一つは、ETV特集「膨張と忘却ー「理」の人が見た原子力政策」である。
これは、かつて、原子力政策の政府審議会のメンバーであった故人吉岡斉(ひとし)の残した文書を使い、過去の原子力政策を検証したものである。
もひとつは、NHK福島制作の「事件の涙ー何が彼女を追い詰めたか」である。これは、
原発事故で、自主避難した一女性(仮名高橋由美さん54歳)の自死までをたどったものである。
これらを見た感想は、「原発は出来るだけ早期にやめるべき」ということだ。
かつて民主党政権時代に、「今すぐではないが、原発はやめる」という方針を立てた。自民党政権になって、そろりそろりと原発を復権させ、あとは脱兎のごとく、今や原発再稼働推進どころか、新設までも閣議で決定されている。
民主党の流れを汲む立憲民主党やもともと原発反対だった共産党・社民党は、原発フェイドアウトの旗を高く立ててほしい。一定の支持は得られるだろう。
さて、2つの番組についてだが、まずは、ETV特集の要点を述べよう。
⓵吉岡斉は、原発について、むやみに反対するわけではなく、合理的な議論(熟議)、決定プロセスの合理性・透明性を訴えていた。
しかし、吉岡は言う。実際の政策決定は、非合理的なうえ、真摯・有能な判断に基づかない、無責任な決定であった、と。
②その例として、1997年の高速増殖炉懇談会をあげる。高速増殖炉もんじゅは、深刻な事故を起こし、懇談会は、もんじゅをどうするかを検討するものであったが、もんじゅを続けるという結論が先にあり、まじめな検討はしなかった。結局1兆円以上の国費を投じて、2016年廃炉が決定した。
③さらに、2004年の原子力委員会の「長期計画会議」の例を挙げる。これは、青森県の六ケ所村の再処理工場が中々完成せず、見通しが立たない段階で、原発をどうするかについての会議である。
この頃経産省の若手官僚有志が、再処理工場の継続は、「19兆円の請求書」である、無駄で、核廃棄物は、直接廃棄の方が良い、というレポートを出していた。
会議の初め、直接廃棄は、1kWHにつき、0.9~1.1円で、再処理は、1.6円/1KWH
という討議資料が出されていた(再処理工場廃止の方向)。ところが、あとで、政策変更コスト(再処理工場をやめるのに伴う費用)が計上され、直接廃棄は、0.9~1.5円/1KMHと高く見積もられ、有利さを消された。
会議の中心の近藤俊介は、インタビューに答えて言う。
「再処理工場を廃止すれば、六ケ所村の処理がある。交付金に替わる金が必要だ。要するに補償問題だ」
実は、国と電気事業連合会が秘密に内部調整していた。会議の前に、再処理工場を継続すると決めていたのだ。電気事業連合会と自民党も会合を持っていた。自民党は、「直接投棄にお金がかかることを強引な仮定でもいいからを出せ」と圧力をかけた。
その若手官僚は言う。「自民党のお偉方から言われた。君らの言っていることは全部正しい。しかし、再処理工場は神話なんだ。嘘を承知で出来る出来ると言っていればいいんだ。薄く広く電力料金にかければ、19兆円なんて、すぐだ」と。
この「事前に決まっていた」が本当なことは、原発推進の中心人物・近藤俊介のインタビューの様子で、如実にわかる。
彼は、口ごもり口ごもり、「会議をまとめないと、何かないとなかなか決まらない・・」としどろもどろに言う。
真面目に真摯に検討していない。全くでたらめそのものだ、日本の原発推進は。
事前に決まっていたことを知らされた当時の委員たちは、インタビューで言う。
「これは茶番だ。国民を馬鹿にしてる。私は茶番につきあわされた」
「電力会社、原発推進の学者、官僚、政治家、地方自治体の有力者の利権構造がある、皆何かの利権を得ている」
「金と嘘とおまんまがごちゃ混ぜになった状態」
「一度始まった事業は途中でやめられない。利害関係者が多数いるからである」
以上より、現在の原発再稼働推進や原発新設は、技術的にも経済的にも、合理的判断ではまったくなく、原発利権グループの利権のためのものと、私は確信する。
二つ目の「事件の涙」。
福島県郡山に住んでた高橋由美(仮名)さんは、放射線量の高い郡山に住むことが、子供たちに悪い影響を与えると考えて、娘と二人、東京に自主避難した。夫は仕事もあり、郡山に残った。
高橋さんは、夫から十分な仕送りをもらえず、非正規のダブルワークで娘との生活を支えた。月収20万の中で7万を子供の為貯金してた。超節約の日々であった。
やがて息子もやってきて、3人暮らし。郡山に帰省することも少なくなり、夫との関係も冷えた。
厳しい生活の中で、彼女は次第に追い詰められていった。
2014年、彼女は心因性の精神障害にかかった。追い打ちをかけたのは、2015年の自主避難者への無償アパート提供の打ち切りであった。
また、自主避難者への厳しい世間の声があった。
曰く「自主避難は、自己責任なので援助する必要ない」
曰く「弱い心だ。ほんとの被害者に悪いだろ」
曰く「なにいつまで甘えてるんだ」
彼女は、自主避難者たちの原発訴訟に参加したが、一年で原告をやめる。
2017年4月。彼女は、家族を置いて病院へ。
2017年5月。自死。
彼女は、多くのSNSを残した。
「私が放射能に鈍感だったら、家族がバラバラにならなかったのに」
「私はただ、放射能を怖がるのも怖がらないのも、どちらも正しいと認めてほしかっただけ」
夫との最後の会話「あなたも私も独りぼっち。大事なものがちょっと違ってただけ」
夫の話「離婚の話まで出てた。けれど、俺たちは仲が良かった方だ。原発事故が無かったら普通の生活ができてた。」
彼女の最後のSNS発信
「助けて。私ができることがあれば、助けて」
2004年の「長期計画会議」後の経過・・・・。
2007年 柏崎刈羽原発事故発生。しかし、根本的対策をしなかった
2011年 福島第一原発事故
2022年 原発再稼働推進・古い原発も60年稼働可能。新規原発容認。
2021年~ 一部アンケートで、国民の原発利用容認が過半数を超える事例。
現在でも、再処理工場完成せず(26回の延期、9兆円を投入)、放射能廃棄物最終処理施設の見込み立たず。
原発事故は、家族を分断し、被災者間を分断した。その原発は、原発村(原発利益共同体=自民党・官僚・御用学者・電力会社・自治体有力者)の利益の為、科学技術上も経済合理性上も、全くでたらめに推進されてきた。そして電気料を通じて全国民に多大な損害を与えている。