値は、平和国家というブランドだった。

 

中村哲氏の死亡が、日本政府の軍国主義への傾斜の直接の影響とは言えないと思うが、少なくともこう言えると思う。

 

もし中東の戦争で、英・伊・日共同開発の戦闘機で死者が出たら、もう日本の平和ブランドは全くなくなる。恨まれる国家・国民になる。

 

稀有な、大事な日本の平和ブランドを手放すはよそう。戦闘機輸出絶対反対。

 

③英伊と共同開発を担うのが三菱重工であることに笑った。三菱重工は、私も大いに期待していた国産民間ジェット機の製造を断念した。作れなかったのである。民間ジェット機をまともに作れない会社が、最先端の戦闘機づくりに力を発揮できると思えない。ろくな役割しかもらえないだろう。英伊は、日本政府が出す年1000億円が欲しいのだろう。そして自分たちが開発する戦闘機の売り込み先として日本を確保できるので共同開発という餌をくれたのだろう。つまり利用されているんだ。戦闘機共同開発は、日本政府による三菱重工の救済策なんじゃないかと憶測する。例のGDP2倍増も軍需関連会社への援助じゃないか。2020年の三菱重工自民党への政治献金は、3300万(6位)(wikiである。パーテイ券いくら買ったか?多分いっぱい買ってるだろう(想像)

 

④戦闘機が必要なら買えばいい。高くてもなっても良い。百歩譲って共同開発しても、輸出は認めないとすれば、筋が通る。それで損があるとしても、この損得は小さな損得だ。「損しても、日本は戦後の平和主義を守ろうとしている」と思ってもらえるのは、極めて大きな得である。

 

ここで疑問が起きる。次期戦闘機を共同開発の戦闘機にすれば、米国からの戦闘機は一機も買わなくてよいのかどうか、である。米国がそれでOKとなるかどうかである。一機も買わなくてよいというなら多少の意味はあるかもしれない。しかし、これは小さな意味でしかないけどね。大きな意味を認めたら米国の横やりがあったかもね。

この辺は、国会審議で、野党の質問に期待する。またはマスコミの真実追及の力に期待する。

 

政府は専守防衛のための性格の戦闘機を造りたい、そのための共同開発なんていうが、詭弁である。戦闘機の性能に大差があると思えない。政府の言う歯止めはもっと詭弁である。

 

⓹共同開発の戦闘機を輸出というけど、日本から買う国ってあるんだろうか。売った方はその後のメンテナンスも引き受ける。日本には戦闘機の製造・輸出・アフターの経験がない。買わないだろう、どこも。まあそれでいいけど。輸出の実利はない。

 

 

という事で、今日は新しくプラカードを造った。これを持って地元のスタンデイングに参加する。

嘘ではない。私は良く間違うが、嘘はつかない。久しぶりに、「私は」、と入れてみた。輸出(に)、が欲しかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHKスペシャル「松本清張と帝銀事件」を見て

この番組は、2022年12月の再放送で、私はこれを初めて見て興味を惹かれた。

 

番組は、「松本清張帝銀事件」という題で、ドラマ(90分)、ドギュメンタリー(60分)の2部構成である。

 

ドラマは、松本清張文芸春秋社の田川編集長が、帝銀事件の真相に迫るが、真相を書ききれなかったという内容である。

 

清張は、帝銀事件(1948年1月に起きた帝銀・椎名町支店で12名が毒殺された事件)の裁判結果(画家平沢貞道が犯人、1955年死刑確定)にいろいろ疑問があり、田川編集長・文芸春秋の協力を得て調査を進める。 その結果清張は、平沢は無実で、これは冤罪ではないかと疑う。 調査対象は、同事件弁護士、雑誌記者(読売新聞記者)、刑事たちさらに雑誌に掲載された兵士たちの証言である。

 

この調査を始めたのは1957年である。

 

彼の疑問点は、

〇犯人が被害者たち16名に毒を飲ませた手口が、平沢のような素人ではできない

〇犯行を自供した平沢が、公判では無実を訴え、死刑確定後も無実を主張している

〇動機が金というのは納得できない。金ならもっと簡単な手口があるはずだ

〇平沢を真犯人と違うという生存者がいる

〇毒物は青酸カリという事だが、被害者た ちの死亡状況は、青酸カリの死と違う

〇捜査は、6月頃は軍関係者が中心だったのに、8月唐突に画家の平沢が逮捕された

 

清張は、この調査で次の結論に至った。

毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールで、それは軍関係者しか手に入れられず

真犯人は、731部隊関係者。そして捜査の大転換には、GHQの介入があり、GHQは、捜査のみならずマスコミにも介入した。その理由は、GHQは、731部隊の人体実験データの独占の為、731部隊の幹部と裏取引したと推測した。(幹部の戦争犯罪免責の代わりに実験データ独占)裏取引がばれると国内でも国際的にもまずいので、捜査とマスコミに圧力をかけた。

 

清張は、調べた結果をノンフィクションで書くと主張したが、文芸春秋側は、小説でと主張。清張と文芸春秋は、雑誌記者と警察関係者に、裏付けを迫ったが、彼らはいずれも、固く口を閉ざす。

 

清張は結局折れて、1959年「小説・帝銀事件」を発表した。彼は言う。「日本はほんとに独立国家なのか」と。

その後清張は、「日本の黒い霧」で、帝銀事件下山事件などのノンフィクションを書く。

 

ドラマでは、「ノンフィクションで」の主張と「小説で」の主張の対立が描かれるが、

どちらが真実に迫れるのかは、簡単には言えないと思った。どちらが人を動かすかも簡単ではないと思った。

 

ドラマで印象に残った言葉

清張「文章は売れなければ意味がない、しかしこんな事実(731部隊GHQの介入)

   を娯楽にしてよいのか」

清張「警視庁の見解をうのみにするマスコミ。マスコミが流す情報で世論が醸成され

   る、それでいいのか」

池島文春編集局長「編集長の好きにしていいが、作家は守らないといけない」

 

証言拒否した新聞記者「記事は空気を醸成する。情報を伝えることで社会の安寧を守るべき。日本は国際社会で生きている。日本の役目がある」→清張「それは間違っている。情報の選択権は市民にある」

 

 

 

ドギュメンタリーは、松本清張の疑問を検証するという内容である。

テキストマイニング方式で平沢の自白の性質を分析(立命館大○○教授)

検事と平沢のやり取りで出てくる言葉の出現頻度を調べると、検事の誘導で自白している可能性が浮上。

その一例・・初め使ったの毒物を塩酸と言っていたが、検事が青酸カリと言ってから、平沢は、青酸カリというようになった。

 

②自白11日後、警察署で行われた犯行の再現での矛盾(フィルム撮影がある)

〇毒物の飲み方 犯人は、舌で下歯を口内で隠すように指示したが、平沢は、舌を口外にベロンと出して飲むように指示

〇犯人は毒物を飲んだ1分後、次の飲み物を飲めと指示したが、平沢は二分後と指示。

 平沢は犯行についての「無知をさらしている」のでびっくりと研究者。

 

捜査係長甲斐文助の捜査記録の分析(全2289頁、明治大山田朗教授と共同調査)

あ、初め捜査は、似顔絵・筆跡・目撃情報中心、6月頃から旧軍関係者への聞き取りが

  急増。

い、犯行手口及び毒物(青酸ニトリール)から旧軍関係者と推測

う、それを扱っていた南方軍防疫給水部、さらに登戸(のぼりと)研究所から731部隊 

  へたどり着く。

え、731部隊の人体実験を知る。捜査員「人殺しを研究してた」石井部隊長にも接触

お、石井四郎は言う。「俺の部下にいるような気がする」「俺の力で10年~15年誰も口

  外しない。君らが行ってもほんとのことは言わぬだろう」

か、石井四郎自身、青酸カリによる捕虜虐殺の事実を認める(昭和11年~12年回)

き、憲兵Aが怪しいという話があり、捜査会議で20回も登場。しかし結局所在不明

 

④米国人ジャーナリストが米国公文書館で発見した書類

マスコミが731部隊について調査・発表するのを検閲官を通じて差し止めよという内容(GHQ公安課文書)

 

⓹マロンド・シュロック(当時のGHQ諜報課員)の証言

帝銀事件の8か月前、731部隊の全容・資料を把握していた。そのデーターを独占するため、幹部の免責を約束した裏取引があった。これはトップシークレットだった。

 

wikiを見ると、平沢犯人説・冤罪説の対立、毒物は何か、GHQは、捜査に協力したのか、介入か等、いろんな説が紹介されている。甲論乙駁という雰囲気である。

 

私は、①・②・③で、平沢は犯人ではなく、帝銀事件は冤罪事件と思う

また、③・④・⓹で、GHQは、731部隊の人体実験データー独占の為、同部隊幹部の免責という裏取引をした、そして帝銀事件でこれに接触されるとまずいので、捜査に介入かつマスコミ統制をしたと判断する。

 

犯人の動機については、ドラマの最後に清張が言った「冷静に実験をやるみたいに大量殺人ができることを示し、それを実施した731部隊を忘れていいのか、その幹部の免責なんぞしていいのかという事を世に訴えるため」という事に、なるほどとおもった。

 

思い出すことがある。森村誠一が「悪魔の飽食」で731部隊の人体実験を詳細に述べた時、一部から猛烈な非難を受けたこと、人体実験はなかったという言説が流れたことである。

 

しかし、③のおで、石井四郎部隊長が自ら認めたように、人体実験や虐殺はあったのである。

 

害毒の極めて多い、狭量な、間違った、国を誤らせる愛国心

 

事件当時(1948年)日本は占領下にあり、GHQが捜査やマスコミに介入するのは、当然と思う。しかし、清張が帝銀事件を調べたのは、1957年から1959年である。サンフランシスコ講和条約成立は1952年である。独立しているはずなのに、なぜ刑事や新聞記者は口をつぐむのか。まるで石井四郎731部隊長の呪縛(それは実質はGHQの呪縛)が生きてるみたいだ。

 

小説帝銀事件」が「書かれたのは、1959年。その翌年が1960年。それは安保条約改定の年だ。その時の総理大臣は、岸信介

 

米国によって戦争犯罪を免責してもらい、CIAのエージェト(WIKIによる)となっていた総理大臣である。GHQの呪縛が日本にかけられていたように感じられる。

 

「独立」から73年! 後の2024年の昨日(3月28日)の朝日新聞記事によると、自衛隊と米軍の指揮統制の連携を強化するという。 情報収集能力・分析能力からみれば、自衛隊を指揮するのは米軍ということになろう。

 

戦後日本は、戦争をしない国というのが国是である。 米国は、戦争は当然とする国である。 こんな真逆の国家どうしが、軍隊の指揮統制の連携をはかっていいわけあるまい。

集団的自衛権行使を可能にした安保法制下では、日本は、自国が侵略されてなくとも、米国等他国の戦争に、米軍の指揮下で参戦する

 

戦争をしない国家である日本がどうしてこうなったか。

 

繰り返すが、1960年安保闘争日米安保条約反対)を抑え、現安保条約を締結したのは、米国に戦争責任を免責してもらい、米国CIAのエージェント(代理人・スパイ)になった首相岸信介であった。 1970年安保条約の自動延長を行ったのは、岸信介実弟・首相佐藤栄作であった。

2015年日本が侵略されてなくとも、米国と一緒に戦うことを可能とした安保条約逸脱・憲法違反の安保法制を作ったのは、岸信介の孫・首相安倍晋三であった。

 

岸信介氏は、昭和の妖怪と言われたそうだが、妖怪一族の呪縛が戦後の日本にかけられてきたようだ。

 

日本の戦後史は、米国の呪縛のもとに展開してきた。それが正しかったのか、得か損かは別にして。

 

戦後の日米関係の全てを米国の呪縛、あるいは原発安全神話同様、日米安保神話じゃないかと疑ることが必要と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登のすごい人たち

NHKの番組で、大地震に見舞われた能登の人たちのすごさを見ました。

一つは、「仕事の流儀~能登のプロフェッショナル」です。

 

この番組は、革新的輪島塗を起こした桐本さん(61歳)を中心に、イタリアで最高賞をとったジェラート造りの柴野さん(48歳)、日本酒造りの農口さんの三人の活躍が描いていました。

 

皆さん元旦地震の被災にも拘わらず、ものつくりを守っていこうと大奮闘していました。

 

桐本さんは、木地職人の家に生まれ、職人を雇って一貫して輪島塗を製造できる工場(現在5人の職人が在職)を起こした人のようです。そして、製造方法も変え、お椀のみならず皿やスプーン、家具・外装にも漆を使用するという革新的な漆製品製造者のようです。

 

(・・・ようです、と不確かなことをいうのは、私にはまったく、輪島塗・漆製品に対する知識がないためです)

 

この震災で、桐本さんは工場のみならず自宅もやられ、工場のそばのテント暮らし、塗師頭(ぬりしがしら)の小路さんは、避難所暮らし、木地師の久保田さんは、金沢での借り上げアパート暮らしです。若い女性の塗師は名古屋の実家にもどり、漆器の修理をやっています。

 

こんな中で桐本さんは、職人たちを力づけます。職人たちも、それぞれ立ち上がっていきます。番組の最後では、仮設の工場(紙製?)を造る計画が紹介されてました。

 

印象に残った言葉。

桐本さんの奥さん「誰かが元気を出せば、他の人も元気になる。元気の連鎖が起きる」

小路さん「頭の中では、価値創造ができる。平和に普通に仕事ができることって大切」

桐本さん「傷は深いがきっと治る。俺たちにはその基礎がある。輪島塗は直したらもっ

     と長く使えるものだ。輪島塗は、人を気持ちよく、温かくするもの」

    「人が離れるのが一番怖い。場所があれば戻ってこれる」

 

柴野大造さんのジェラート製造では、彼を支える人々に感心しました。

酪農家「俺が(震災で)つぶれたら、大造さんがつぶれる」

(誰もが相手のことを思っている、というナレーションが入りました。ほんとですね)

 

特に、珠洲の塩つくりのおじいさんには参りました。

 

地震の為かなり隆起し海がずっと遠くなったあの海岸で「俺は塩づくりはやめない」と言って、バケツらしきもので、天日干し場に、海水をぶちまける姿!

 

その持ち上げて一瞬静止した姿に、私は、彼の「負けるものか」という決意と言うか祈りと言うか、とにかく人の強さを感じました。

 

 

もひとつは、昭和57年制作のNHK新日本紀行「ゆきんこの便り」です。

 

珠洲市のある一家の冬の生活を描いていました。一日に1mも降ることがある大雪地区です。

 

珠洲市南山は、当時15戸の地区で、田中さん一家は、爺さん・婆さん・ようこさん(小

3)かずともくん(小1)、みちこさん(保育園)の5人で冬を暮らしてます。

 

この一家の御主人は、5年前名古屋への出稼ぎ中、亡くなっています。その一家を支えるため、今は母親が滋賀県の紡績工場に出稼ぎをしてます。

 

雪が深いため、冬の学校は分教場(分校)です。小学校の二人は、「行ってきます」と言って2階に上がります。そうなのです。分教場は、田中家の2階なんです。先生は、若い女の先生で、ずっと田中家に寝泊まりです。

 

すごいなあ、信じられない生活です。先生も生徒もあったもんじゃない。

本校で行われる学芸会では、先生も出て演劇をやります。(ようこさんが和尚さん、かずともくんと先生が小坊主役)

 

 

2人は、出稼ぎ中の母親に手紙を書きます。「いっぱい働いてお金貯めてお土産下さい」なんてね。

 

 

母親もそれにこたえて、昼夜二交代・時には日曜日も職場に出ます。

 

母親の出稼ぎは、12月から4月です。いやー大変だ。母親も子供たちも。

 

 

そして私は思います。

 

原発のことを原発があったら出稼ぎしなくていいんではと。そして彼らはそう考えなかったことを。

 

 

北電・関電などの珠洲原発計画は、この南山地区からおよそ直線10キロ(地図上の目測なので正確ではない)の南屋地区です

 

この昭和57年(1982年)は、珠洲原発建設計画の最中です。珠洲では、79年スリーマイル島事故の影響もうけて、反対運動も盛んになります。しかし、83年珠洲市長は、原発推進発表。84年には、珠洲議会が原発推進了承。

 

WIKI原発反対運動の記録を見ますと、賛否両論で、ずいぶん住民間の対立があったようです。

 

私は思います。

 

父親が出稼ぎで死んで、生活の為今度は母親が出稼ぎするような地区を抱える町で、原発運動が盛んだったという事を。

そしてそれに深い感動を覚えます。

 

珠洲市2万8千の人口のうち、毎年2千人が出稼ぎとこの番組で言ってました。

 

珠洲原発は、紆余曲折を経て2003年正式に断念されました。つまり反対運動が勝利したと言えます。

 

福島県浜通りの東電の原発も、農林業の他に何もめぼしい産業がない、そして出稼ぎもあった双葉・大熊に誘致されました。その周りの・小高・浪江・楢葉・富岡も同じです。

 

1950年代後半・60年代の高度成長に取り残された地域です。原発誘致に心が動かされるのはやむなしと思います。お金は来ますし働き口は間違いなくあります。そのうえ、何せ安全なんですから(苦笑)「原子力明るい未来のエネルギー」なんですから。

 

1973年第一原発一号炉が運転を開始しました。

 

勿論反対運動もありました。スタンデイング仲間のS氏は、浪江町・請戸漁港の漁師で、漁師仲間では殆ど唯一の原発反対者でした。村八分同然だったと言います。

 

結局、福島県浜通りには、10基の原発がたちました。

 

簡単に珠洲との比較はできません。比較してよいのかとも思います。

 

それでも思うんです。あんなとんでもない雪深い部落を含む珠洲で、あそこでも、出稼ぎなんてしたくないだろうに、それなのに、反対運動の結果、原発が出来なかったこと。その偉業を。

 

今度の地震を考えると、この反対運動は、日本全体を救ったとも考えます。

 

わが福島県浜通りの為にも言っておきましょう。

 

1960年代から東北電力による、浪江・小高原発計画がありました。ここも紆余曲折・対立がありながらも、浪江町の棚塩(たなしお)の人たちを中心に反対運動があり、原発を断念させました。(計画が進まない中、原発事故が中止の決定打となりました)

 

私は労働組合を通じて、ごく消極的に反原発運動に参加しました。それはせいぜい署名活動やカンパぐらいでした。

 

私は、「トイレのないマンション」という点で原発に反対でしたが、安全神話を信じていました。事故があってもせいぜい発電所内だろうと。

 

無関心でした。勉強不足でした。反対派の意見を良く聴きませんでした。本も読みませんでした。反対派集会への参加は、いわき市でのただ一回だけでした。

 

 

雪深い、出稼ぎの多い部落を抱えた珠洲市の反原発運動は、立派でした。日本を救いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原発を止めよう(その2)・原発事故隠しじゃないか

前のブログに続き、原発事故に関しての番組を2本見た。

一つは、私の地元相馬市原釜の漁師たちの、原発事故後の話である。2011年震災の年に高校を卒業して漁師になった青年を中心に、この浜の13年間を描いていた。

 

事故直後、魚に放射能が出たので出荷できず、漁師たちは、漁網でがれきを撤去していた。魚も瓦礫と一緒にいっぱい取れたが、すべて海へ返した。漁師たちの、すごく残念な顔が印象的だった。

 

その後漁業は、タコなど3種類だけ、しかも一週間に一日だけの試験操業から始まった。そこから10年、徐々に種類も操業日も増えていった。

 

しかし厳しい現実もあった。東京の団地で無料でシラスを提供してた時、母親に「福島の魚なんて食べちゃダメ」と言われ、子供の目の前で、ごみ箱に捨てられたと言ってた仲買人がいた。ひどいものである。放射能検査はしているのに、である。

 

しかし、怖いと思う気持ちもわかる。

 

2011年3月14日夕方、わが家の前を焼き芋屋が通った。食い物がないころだったので、俺はいっぱい買ってきた。芋は、前年にとれたサツマイモだという。浪江の芋だという。俺は心配ないから(放射能汚染なんてあるはずない、前の年に取って倉庫に入っていたものなんだから)喰えと言ったが、妻も娘も婿の母親も、食わなかった。人の感覚は、様々だ。やむなし。

 

原発事故は、無用の偏見と分断を起こす。悪いのは、事故を起こした東電と政府である。

 

そんな状況なので、仲買をやっていた人が、かなり廃業した。

 

魚を獲る人と流通両方がそろってないと、漁業は成り立たないと言っていた。なるほど、獲るだけではダメなんだ。当たり前のことに気が付いた。

 

漁師には、かつて漁獲高の8割の金額が保障されたが、仲買には、補償はあまりなかったとのことである。

 

現在でも、原発事故前の4分の1の漁獲量しかないとのことである。

 

主人公の若者の親、この人は地元ナンバーワンの引退した漁師であったが、彼は言う。

 

デブリ取り出しまで、最低でも40年。そのころ、息子は70を過ぎ、もう漁師ができないんじゃないか」

 

 

 

 

 

もひとつは、あぶくまロマンチック街道」(ETV特集で、阿武隈山地の村村の、事故前から現在までの変化を描写したものである。秀作と思った。

 

NHK取材班は、2023年の春夏秋冬、国道399号線沿いの村々をくまなく取材した。その切り口は、2010年最初にして最後の、フォトコンテストに出品された写真である。この福島県の399号線沿いの村々は、原発事故後すべて避難地域に指定された。

 

その2010年の写真の切り取った、村々と人々とその生活の営みは、美しい。

 

200余年の桜の古木・その下での人の集い(元都路村)、子供たちの川遊び(飯舘村)、灯まつり(元都路村)、凍み豆腐つくり(葛尾村)、モリアオガエル川内村)、実に美しい。

 

「ゆい」があった。人と人の触れ合いがあった。自然と人の触れ合いがあった。

 

原発事故は、これらを破壊していった。

 

印象に残った言葉を書き記す。

 

〇「かつては、人間が人間らしく生きてた。事故後は風景が変わった。生活が断ち切られた。除染土の山積。」(元都路村出身。現在南相馬市在住、佐藤公則)

 

〇「自殺した妻みねこは原発に命をとられた。東電から謝罪の言葉でも線香の一本でもあれば、俺は納得できるんだけど」(今泉信吾、現在東電と係争中)

 

〇「かまどの火を見つめて、私もこの村で生きようと思った。東電はお金で買えないものを奪った自覚があるのかな」(石井ひろみ。浪江町津島の18代続く旧家の嫁)

 

〇「皆に協力をもらって頑張ったんだけど、事故後子供のことを考えて長野へ。しかし逃げたという気持ちがあり、皆に悪いという気がずっとしていた」

(吉田敏八。都路村出身、現在長野県在住。ロマンチック街道を立ち上げた人。将来の帰還を考えている)

 

・・・・

3月10日から11日、妻と二人で袋田の滝茨城県大子町)を見に行った。途中、いわき市大久の恐竜の里に立ち寄った。今月で閉園とのことなのでなごりに行った。子供が小さいころ行ったところである。

閉園は、原発事故やコロナ騒ぎが影響したんだろうか。

 

袋田の滝である。
子供たちが小さいころ、遠くて、行こうと思って行けなかったところである。

奥久慈はいいなあ。

実に久しぶりにアユを食べた。わが地元でもアユ釣りが盛んだった。真野川が有名であった。今は誰も釣らない。あの飯館から流れる川だからである。情けない。

 

野セリ、キノコ全種、ワラビ、ぜんまい、フキ、タケノコ、皆出荷停止である。

事故後13年の現在の話しである。

 

袋田の滝へは、往路高速を行った。やはり浪江・双葉・大熊と第一原発に近づくにつれ、線量が上がった。最高は、大熊の1.8µ㏜であった。

 

帰路は、国道六号線。 富岡まではあまり感じないが、大熊・双葉・浪江は、現在でも原発被害が歴然である。空地、多くの太陽光パネル、空き家、捨てられた店、帰還困難区域の立札、スクリーニング場案内、立ち入り禁止、警備員がたっているところもあった。

 

それにしても、6号国道沿いに線量計がないのはどういうわけか。私は一つも見つけられなかった。原発事故後数年で国道六号を通ったが、ものすごくいっぱい線量計表示があった。当時一番線量が高かった、原発入り口の夫沢の住所表示もなかった。

 

これは、なぜだ。私は事故隠しじゃないかと思った。

 

 

最後に人口の変化を紹介する。朝日新聞3月11日より。

     2011年3月1日→→→2024年2月1日

仙台市  1046737      1097032

相馬市   37721       33236

浪江町   20854       2162

双葉町   6891        103

大熊町   11570       1144

富岡町   15959       1184

いわき市  341463      320236

 

これでも、原発再稼働、60年延長運転。新規原発建設やるのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原発をやめよう

NHKで、原発関連の2つの番組を見た。

 

一つは、ETV特集「膨張と忘却ー「理」の人が見た原子力政策」である。

 

これは、かつて、原子力政策の政府審議会のメンバーであった故人吉岡斉(ひとし)の残した文書を使い、過去の原子力政策を検証したものである。

 

もひとつは、NHK福島制作の「事件の涙ー何が彼女を追い詰めたか」である。これは、
原発事故で、自主避難した一女性(仮名高橋由美さん54歳)の自死までをたどったものである。

 

 

これらを見た感想は、「原発は出来るだけ早期にやめるべき」ということだ。

 

かつて民主党政権時代に、「今すぐではないが、原発はやめる」という方針を立てた。自民党政権になって、そろりそろりと原発復権させ、あとは脱兎のごとく、今や原発再稼働推進どころか、新設までも閣議で決定されている。

 

民主党の流れを汲む立憲民主党やもともと原発反対だった共産党社民党は、原発フェイドアウトの旗を高く立ててほしい。一定の支持は得られるだろう。

 

さて、2つの番組についてだが、まずは、ETV特集の要点を述べよう。

吉岡斉は、原発について、むやみに反対するわけではなく、合理的な議論(熟議)、決定プロセスの合理性・透明性を訴えていた。

 

しかし、吉岡は言う。実際の政策決定は、非合理的なうえ、真摯・有能な判断に基づかない、無責任な決定であった、と。

 

②その例として、1997年の高速増殖炉懇談会をあげる。高速増殖炉もんじゅは、深刻な事故を起こし、懇談会は、もんじゅをどうするかを検討するものであったが、もんじゅを続けるという結論が先にあり、まじめな検討はしなかった。結局1兆円以上の国費を投じて、2016年廃炉が決定した。

 

③さらに、2004年の原子力委員会の「長期計画会議」の例を挙げる。これは、青森県の六ケ所村の再処理工場が中々完成せず、見通しが立たない段階で、原発をどうするかについての会議である。

 

この頃経産省の若手官僚有志が、再処理工場の継続は、「19兆円の請求書」である、無駄で、核廃棄物は、直接廃棄の方が良い、というレポートを出していた。

 

会議の初め、直接廃棄は、1kWHにつき、0.9~1.1円で、再処理は、1.6円/1KWH

という討議資料が出されていた(再処理工場廃止の方向)。ところが、あとで、政策変更コスト(再処理工場をやめるのに伴う費用)が計上され、直接廃棄は、0.9~1.5円/1KMHと高く見積もられ、有利さを消された。

 

会議の中心の近藤俊介は、インタビューに答えて言う。

「再処理工場を廃止すれば、六ケ所村の処理がある。交付金に替わる金が必要だ。要するに補償問題だ」

 

実は、国と電気事業連合会が秘密に内部調整していた。会議の前に、再処理工場を継続すると決めていたのだ電気事業連合会自民党も会合を持っていた。自民党は、「直接投棄にお金がかかることを強引な仮定でもいいからを出せ」と圧力をかけた。

 

内部告発した経産省若手官僚たちは、移動となった。

その若手官僚は言う。「自民党のお偉方から言われた。君らの言っていることは全部正しい。しかし、再処理工場は神話なんだ。嘘を承知で出来る出来ると言っていればいいんだ。薄く広く電力料金にかければ、19兆円なんて、すぐだ」と。

 

この「事前に決まっていた」が本当なことは、原発推進の中心人物・近藤俊介のインタビューの様子で、如実にわかる。

 

彼は、口ごもり口ごもり、「会議をまとめないと、何かないとなかなか決まらない・・」としどろもどろに言う。

 

真面目に真摯に検討していない。全くでたらめそのものだ、日本の原発推進は。

 

事前に決まっていたことを知らされた当時の委員たちは、インタビューで言う。

「これは茶番だ。国民を馬鹿にしてる。私は茶番につきあわされた」

電力会社、原発推進の学者、官僚、政治家、地方自治体の有力者の利権構造がある、皆何かの利権を得ている

金と嘘とおまんまがごちゃ混ぜになった状態

「一度始まった事業は途中でやめられない。利害関係者が多数いるからである」

 

以上より、現在の原発再稼働推進や原発新設は、技術的にも経済的にも、合理的判断ではまったくなく、原発利権グループの利権のためのものと、私は確信する

 

二つ目の「事件の涙」。

福島県郡山に住んでた高橋由美(仮名)さんは、放射線量の高い郡山に住むことが、子供たちに悪い影響を与えると考えて、娘と二人、東京に自主避難した。夫は仕事もあり、郡山に残った。

 

高橋さんは、夫から十分な仕送りをもらえず、非正規のダブルワークで娘との生活を支えた。月収20万の中で7万を子供の為貯金してた。超節約の日々であった。

 

やがて息子もやってきて、3人暮らし。郡山に帰省することも少なくなり、夫との関係も冷えた。

 

厳しい生活の中で、彼女は次第に追い詰められていった。

 

2014年、彼女は心因性精神障害にかかった。追い打ちをかけたのは、2015年の自主避難者への無償アパート提供の打ち切りであった。

 

また、自主避難者への厳しい世間の声があった。

曰く「自主避難は、自己責任なので援助する必要ない」

曰く「弱い心だ。ほんとの被害者に悪いだろ」

曰く「なにいつまで甘えてるんだ」

 

彼女は、自主避難者たちの原発訴訟に参加したが、一年で原告をやめる。

 

2017年4月。彼女は、家族を置いて病院へ。

2017年5月。自死

 

彼女は、多くのSNSを残した。

「私が放射能に鈍感だったら、家族がバラバラにならなかったのに」

「私はただ、放射能を怖がるのも怖がらないのも、どちらも正しいと認めてほしかっただけ」

 

夫との最後の会話「あなたも私も独りぼっち。大事なものがちょっと違ってただけ」

 

夫の話「離婚の話まで出てた。けれど、俺たちは仲が良かった方だ。原発事故が無かったら普通の生活ができてた。」

 

彼女の最後のSNS発信

「助けて。私ができることがあれば、助けて」

 

 

2004年の「長期計画会議」後の経過・・・・。

2006年 自民党政府は、原子力立国を打ち出した。

2007年 柏崎刈羽原発事故発生。しかし、根本的対策をしなかった

2011年 福島第一原発事故

2014年 原発稼働ゼロ。原発利用に国民の反対60%。

2022年 原発再稼働推進・古い原発も60年稼働可能。新規原発容認。

2021年~ 一部アンケートで、国民の原発利用容認が過半数を超える事例

 

現在でも、再処理工場完成せず(26回の延期、9兆円を投入)、放射能廃棄物最終処理施設の見込み立たず。

 

原発事故は、家族を分断し、被災者間を分断した。その原発は、原発村(原発利益共同体=自民党・官僚・御用学者・電力会社・自治体有力者)の利益の為、科学技術上も経済合理性上も、全くでたらめに推進されてきた。そして電気料を通じて全国民に多大な損害を与えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢と現実

夢と現実なんて、変な題を付けちまった。

 

実は、昨日、よんばばさんに紹介された村山早紀「さやかに星はきらめき」を読了し、一方で、昨早朝NHKスペシャル「戦場のジーニャ」を見たから、一応こんな題をつけてブログを書き始めた。きっと、まとまりのない話になろう。

 

「さやかに星はきらめき」の詳しい紹介は、よんばばさんのブログをご覧ください。

 

よんばば (id:yonnbaba) 10日前

温かさとひりひりする寂寥と『さやかに星はきらめき』村山早紀著 - あとは野となれ山となれ

地球が、天災と疫病と戦争で住めなくなり、地球人類が月を中心に、犬・猫から進化した犬人・猫人と宇宙に住んでいるという設定の話である。著者は、その時代に心優しい物語を紡ぐ。昔話が殆どである。

 

犬人・猫人の他、地球起源でない鳥人・樹木人(著者はそうはいってないけど)出てくるが、それぞれ元の特性がまだ残っていて面白い。

 

落語の「元犬」を思い出した。

 

私が感動したのは、第三章「White   Chrismas」である。

こんな話である。

荒廃して人類がすべて脱出した地球で、カーネルサンダース人形が、長い時を経て、

付喪神(つくもがみ、人間に大切にされた物に魂が宿ったもの)となり、目覚める。

 

彼は、どうして人類がいなくなったかわからない。寂しさに耐えかねて、歩き回り、遊園地跡に行きつく。そこには、案内人の少年がいて、親切にしてくれる。人類消滅の経過も教えてくれる。この少年は、AI頭脳を持ったロボットである。他の働いていたロボットは、すべて壊れてしまった。この少年も足に大きなけがをしており、頭脳もやられている。カーネル神を見て、「メリークリスマス」という。サンタクロースと思ったのだ。しかしまだ7月だった。しかも、地球は気候が変わって、冬でも雪が降らない。

 

二人は、心を通わせる。二人は遊園地内の朽ちたホテルで、クリスマスの絵を見つける。少年は、雪の降るクリスマスを、も一度見たいと、痛切に思う。カーネルは、自分がホントのサンタだったらなあ、と思う。

 

カーネルは、廃墟になった病院で、また戻ってくるという人類の意志を見つける。

 

12月が近づくころ、少年は衰弱していく。カーネルは、言う。「子供たちをお救い下さい、神様。」と。

 

ロボットの少年は亡くなる。しかし、カーネルの願いが叶い、雪がふり、トナカイも贈り物も出現する。カーネルは、働いているロボットたちや世界中にいる優しい誰かに、その贈り物を届けに出発する。

 

人類が戻って、復活した遊園地で遊ぶ子供たちの幻を見ながら出発する。

 

彼は、それがきっとかなう夢だと思っている。

原文「・・信じてる。なぜって夢はかなうものであり、彼は、サンタクロースだからだ。」

 

戦場のジーニャ」は、ロシアの侵略を押し戻すウクライナの反転攻勢の兵士たちの話である。

 

兵士たちの自撮りの映像を使っており、実に生々しい。

 

地雷を踏み、片足がぶらぶらしている映像。塹壕を出て、敵ロシア兵を撃つ映像。塹壕内の死体・重傷者。休憩中体の上を駆け回るネズミ。ドローンの不気味な音。映画「西部戦線異状なし」で塹壕戦を見たが、こちらは、塹壕戦の実写で、恐ろしい。志願兵の元ギタリストのジェイは、PTSDになった。

 

この兵士たちは、もともと市井の市民である。ジーニアは、元TVカメラマン。志願兵ではないが徴兵に積極的に応じる。ロシアの侵略から自国を守るため、普通の生活を捨て、家族と別れて戦う。

 

兵士の言葉:「殺さねば殺される」「私は敵を破壊し、敵は私を破壊する」

 

そうだろうと思う。それが戦争の現実だ。

 

ウクライナの反転攻勢はうまくいってない。兵士が足りない。負傷した市民がまた兵士となって、戦場に赴く。家族との別れは哀切である。

 

元映像技術者のマキシムは、ドローン部隊に配属される。ドローンで敵を発見し、それをぶつける。それには手榴弾が取り付けてある。

 

別れるとき娘は、「大人になったら木の棒でロシア人を殺す」と言った。それはダメと父親は言う。母親も言う。

 

娘から電話が来る。何してるか聞かれる。マキシムは、敵を殺していることは、口ごもり、とても言えない。

 

こんなのを見ると、即時停戦でもいいんじゃないかと思う。しかし即時停戦は、ロシアの国際法違反=侵略を認めることになる。

 

正義は、ウクライナにある。ウクライナの国民が戦う意志がある以上、ウクライナ兵・ロシア兵双方の死者が増えても、ウクライナを応援すべきと考え、2022年には、私は、ウクライナ大使館に些少の寄付をした。2023年には、戦線が膠着して死者が増えるので、直接の応援ではなく、赤十字社を通じてのウクライナ支援に些少の寄付をした。

 

やっぱり、俺には分からないのである。

国際法を守る正義のため、死ねと他人に言っていいのか 。いや死ぬとは限らない。死ねと言っているわけではない。悪事を見逃せない、故郷をを守る、家族を守るために戦う

兵士を応戦するのは当然とも思う。

 

分からない。

 

 

もしロシアの兵士側から作品を作ったら、殆ど相似形になるだろう。何を馬鹿なことをやっているんだ、プーチンと多くのロシア国民。

 

今早朝は、Eテレで、「戦禍に言葉を編む」を見た。ウクライナの人々の思いを集めた詩集・散文詩である。出版された本は「戦争語彙集」。これは、兵士ではなく、一般庶民の言葉である。

 

こちらにも、戦争の惨禍が、実に色濃く表れている。

「第二次大戦時、ナチにレイプされないため、母の最も汚れた服を着たという話を聞いた。今私も尤も汚れた服を着るべきか。・・戦争はきれいを危険にする

「人形劇場の子供たちの沈黙は、上演された劇への共感であり、今ミサイルを避けてここで生活している子供たちの沈黙は、何も観ていない。閉ざされた心だ」

(原文の訳文通りではまったくない、内容のみ)

 

何をやっているんだ、ロシア。

 

ガザでは、ナチスが一日に虐殺した子供よりも、イスラエルが一日で殺した子供の方が多いという。詳しくはSPYBOYさんのブログでどうぞ。

 

SPYBOY 7日前 

株高と馬地三鮮 - 特別な1日  

 

なぜアメリカは、それを止めないんだ。国際社会は、なんて無力なんだ。

ロシアの侵略を止められない、イスラエルの一般人虐殺を止められない、なぜだ。侵略や一般人虐殺は、国際社会が認める国際法違反だろうのに。

 

国連や国際法は、無意味か。

そうではないと思う。

ロシアも北朝鮮イスラエルも国連から脱退しない。おのれの蛮行を国際法に合致していると強弁している。広島長崎以降、戦時に原水爆は使われていない。国際法は存在する。

 

確かに国際法は、矛盾もあり(民族自決権と領土不可分権、人権と内政不干渉の矛盾等等)、かつ強制力もない。

 

しかしそれでも一歩一歩前進してはいる。

 

かつては、戦争にルールはなかった。今はある。実に詳しいルールがある。

かつては、敵対国を含む国際機関はなかった。今はある。国連は強制力もある。

かつては、国家同士の争いを仲裁する機関はなかった。今はある。国際司法裁判所

     等々。

かつては、戦争犯罪を裁く法はなかった。今はある。国際刑事裁判所

 

国家は、しばしば国際法を無視して自国の利益を(それは、ホントに全国民の利益か?)優先する。しかし諸国民の利益は、国家利益とは違うんじゃないか。諸国民の利益は、自国が国際法に基づいて行動する方が大きいのではないか。

 

全ての国民は、自国政府が、国際法を守るよう働きかけよう。

 

 

村山早紀「さやかに星はきらめき」では、地球文明の滅亡が語られる。その原因は詳しくは述べられていない。

 

一方この小説では、人類、(いや宇宙の全知的存在のかな)、夢と言うか希望が語られる。優しい話として語られる。

 

最後の方で、登場人物は言う。

「・・・一人一人の夢は生きているうちに叶わずとも、いつか時を超えて、どんな困難にも打ち勝ち、過去の世界に倒れた誰かの祈りと願いをかなえていく・・・」

 

私は、この言葉にひそかに同意する。

 

おっと、面白い事にも気づきました。この3つの話し、小説・映像・詩集に共通するものがあるんです。

 

猫です。

 

小説では、この超未来SFの中の編集者は、猫から進化した人類即ち猫人です。その本の第一話では、過酷な環境の星で、ただ一人生き残った少女を助けるのは、猫と犬です。これが猫人・犬人の誕生にかかわります。

 

映像では、過酷な塹壕で戦う兵士を慰めるのは、猫です。ネズミ退治にも活躍します。

 

詩集にも、ロシアの侵略で逃亡する際、猫を置いてきた話、猫に慰められている姿が出てきます。

 

猫様、犬様、バカな人類がおのれの罪業の為、滅亡し(その方がいいのかもな)、その一部が宇宙で再出発する際には、どうぞ馬鹿な人類をお助け下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オッペンハイマーの苦悩/CIAの陰謀

映像の世紀バタフライエフェクトを二本みた。

一つは、「マンハッタン計画-オッペンハイマーの栄光と罪」

 

オッペンハイマーは、「原爆の父」と言われ、マンハッタン計画で、原子爆弾を製造した中心人物である。この番組は、彼の原爆製造時の考えと原爆投下後の考えの違いを際立たせていた。

 

原爆製造前

〇原爆は、自由のための戦争で、敵に打ち勝つために必要なもの

〇ドイツ降伏、日本の降伏も目前の段階で、同僚が原爆製造に疑念を表すると、それを

 厳しく否定。

〇科学者とは、技術的に素晴らしい見込みがあるなら、試して成功して、その後に何をなすかを考える存在。

原爆投下後

〇(トルーマン大統領との会談)「自分の手は血まみれ」

〇(同僚技術者との話し合い)「原爆を、善意のある武器と思うな」

〇(感謝状贈呈式で)「原爆には、誇りと深い疑念を持つ」

〇(広島・長崎の被害を見て)「原爆は、侵略兵器、奇襲と恐怖の兵器だ

〇(来日中)「後悔はしてない。しかし、申し訳ないと思っていないわけじゃない」

〇(最後のインタビュー)「原爆開発に大義はあった。しかし科学の道から逸脱した。

            「今になっても、よい道が見つからないのです」

 

オッペンハイマーは、原爆製造に大義を見出し、成功させたが、原爆投下後は、広島長崎の被害を見て、深く悩んだようだ。

 

科学者は、その開発する技術に責任を持つべきであろうか?難問である。どんなことが生じるか、先を見通せない科学技術も多かろう。アインシュタインハイゼンベルクの段階では、原爆を見通せなかった。

 

しかし、オッペンハイマーの開発段階では、一般人まで殺傷することは容易に想像できたはずだ。それを使えば、戦争犯罪だ。しかし使うと決断するのは政治家だ。オッペンハイマーに罪はあるんだろうか?

 

開発を中止することはできなかったのか、それを要求するのは酷なのか?膨大な予算・膨大な人員を使った開発の責任者として、それはひどく難しいのはわかるけど。

 

 

一方、投下を決断した政治家は厳しく断罪されるべきだ。

オッペンハイマーとの会談で、トルーマン大統領は、「私の手こそ血で汚れている」と言ったが、原爆投下成功の報を聞き、そのインタビューに答える合間に、笑みを漏らしていた。またオッペンハイマーを「泣き虫、二度と連れてくるな」と酷評した。

 

トルーマン大統領は、米兵の命の節約という大義名分とソ連へのけん制という目的で投下を承認した。日本が戦争終結の意志があると知りながらである。(日本は、ソ連を通じて和平交渉を打診してた。それを当然知っていた)

 

原爆投下は、ハーグ陸戦条約などで禁止されている、武器を持たない一般人殺害(無差別殺害)という犯罪である。トルーマンを厳しく批判すべきだろう。

 

私はやはり、あの原水爆に否定的だったオバマ大統領が、広島を訪れた時、謝罪まで言わなくとも、原爆投下は、国際法違反と言ってほしかった。昨年の広島サミットで、岸田総理に原水爆禁止の方向に一歩でも、G7首脳を引っ張ってほしかった。例えば、核先制不使用条約締結の提案とか。核禁条約締結を検討とか。あれでは、広島でサミットやったことは、無意味だろう。

野党は。核禁条約締結を打ち出してほしいものだ。

日本の総理大臣は、南京を訪れ、戦争犯罪を謝罪してほしい。それが難しいなら、満州事変発端の柳条湖へゆき、侵略戦争謝罪を何らかの形で示すべきと思う。

 

 

何故我々は、ロシアのウクライナ侵略を批判するのか、できるのか、なぜイスラエルのガザ虐殺を批判するのか、できるのか、その根拠は、国際法にある。ロシアやイスラエルを糾弾するのは、厳密にいえば、国際法を守ろうとする国家にしか資格はない。いや、言ってもよい、が説得力がないだろう。

 

確かに国際法は、強制力が弱い。しかし、「力による現状変更はダメ」という根拠は、国際法にしかない。すべての国家が国際法に従うよう、国民は自国に働きかけるべきだ。とってもとっても難しいことだけど、「公正と信義」は、すべての諸国民にあると信じて、その方向に0.01μでも押すべきである。とはいっても私は何もできないけどね。

 

もひとつは、「CIA~世界を変えた秘密工作」である。

CIAが戦後の政治世界で、どんな暗躍をしたかを、映像とナレーションで示した番組。

時系列で言うと

〇イタリア・・・共産党員激増で社会主義政権が出来そうなイタリア総選挙で、CIA

        は、莫大な資金を投入し選挙介入(野党・市民団体支援、フェイクニ

        ュースを流す)

〇イラン・・・人気のあったモサデク政権の石油国有化に危機感を覚え、CIAは、ギャ

       ング・宗教団体を買収し、偽モサデク支持の暴動を起こさせ、国民との

       離反画策。その後反モサデク暴動を扇動して政権打倒。石油利権の40%

       獲得

ハンガリー・・1956年、ソ連フルシチョフの反スターリン演説を東欧に流し、反社会 

       主義気運醸成。CIA資金で「フリーヨーロッパ」(ラジオ放送)設立。

       同放送は、反政府デモを扇動ソ連軍の弾圧を招く。即ちハンガリー

       乱。同放送の援助が来るというフェイクで、ブタペスト市民多数の犠牲

       20万の難民を生む。

〇チリ・・・1970年初めて民主主義的に誕生したアジェンデ政権は、富の再分配を目指

      し、銅国有化をはじめ、民間会社の国有化を進める。危機感を持った米国

      は、CIAに政権打倒工作を指示。資本家・富裕層・新聞社を動員し、物流

      を麻痺させ、政権打倒を画策。しかし労働者等のアジェンデ人気は高く、

      失敗。1973年9月11日チリのほぼ全軍がクーデターを起こす。アジェンデ

      は戦うも自殺。この軍事クーデターへのCIAの関与がどれほどかは不詳。

      しかし関与への多くの状況証拠がある。

 

 大体の話は知っていたが、知らなかったことも多かった。

「フリーヨーロッパ」放送の嘘で、多数のハンガリー市民の犠牲が出たこと。

アジェンデ後のピノチェット独裁政権の主要経済閣僚が、新自由主義の中核フリードマンの教え子だったこと。フリードマンノーベル賞授賞式で、アジェンデ支持者の「

フリードマン帰れ、チリ、バンザイ」という声が上がったこと。

 

思えば、格差是正を目指した社会主義の凋落が、新自由主義の跋扈を招き、格差拡大

をもたらしていると考えれば、チリのアジェンデ政権崩壊の後景にフリードマンがいるのは面白い。恐らくフリードマンは、チリを己の経済学説の実験場としたんだろう。

 

 

この番組には、日本でのCIAの活動は出てこなかったが、やらないわけはないと想像する。CIAは、反共が主眼の活動故、あの統一教会勝共連合岸信介と関係があったと言われても、驚きはしない。

 

 

 

CIAの秘密工作に見られるように、

米国政府が、内政不干渉という国際法の大原則を無視して行動してきた以上、いう事を聞かない国々が出てもしょうがない。

 

思うに、米国の正義は、片面の正義であった。もう片方はただれた片面であった。オペラ座の怪人のようである。しかし、オペラ座の怪人は、心根はきれいだった。米国は?

まずは、政府と国民は区別して考えるべきである。かつては、ベトナム戦争反対の大運動があっった。今もガザ人虐殺反対の運動がある。米国政府が、国際法に従って行動するよう政府を動かしてほしい。